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レポート1 スプレンダー27(別府→蒲郡)

 9月19日早朝5:00別府新若草港に集結した男4人は陸路岡山を目指した。目的地は児島。台風13号の影響を避けようと避難していた回航途中のスプレンダー27を、再び最終目的地の愛知県蒲郡まで回航するためだ。今回の予定は、私が蒲郡までシングルハンドで回航している間に陸上班が蒲郡に赴き、そこにあるヤマハ25MKUの折れたマストを修理してから出港して、途中紀伊半島の尾鷲付近で合流した後、乗り換えてスプレンダー27はO氏、末岡氏のコンビが蒲郡に回航し、私がY−25MKUで瀬戸内を通って別府まで回航する約1週間の計画だった。

 
 12:00岡山県児島に着き、早速ファミレスで昼食を取り近くのスーパーで食料品や飲料水を調達した。
 13:55出港。思ったよりも機走能力があるS−27は、6kt平均の対地スピードで東進を開始。一路小豆島を目指す。穏やかな瀬戸内海を行っていると近くの山からパラグライダーが飛んでいるのが見えた。






 本船航路に沿って小豆島の土庄先の半島を越える頃に日没を迎えたので灯火を点け、以前何度か仕事のためにフェリーで訪れたことのある草壁港を目指した。市営桟橋を見つけて接岸してから目の前にある桟橋を管理しているさんばし食堂に行った。















  一泊の停泊料金がなんと2,010円!町村合併の後に上がったそうで、それまでは200円だったのだから驚く。さんばし食堂で夕食を摂っていて何気なく壁を見ると一面に訪れたヨットマンの名刺が張ってあり、中には知り合いのものも幾つかあった。風呂もタクシーで行かなければならないらしく止めた。しかし、引き波も無くゆっくりと休むことが出来た。
今日の航海距離は25nm。






 20日、5時に目が覚めたのだが、近くにトイレが無い。しばらく探したが見つからなくて結局フェリー待合室が開くのを待ってトイレを済ませてから、06:50出港した。

 本船航路を横切り、草壁港から25nm、10:50鳴門大橋をくぐった。橋下は潮流が早くあちらこちらに渦が出来ていた。その横を15ktほどの猛スピードで通り過ぎた。

 しばらく走っていると漁をしている漁船群に入り込んでしまい、右往左往しながら通過した。紀伊水道は穏やかで順調にログを稼いだ。日御碕沖で若干風速と波が上がってきたがリーチングだったので楽に乗り越えることが出来た。










 17:00印南港に入港した。ここは北側からのアプローチは岩場があるので気をつけなければならない。薩摩という遊漁船の船長が泊める場所を指示してくれて、しばらく地元の漁師たちと歓談した。夜は近くの海鮮料理の店「いち」で夕食を摂った後、20分ほど歩いたところにあるスーパーで食料品の補給をして船に戻った。航海距離63nm

21日、06:45印南港出港。08:20白浜温泉沖を通過。風は北東なので楽だ。しかし、潮岬が近づくにつれて波風共に前に変わり走りづらくなった。艇速も4ktと落ちる。12:50潮岬通過。印南から35.6nm。大島沖を無事通過している時、O氏から今日入る港は現在地から16nm先の鵜殿港がいいのではと連絡が入った。しばらく行くと手前に新宮港が見えた。







 この時間では鵜殿まで10nm走ると暗くなりそうだったので新宮港に入港するのがベストと判断してバウを向けた。ここも港の入り口左右に暗礁が多い。長い一文字の防波堤の内側を北に進むと漁港があり漁協近くの突堤に接岸させた。近くにはマストを倒したJ−24が上架されていた。


 民宿があるというのでしばらく歩いていくと、「港」という民宿があった。ここの一階には普通の事務所が入っており、その横に食堂があって2階が宿泊設備になっている民宿で、元々あった公的な建物を再利用しているような感じだった。食事は予約していないと出来ないと言われたが風呂だけは入れてもらえることになって、食事を先にするために2kmほど離れているショッピングモールに歩いていった。
 国道沿いに歩いていくと大きなショッピングモールがあり、そこで食事と買い物を済ませてタクシーで帰り、ゆっくり風呂に入ってから艇に戻った。航海距離56nm



 22日朝、近くにまったくトイレなどの設備が無かったため、くろしお公園の公衆トイレまで歩いて行った。06:45新宮出港。少しうねりが出てきたが、順調にログを稼いでいた。11:10軽いショックがありペラから異音。1ktほど艇速が落ちたので、賀田湾の入り口にある小さな港に入った。ウエットスーツを着て潜ると大きなロープが絡み付いていた。







 ついでに昼食を摂り12:35出港。蒲郡から出向いてきた陸上班が待つ吉津港を目指した。吉津港入り口の道標の右側は、暗礁が延びていてうねりがあったこともあり波が砕けていた。左側から進入して島の右側を通過した。奥に入ると南側に緑ブイがあり大きく迂回するようにして、無事17:00入港した。


 その後、近くに食事する場所が何も無いので車で少し離れた場所にある割烹に行き艇に戻って就寝した。
航海距離45nm



23日06:50、O氏と2人で吉津出港。湾出口の暗礁付近からうねりが強くなってくる。

                                        風はたいしたことは無い。沖出しするにしたがい、うねりの高さは益々大きくなって目測で10mを超えているように見える。大王崎の5nm以上沖に離れた南側にばかでかい巻き波が立っているのが見えた。2nm以上離れているのに、はっきりと立ち上がるのが見える。その様な波が点々と大王崎近くまで続いているのが見えた。それらの南端を大きく迂回して大王崎を目指した。波高は高いが波長が長いので比較的怖さは無い。





  しかし、2つのうねりの先を走っている2千トンクラスの本船が全て隠れてしまうくらいのうねりで、大王崎を見ると崖の半分以上に波が打ちあがっていてその大きさが分かった。そうして下げ潮の影響か対地速度が伸びず、なかなか大王崎が離れてくれなかった。





 伊良子水道に向かうことは断念して、鳥羽に向かった。鳥羽湾南からアプローチして、暗礁群を通り過ぎるとうねりも小さくなった。港一番奥に戸田の家ホテルの桟橋を見つけて電話で交渉し、温泉に入る条件で接岸することが出来た。















 陸上から入ってきた末岡氏としんちゃんも到着して、近くのレストランで食事をして、ホテルの温泉に入り、屋上にある展望ラウンジで酒を飲みゆっくりとした時間を楽しんだ


 

 24日06:40 O、末岡両氏と共に鳥羽出港。北側から伊勢湾を横断するコースに入った。北東の順風を受け、漁をしている漁船を避けながら順調に最終目的地形原を目指した。









伊良子水道には三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった神島(小説の中では歌島)が浮かんでいる。三河湾に入ると波は無く、風のみがいい感じに吹いている。















  西浦温泉のある半島沖を数艇レースしているのが見える。その時、船尾で水音がしたので見るとスナメリ(これは後でわかったことだが、スナメリにはイルカにある背びれが無い。その時はイルカと思っていた。)が2頭ついてきていた。ほんの少しの時間だったが割りと汚いこの三河湾の中で出会ったことに驚かされた。
























  12:30オーナーの辻口氏が形原港の入り口に掛かる橋の上から出迎える中、無事奥の小型艇の停泊場所に接岸して往路を終えた。航海距離は児島から約253nmであった。

 初めてシングルで本州最南端の潮岬を通過して感じたことは、紀伊水道と熊野灘ではまったく海況が異なっているということだった。熊野灘はこの時期台風の影響もあってだろうが、確かに海が荒く感じた。うねりの大きさにしても半端ではなかった。ランスロットで回航するときは大して気にならないが、こういう場合、慣れていない艇で回航するときは気を使う。実際セール面積にしても、出来るだけ小さなものを揚げようとするし、特にジブはストームしか使わないように気をつけている。出来るだけ予定日時に目的地に到着出来るように、エンジンをフルに使うのでその艇の航行速度が基準となる。やはり時間を気にしないで、クルージングしたいものだ。

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