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  レポート 3  ケアンズからダーウインへ 1,020マイル74日間の旅 その1

2007/1/31(水)

いよいよ出港という朝「何と!」天気が悪い それもかなりの悪天候

出港を見合わせる 見送りの人達にも連絡を取り2〜3日延びるかも?

そして2/2(金)に延ばすことに決める 新しく出来た友達(モータークルーダー53ftのオーナートムジョーンズ(歌手じゃないよ)も「グッド アイデアー」//ベストの選択だ!と言ってきた。

2/2(金) 06:00 起床 雨はまだ少し残っていたが少しの洗濯をし朝食をそして最後の仕入れにRusty’sマーケットへ野菜の買出しに このマーケットに出店している玉子屋さん 日本人の山岸さん所へ寄り玉子も買う 「出港するから」と告げると「見送りに行くから」と言ってくれた。 09:30 いよいよ出港 日本食レストランの調理師 勉(べん)さん 智平の奥さんの奈美さん そして山岸さん こちらで出来た友達が見送ってくれる。

大きく手を振る! 「きつと又会えるから〜?」両手を振る 小さく見えなくなるまで別れを惜しんだ 幸いに雨も止み晴れて来た河口を北上し出口へ 大きく張り出した岬を右に270度回り込み 進行方向170度へうまい具合に風は北から この辺で北風が吹くのはとっても珍しい事なのだ 追っ手の風7〜8ノットを受け 艇速4ノット のんびり行く事に Pm03:00目的の島High T(ハイアイランド)=S:17゜10‘。

E:146゜00 周囲10マイル程の小島の影へアンカーレッコー しかしここはウネリが入りローリングにピッチングと一晩中良く眠れなかった 06:30にはアンカーを上げ再び南下 風は8〜9ノットの真上り メインのみ揚げてエンジンオンリー2100回転逆潮2〜3ノットの中 艇速5ノット 昼前頃からES/Eのややアビームぎみの風に替りフルセールで昼から風も強くなり15〜18ノットの上り 波はやや大きくなり3m位。

ピッチングが激しい ジブを小さくしてエンジン回転1700回転 夕方までには次の目的地に着くはず 17:30 Dank T(ダンクアイランド=S:17゜55 E:146゜07)の北へアンカーレッコー ここはプライベートビーチ リゾートビーチ つまりリゾートホテルなのだ ビーチには桟橋も有り 連絡船も往来している しかし今はシーズンオフで人気は無い だが既にヨットが3艇程停泊している 私の後にもカタマランが2艇入ってきた。

 2月4日(日)明け方、04:00頃から猛烈な風が吹き荒れ、06:00頃まで休みなく吹いたが、07:00には少しおさまり、出港する。08:00頃から雨交じりの風が出て、SEの風21〜26ノット波高2〜3m位、ややのぼりの風、雨も断続的に来る。その内、風もEに変わり、ジブのみで6ノットの快走、このまま南下する。

S:18゜15’ E146゜05’に入り口かある。HINCHINBROOK,CHANNEL幅500m位の本土と島の間の水路を通る。途中、客船とすれ違う。何と、こんなところを大型船がと驚く。一番狭いところは0.4マイルしか無い。そしてチャネルの中央付近やや出口よりのところにある小さな島HAYCOK  ISLANDの北側にアンカーレット水深約6mくらい。PM2:00 遅めの昼食をとる。

2月5日(月)夜中から、物凄い風と雨が2時間置き位にやってくる。マストどころか船ごと「ブルブル!」と振るう。そのしてアンーチェーンが擦る音がする。その度に目が覚める。心配無いと分かっていてもやはり気に掛かる。07:00に起きてアンカーを上げ、チャネル出口の町(LUCINDA)の傍まで行って見る。ここならインターネットが入る。天気予報を見ると何と(台風)トロピカルストームが近づいている。雨も交ざって30ノットオーバーの風が吹く。どこかこの近くにアンカーをと思い、製糖工場そばにアンカーを打っては見るが、外海からのうねりと風でとても不安定。しかたが無い、又もとの場所に戻ろう。15〜16マイル北へ、そして、HAYCOCK.ISLANDの東側へ、ここならかろうじて電話が入る。

2月8日(木)もうここへきて4日になる。ケアンズの友達、智平君から電話で、いよいよ台風に名前がついたヨー、「ネルソン」と言う男名だそうだ。こちらでは、台風になると名前がついて男名と女名が交互に付けられるらしい。

2月9日(金)の朝早く、智平君からの電話「吉報ダヨー!」「台風が小さくなって、ただの低気圧に、しかもずーと南下したヨー!!」と嬉しいニュース。06:50アンカーを上げ、出港。今日は思い切ってオールナイトで走ってみるつもり。製糖工場の長がーい、長い桟橋、約6.5kmにも及ぶ。その桟橋に沿って外海に出て行く。昼前頃から風のいいのが入りだした。Eの風、左からのアビームでフルセール5〜6ノットで走る。しかし、2時間もしないうちに風が落ちた。何とか5.5ノットキープはしたい。エンジンを掛ける(700回転)。又又風が変わる。ESEの風8〜10ノット。このオーストラリアの東海岸は満潮時は南へ、干潮時は北へと流れる。南への流れのほうが強く3ノット、北の時は1ノットになる。日没後、レーダーにアラームを掛け走ることにする。明日の朝までは、リーフも島も無い所を通るので少し安心だ!。これでもうとうとするが熟睡はできない。しかし終始風はよく11:15には目的地のGLOUCHESTER PASSAGEのビーチ前S20゜04’ E148゜26’へアンカーレッコ。約190マイル走った。ここも綺麗なビーチだリゾート地と言うことだが今は人が居ない。私を含めて5隻(ハイ)が泊まっている。今日はウオータメーカーの掃除をした。2時間くらい掛かったが、もう水が「ジャブジャブ」シャワージャブジャブ「ウーン」「グット、イイ!!」

2月11日(日)06:45出港。快晴。ここの所3日間とっても天気がイイ! 今私が通っているところはオーストラリアでも屈指のリゾートスポット、無数の島が散らばっている(日本の宇和海や瀬戸内)所だが、今はシーズンoffで泳ぐこともできない。毒クラゲ、サメ、ワニなどがでるらしい。地元の人からは絶対に泳いでは「ダメ!!」と言われている。今日はNEの風8〜12ノット左からのアビームでフルセールで快走。16:00には、GOLDSMITH.Iの西S20゜40’ E149゜08’へ到着。58マイルを9時間15分で6.5nt平均で走った。

2月18日(月)06:45出港。昨夜からの風はずーと15ノットオーバーが吹いていた。出港の頃には、20〜23ノットとだんだん強くなってきている。ここらで近くのマリーナに入ろう。そろそろ野菜が無くなる。機走で1900回転、7〜8nt潮に乗っている。10:45分にはMACKAY,OUTER.HARBOURへ入港、舫うことができた。

このマリーナは清潔でとてもよかったが少し高い 1日$31(日本円で3000円)このマッケイマリーナはとても大きく、ポンツーン数は500以上もあり、80フィート以上、150フィート未満のメガヨットバースが20もあり、給油バースも、7隻分もある。レストランも多く、上架設備は250トンまでOKと書いてある。町まではバスで12〜13分位。タクシーで$17だった。買い物も済ませ、2月13日(火)は船の掃除や整備に費やした。プレッシャーポンプがイカレていたので持ってきた新しい物と取り替えた。前より少し大きい50psを付けたら、なんと音が半分くらいに小さくなりとても快適になった。

2月14日(水07:00 MACKAY MARINAを出港。お隣さんの女性キャプテン(シングルハンド)マーガレットさん(ヨール48ftスチール船)が出てきて別れの挨拶をくれた。「グットバーイ」「さようならー」外に出て6マイルくらいの所に沢山の貨物船しかもみな10万トンは有ろうかと言う様なのばかり。数えると26隻もいた。大きなシーバースが5本も有った。風はSEの風15ノット真上り、仕方なくエンジンオンリー11時頃から逆潮の中2000回転で5ノットキープがやっとだった。一日中この風だったが、今日の泊地の近くに来たらNEに変わった。困った、今日の場所は北が入るとあまり良くないのだが? 17:30ようやくPOYNTER.Iの北の入り江にアンカーレッコ(水深5m)凄くゆれる。走っているときのほうが良い位にローリングする。一晩中ウトウトするしかできなかった。

2月15日(木)06:30出港、(S21゜50’ E149゜20’) 今日は快晴。はじめSEの風だったが直ぐにNEに変わり、9〜12ノットの風、メインジブフルセール8.6〜6.3ノット。ほとんどが7.6〜8.3ノットで快走。思っていたより速いので足を延ばして大陸の入り江(S20゜30’  E150゜45’)の入口PORT CLINTONにアンカーを打つ。17:30着。今日は11時間で77マイルも走った。すでに2隻のヨットが泊まっている。私の後に2隻のフィッシャーボートと5隻になった。ここは昨夜のポインターアイランドと違ってまるで揺れない。シャワーを浴びゆっくりとして心地よいひと時がおくれ、アッと言う間に寝てしまったが? 夜半から吹き出した風は明け方には、空が「ゴーゴー!!」と唸りを発している。07:00頃からあたりを見渡すと雨交じりの凄い風が吹き荒れている。誰も出港する者はいない。マッケイマリーナで貰った天気予報が当たったみたい。私も今日はここで「じっと」していよう。明日は出港できるといいけどなー?

2月17日(土)今日も音を立てて吹き荒れている。この入り江はとても広い。5〜6マイル四方は有るが潮が引くと3分の2は干潟になる。傍ではペリカンが7〜8羽、小魚を掬い取っている、亀も沢山いて頭をあちらこちらと出す。そして大きなクラゲ、日本の越前クラゲ位はありそう(亀のえさ)。アー今日もここから動けない。雨が多く降り水も沢山溜まった右も左もタンクは満タン。2/18、19、20、21、22  2月15日(木)の夕方ここへ来てもう8回目の夜が来た。

2月22日(木)Sea Eagleと書いた53ftのモータークルザーが逃げ込むように入ってきた。私のすぐ側に泊まった。そして強風の中ディンギーで私のところに挨拶にやってきた。私は冷えたビールで歓迎。私の変な単語にもにこやかに対応してくれた。そして夕食に招かれた。PM5:00にディンギーで迎えに来てくれ、何とご夫妻ともちゃんと襟付きのシャツを着て長いズボンをはいて迎えてくれた。バーベキュー(鳥)にワイン、ビールと食後のデザートにteaタイムまで。BGMがゆっくりと流れる。聞いてみると何と彼らご夫妻で歌ったCDだと言った。名前はLloyd Buddy & Bevと言い、子供が6人孫が11人もいる。そして彼は75歳だと言ったがとても若々しかった。そして帰りには二人のラブソングCDを頂いた。翌日も強い風はやむことは無かったが、バァディーが「蟹籠を仕掛けに行くぞー」と誘いに来る。そして次の日も「釣りに行くぞー」とやってくる。急に忙しくなった。毎日退屈だったのに「イイゾー!」毎朝のようにBuddyから声が掛かる。そして「蟹」は物凄く大きいのが沢山取れる。一晩で5〜6匹は取れる。私も4匹貰った。まだくれると言ったが、もうイイ!!と言った。その大きさは甲羅の大きさ直径20〜25cmもあり、爪の太さは手が届かない太さ6cm位もあり、ボイルする前に金鎚で打ち砕いてから茹く。甲羅の厚みが1.5cm位もある。爪の肉を食べるときはまるでソフトクリームでも頬張る様だ。「ウーン美味」一匹食べると後は何も食べられなくなるくらい腹いっぱいになる。そして2月25日(日)朝、8時Buddyがやってきて、「ここから2時間位北に場所を移すから」と言って、突然の別れを告げ、明日はひょっとして良くなるかも? の声を残して「さようなら」を告げて出て行ってしまった。

2月26日(月)06:00アンカーを上げて5マイルほど先の入り口にいってみる事にした。もし良かったら出港したい。するとすぐ私の後ろに一緒に泊まっていたカタマランが着いてくる。いよいよ外側に出るちょっと前に少し浅くなっているところに差し掛かった頃、急にうねりが強くなり大波が来る。それも「崩れ波」だ。「アッ!!危ない」と思ったとき、一瞬の間に船は横倒し寸前、頭の真上から大波を食った。急いで引き返す。もう船の中は潮浸し、一目散に逃げ帰った。カタラマンも挑戦したが彼らもまた引き返して来た。そして2月27日(火)の朝、側の赤いヨットの人がディンギーでやってきて、「ここでは危ないのでもっと奥に避難したほうが良いが、一緒に行こう」「ついて来い」の合図に河口の上流8マイル程のマングローブの中に移動した。何でも今まではモンスーンだったが、台風がこちらに向かっている。名前は女名だったが何と言ったか分からなかった。くねくね曲がりくねった奥まで入る。中にいくと既にトローラーの船が入っていた。水深(干潮2.5m、満潮6m位)も浅くほぼまったくと言っていい程波が立たなかった。そしてカタマラン(自作40ft)のFLYING ANGLEのケン&アネット、赤い鋼船(41ft)のPACIFIC Peal Uのジョン&パールと並んで船を泊める。なんとここで3月9日(金)までここに入ってきて、23日間も閉じ込められることになるとは思っても見なかった。前日の朝、ジョンがやってきて、私が英語が分からないので紙に書いて今日から4日間のウェザーを持ってきてくれ、「3月9日の朝なら出られるかも?」と教えてくれた。カタマランのケンも一緒にいくと言っているそうな。そして3月10日(土)の朝、06:45出発、ジョンに別れを告げ恐る恐る外海へ、何とか出られそう波もそう大きくは無く、カタマランのケンとも手を振って別れを告げ一路南下、今日の泊地は45マイル先S23゜10’ E150゜56’にあるGREAT KEPPEL I.の北側へ風はほとんど無い4〜5ノットのE風アビームメインとエンジン1700回転で7ノットくらいでPM2:00に到着した。ここも貿易風によるうねりが入ってローリングする。あまり居心地の良くない一夜を過ごし、3月10日(土)06:45出港、55マイル先のGLADSTONEのマリーナに入る予定だ。何しろ、食料が無い。缶詰やインスタントはあるのだが一週間以上も新鮮な野菜は口にしていない。何よりビールが無い。今日の昼で最後の一本だ。PM 1:00分頃グラッドストーンの北側のチャネルに着いた。12時が満潮なので少し時間はあると思い、この浅いぐにゃぐにゃと曲がったチャネルに入って行く。デットスローの為か思ったよりも時間が係り、7マイル位のチャネルの2.5マイル位中に入った所で遂に乗り上げてしまった。泥の中に填まって、右に行こうがバックしようが動かない。あまり?くと泥を吸い上げてしまう。10分もしないうちに30ftのモーターボートがそばを通る「ホーン」を鳴らして助けを求める。快く引っ張り出してくれ、「島の外を回ったほうがいいよ」と今来た所を外まで案内してくれた。そして、ここは海図と少し異なるからとも教えてくれ、「浮標の側には寄らないように行くといいよ!」とも教えてくれた。それから島の外側(周囲25マイル位)を回り込み本船航路を北上してマリーナに入ることにする。既に連絡をしていたマリーナオフィスへCH82で遅くなることを告げ、夕方06:00過ぎになるから? そして、バースのbook(予約)を入れた。本船航路の為後から8万トン位の貨物船から追いかけられること1時間以上、もうすぐマリーナの入口のはず? 右側に大きく回転と本船をやり過ごして航路を左に横切り確かこの辺だが?

浮標を探し当てる。 06:30もう日没している、だんだん暗くなる「アッ!」幸いトローラーがマリーナらしき所から出てきた。有難い。すぐに後を入っていった。そして指定されたFバースを探す。すると2,3人の人が手を振ってくれている。やっと一息つける。出迎えの人達に挨拶。ここでは日本人はとっても「めずらしい」らしかった。

3月10日(土)18:40到着。翌日オフィスへ。ここは公共マリーナでとっても安い。そして、側に大学もあったりして、マリーナ全体が公園の中に包まれている感じ、とってもキレイな所だ。

そして、今日が3月16日(金)来週の火曜20日になってもまだ出港できるかどうか分からないそうだ。マリーナの人の話では3月一杯は南東の風が強く南に下るのは大変だよー! と話す。「オェー! 4月10日までしかビザが無いよー!」どうしよう??? この町にはカスタムしか無く、イミグレはブリスベンまで行かないと無いそうだ。

ケアンズからブリスベンへの旅 その2へ続く

投稿 『風来末』オーナー 浅井
編集 末岡 多加志


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