レポート2 ヤマハ25MKU(蒲郡→別府) | ||
2006年9月24日12:30形原に着いて 、新オーナーにスプレンダー27を引き渡した後、別府まで乗って帰るヤマハ25MKUの出港準備をすることにした。この艇はマストがスプレッダーのところで折れていて、私がスプレンダー27を回航している間、O氏らが応急修理で繋いでから早めに出港して途中熊野灘の港でチェンジして日程を短縮する予定だったが、フォアステーが3本ほど切れていたこともあり、修理を途中で断念していた。今回持って帰らなければ次回と言っても、ここまでのアクセスやら何やらを考えると時間の無駄に思えた。しかしマストが無いままでの航海は、往路の海況を考えるとエンジンだけで熊野灘の荒波を乗り越える自信はなかった。そのため、とにかく立てようということになり昼食後作業を開始した。 夕方までに、左右にあるヨットのメインハリヤードを利用して何とかマストを立てることが出来た。切れそうなフォアステーの補強策として、マスト上部から2本ロープをフォアのクリートに固縛して、ポールリフトをフォアガイのアイに固定して強化したが、これが持つかどうかは未知数だった。 その夜、近くの西浦温泉にもらい湯に行ったが、どこのホテルでも外部からの入浴は断られた。別府では絶対にありえないことで、こんな不親切な温泉街は初めてだった。 食事を済ませ蒲郡市内の風呂に入った後ミーティングを行った。O氏はこれまでの回航コストが嵩んだこともあり、少しナーバスになっていて一度撤収したいと言いだした。実際、往路の回航時の熊野灘の海況を見てきたものから言わせると、マストに不具合があり、エンジン、艇体コンディションなども未知数で、5ktがやっとというヨットであの海を回航することを考えると不安になるのも無理は無かった。しかし末岡氏や私は、ここまでの陸路往復の不便さを考えると、再度往復して仕切りなおしすることが得策とは思えず、今回回航する方が良いと意見を述べた。良く海を知るO氏だからこそ、不安を感じて止めたいと思っていることは理解できたが、ここからの天候が比較的安定するものと考え、回航するなら明日からの一週間が最適だろうと思えたため、敢えて強く回航することを進言した。 その後気分転換のために蒲郡市内に出て雀荘に入った。O氏ファミリーは気分転換にならなかったろう。 |
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25日朝、私は陸上で用事があるためSちゃんと残り、O氏、末岡氏のコンビが出航するのを見送った。陸路紀伊半島に向かう前に、蒲郡ラグーナに立ち寄りニッポンチャレンジのACボートを見学した。75ftの艇体はさすがに大きく迫力があったが、船は海に浮いていてこそ何ぼのもの、陸に上がってオブジェになっている姿は何となく哀れに感じた。 東名高速を通って伊勢を通過するので、伊勢神宮に御参りすることにした。最初に外宮に参内し、それから内宮を参内した。外宮と内宮は建物などは同じように質素な造りだが、観光客の数がまるで違い内宮は騒々しかった。 コインランドリーで洗濯をしながら待つが、一向に姿が見えない。2nm沖という連絡が入ってから1時間以上たっても姿が見えない。小高い丘の上まで車で登って見渡すが分からない。連絡ではすぐ側まで来ているらしいが分からなかった。場所を変えて道沿いの広場から港口を見たら、薄闇の中バウライトが確認出来てほっとした。 往路で接岸した岸壁に着けた。エンジン修理している間にふとラダーを見ると何か変だ。先端にヒレのようなものが付いている。大須賀氏や私も長年ヨットに乗っているがラダー形状がこのようになっているものを見るのは初めてだった。今日も伊良子水道で荒れたらしいが、この艇特有のエンジンが前に配置されているため、バウが突っ込みラダーが浮き上がって力が抜ける挙動は見られなかったらしい。これをスナメリ効果と呼ぶことにした。 とりあえず風呂に入り、夕食はラーメンということで一軒しかない近くのラーメン屋へ行った。注文して30分以上待たされ、やっとありついたが・・・ひどかった!どうもO氏はこのプロジェクトではいい食事にありついていないような・・・ その後、艇で寝ることは止めにして近くの(と言っても一山越したところだが)民宿に泊まる事になり畳の上でゆっくり休めてありがたかった。 |
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26日民宿でしっかりと朝食を摂った。07:45吉津を大須賀、末岡両氏と出港。港外に出ると、低気圧の影響で雲が垂れ込めうねりも大きい。メイン2ポンリーフ、ジブはストームを展開したが、艇速は相変わらず5kt前後だ。尾鷲沖で雨が落ちてきて波風共に悪くなりだした。一旦尾鷲に避難しようと岸に向かった。しばらくすると岸よりを本船が通過して行くのが見えて、幾分波と風の状態がよくなったように感じたため、尾鷲入港を止めてヘルムを大須賀氏に代わり再度南下し始めた。しかしこれは間違った選択だった。 三木崎沖に差し掛かる頃、とんでもない波と風に翻弄されだした。これまで30年以上ヨットをやってきて、初めて見る高さの大波が襲ってきた。三木崎の方を見ると岩にぶち当たるうねりが垂直に立ち上がり20mほどの水柱が出来るのが見える。ここの地名で滝出しというのがあるそうだが、さもありなんという景色だった。波頭は白く砕け斜面を下るときには6ktから一気に12kt以上に加速していく。その中でヘルムを取るO氏はさぞかし大変だったろう。何度か波を乗り切ったが、とうとうブローチングしてしまった。咄嗟にメインシートをリリースしてパワーを抜いた。次の瞬間、艇は立ち直ったがコクピットは水浸しでハンディのGPSが浮いているのを慌てて掴んだ。 往路で立ち寄った賀田湾奥に逃げ込めば何とかなるよと言い、そちらに進路を取っているが、白く泡立つ暗礁群が近くにあるのがなんとも不気味ではあった。が、美しかった。 北東からの波と風を凌げる湾口に差し掛かり、なんとか海面が治まりだした。湾内には本船が数隻避難していた。奥を目指して三木浦という漁港の奥にあるポンツーンに無事舫った。 陸から辿り着いたしんちゃんが来た。ここは何もないところだと言うので、車で尾鷲まで行くことにした。2つほど峠を越えて走っていると猿がいる。本当は熊野古道じゃなくて猿野古道じゃないかなんて冗談を言いながら尾鷲に着いてはみたがこの町は本当に何もない。この付近はファミレスもないところだ。港まで行ってみると、港内なのに停泊している船が大きく揺れていた。結果論だが三木浦まで足を伸ばして正解だったのかもしれないなと思った。 しばらく喫茶店を探したが無くて、やっと見つけた港近くのロリエというレストランに入って休息を取ることにした。ここでも散々待たされた挙句、裏側が真っ黒のホットケーキを食わされ暗澹たる思いをした。まったくこの付近にはろくな食べ物屋がない! 三木浦まで戻るとO氏は陸路別府に戻る準備を始めた。ところが、一緒に戻るはずの末岡氏が突如回航に同行すると言い出し、O氏の説得も功を奏さず、とりあえず新宮まで様子を見ると言うことで、私と一緒に航海することになった。 |
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27日06:40三木浦に避難していた本船も出港していたので、出港することにした。ここから先は陸上サポートがない状況で回航しなければならない。沖出しするとまだうねりは残っているものの、比較的穏やかな海面が広がって風向きもリーチングのため楽に南下出来そうだ。海面にゴミが多いのが気になるが、昨日までの海況とは違ってのんびりした航海が続く。 |
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28日、この航海を始めてきっかり6時には目覚める。ゆっくりしてから民宿に朝食とトイレに行った。部品が届くまでは何もすることがない。うだらうだらしながら過ごした。9時ごろサービスマンが来て部品の届くのが昼過ぎになると言って、悪い方の部品を外して持って帰った。その間、二人で歩いて防波堤の先にある孔島神社まで行った。安芸の宮島のように満潮になると海中になる鳥居があって丁度引き潮だったので其処からくぐってお参りした。
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町に出て、今日は中華だと決め探すと一軒よさそうな店があったのでそこに行くことにして、まずは風呂と、目の前にあるホテル浦島に行く渡し舟に乗った。九州の観光地と同じく、ここも中国からの団体客が多く来ていて同乗した客はすべて外国人ばかりだった。 桟橋に着くと、フロントの前を通り長いエスカレーターを3基乗り継いで頂上にある建物に着いた。そこのフロントで入浴手続きをしようとしたが下でしか受付をしていないとのことで、結局、末岡氏がタオルを持っていたので、そのまま露天風呂に入浴した。ここも中国人ばかりだった。 |
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29日06:45出港。エンジンを掛けようとしたが掛からないためデコンプを抜いてから始動した。どうもバッテリーが良くない。 潮岬までは艇速も6ktを超えて順調な航海が続いた。潮岬に差し掛かった頃から潮目に掛かり急激に艇速が落ち2ktを切るような状態が続いてなかなか岬が離れてくれなかった。途中交互に仮眠を取りながら白浜を目指した。白浜が近づいた頃コクピットに上がった。 |
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30日出港しようとエンジンを掛けようとしたがバッテリーがまったくだめで掛からない。近くにいた漁師の人にお願いすると快諾してくれて自分の伝馬船を差し向けてくれた。直結してすぐに掛かった。件の漁師はちょっと待ってといい、大きなワタリガニを2杯持ってきてくれた。ありがたくいただいたがゆでる鍋も無いので、そのままクーラーに放り込んで出港した。
ケンチョピアは近くにコンビニ、ガソリンスタンドなどがあって、市内中心部なので非常にいい泊地なのだが、遊漁船がスピードを落とさずに通過するため、引き波で大きく揺れるのが欠点だ。 |
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10月1日、とうとう10月になってしまった。11時くらいが鳴門海峡の転流というので後10nm程度の距離なのでゆっくりと出港した。 |
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夕方高松マリーナに入港。事前にフィートウエットの矢部奥さんに連絡を入れていたので、職員がポンツーンで舫いを取ってくれた。上陸するとすぐにフィートウエットに出向いた。それから近くのコインランドリーに洗濯物を放り込み、3人で食事をするために中心街に出た。久しぶりの再開で話題が尽きない楽しい食事だった。 |
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2日、朝起きると隣のポンツーンに遅く入ってきた雄飛(ジャヌー37)の艇長のPark.Gen.Ong先生がおはようと声を掛けてきた。 |
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夜、無人島のはずなのに、人声が多く聞こえた。釣り人が桟橋で釣りをしていたようだ。チョッピーな波が入ってくるため、余りいい寝ごごちではなかった。そうして風も強くなってきたが、疲れのためか眠気の方が勝っていた。 |
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3日、毎日規則正しく同時刻に出港する。まずは伯方港を目指した。天気は回復して北東の風、風力2から3、クルージングには最適な風だ。伯方港まで2時間ほどで到着して一番奥のポンツーンに横付けした。目の前がガソリンスタンドその横がスーパーなので非常に便利がいい。
この夜はこれまでで一番揺れの無い静かな泊地でぐっすりと休むことが出来た。 |
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5日、天気はいい。三津浜を出港して伊予灘に出ると、少しガスがかかっているが風も弱く、いいクルージング日和だ。艇速も潮に乗って5〜6ktと順調だ。とりあえず佐賀関に針路を取った。 休息を取った後、表に出て携帯で天気予報を見ると明日からの天候は悪化するようだ。マスト灯が点かないがカンテラを代用し夜間航行して今晩中に別府に着ける決心をした。佐多岬沖の豊予海峡に差し掛かった頃、逆潮と風が弱くなったこともあり3ktくらいしか出なくなった。やがて薄暗くなってきたので、航海灯を点けて少しエンジンのスロットルを上げた。4kt程度のスピードで進むが、大分空港の灯りがなかなか離れてくれない。やっとシーバースの沖を通り過ぎて別府へのコースに乗った。22:00、O氏、末岡奥さんらが出迎えてくれる中、無事新若草港のポンツーンに接岸。長く感じた今回の全ての航程を終わることが出来た。単独で回航する予定だった復路は末岡氏が同乗してくれたお陰で安心して航海することが出来た。大変お世話になった末岡氏に改めて感謝する。ありがとうございました。 |
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