ホームへ戻る

     レポート 3  ケアンズからダーウインへ 1020マイル74日間の旅 その2

 GLADSTONE-BOAT-HARBOUR(S22
゜50’ E151゜15’) このマリーナへ3/10()18:40分に到着してから今日で20日間も居たことになる。買い物へのバスの乗り方や、散歩道で出会う人達ともやっとなれた頃だが、天気予報では、今日から日間くらいはとっても天気が良い,そして風も1015ノットと出ている。このマリーナで出来た友達のカタマランのご夫妻、シェリーとスザンナ、そして隣のトローラー45のイエンが舫をはずしにやって来てくれた。

 3/3()09:00出港。他のヨッティー達も手を振ってくれている。カメラで私の船を撮しているハルに漢字で風来末と書いているの物珍しいらしかった。本線航路を15マイル程、東南東方向へ2時間くらいで抜け、ここでフルセール,東の風のアビームでノットキープが出来そう。2時間程でClews-PointBustard Head(S23゜57’01” E151゜46’06”)にかかる。変針131MAGセールはそのまま、クオーターの風になりますます艇速があがる。9ノットも出ている。しかしローリングもそこそこあり居心地が悪い.次のCheck-Pointまで50マイル21:00BUNDABERGの町の東側South-Head(S24゜45’25” E152゜29’0”)をクリアー一日が暮れる。18:30頃から風が無くなりセールを下ろし、1500回転で5ノット、ローリングが酷い。このまま行くと少し早く着きすぎてしまう。1200回転まで落とし、明るくなる5:30までがんばる。途中何度も「ウトウト」する。船がぶっつかる夢を見てあわてて目が覚める。明るくなり始めた。しかし、GPSと実際との誤差がかなりある。ブイのそばで計るとなんと500m位はGPSの方が南にずれている。干潮までまだ3時間位あるので少しは良いだろうと思って港入り口入っていく。それでも残り70cm位しかなく「ひやひや」だ。中へ入っていく。予定を入れていたのでK-4バースだ。何とか、一発で入ることが出来、一安心。ここはURANGAN-BOAT-Harbour(S25゜17’6” E152゜54’07”)この出口GREAT-SANDY STRAITの東側には、オーストラリア世界遺産の島FRASER ISLNDという世界一の砂の島があり、このマリーナから毎日多くの観光船やチャーターボートが出て行く。朝早くから貸し切りバスでやってきた客でいっぱいになった。大型カタラマランボートが出港していく。


 3/31日朝8:30分手続きへ、今日の朝早くに入ってきたことを告げる。このマリーナは観光地のためか、都会が近くなったせいか、ヨッティ同志の交流がほとんど無い。やはり田舎のほうが良いのかなー?


 4/4日、天気が良かったのに出港しそこなった。『しまった』と思ったがもう遅い。これで又1週間は風が止まないかも ビザが切れるので、電子メールで更新を申し込んだのはいいのだが、私のやり方が悪かったのか? 何とタスマニアのイミグレからヒラリーさんという女性の係官から質問書が届いたり、メールにえらい難しいことが送られてくる。私ではわからないので、ダーウィンのデービットの助けを求めて、転送などしてみる。それでもたびたびに質問メールが届く。デービットの話では何も問題ないので安心しろと言ってきてはいるのだが? どうしてよいか分からないのでそのまま放って置くことにした。


 4/6()今日からオーストラリアのゴールデンウィーク見ないなものが始まるEosterらしい。子供たちは学校が2週間程休みになるらしい。このマリーナもお客で大賑わいだ。


4/15()6:30分、出港、結局ここに15日間も居たことになる。港を出ですぐ右に折れ南へ下るルートがあるのだが、海図上では0mとなっていて、満潮ならOK! と言われたがなんとも怖い話なので私は一旦北側に出て東から大きく南に曲がりこむ正規のルートを行くことにする。これにしても500m位のGPSのずれがあるために各浮標の視認が欠かせない。23時間走るとGPSとの誤差が掴めるようになったが、結局チャートが離せない状態が続く。このチャネルで一番の難所の水深1.2mと書いてあるところへ最干より2時間前に通れそう。『ソナーとデプス計』を穴の開く程に見回す。白く波立っている。そこへ突入していく。もう、ソナーの行く手は、赤色に染まり、数字は3,2、10.5と見る見る間に浅くなるアラーム2つ鳴りっ放しだ。「アー!!」もうダメか? 0.30.20と数字が遂に0ゼロのまま。23挺身進んだ頃、かすかに船が持ち上がるような感じ「グー」とスピードが落ちたが一瞬の間にすぐに立ち直った。0.50.812、 ソナーの前の赤色が消えて行く。何とかこの難所を抜け出せたようだ。後から付いてくるカタマラン50ftはなんとも無い様だった。13:30には予定のFRASER ISLANDの南端Pelican Bayのアンカースポットへ無事落ち着くことが出来た。そしてここに町が近いのかインターネットもどうやら入ってきている。グラッドストンのジェリーからもメールが届いていて、もう2、3日は風が少し北に振れるため波も治まりWIDE BAY BARMiddre Bankを抜けるにはもってこいの天気だ!! と速報が来ていた。私が付いた時には既に8隻いた。その後、日暮れ迄には14艇になっていた。


4/16()06:00出港後15分位で日の出だ。周りの船が次々出て行く中私もみんなに連なり数珠繋ぎになって出て行った。1マイル程行くと前方の方で出て行く船と入ってくる船が入り混じって、1213隻がワイデベイのHook Pointの近くでどれがどう入っているか見分けが付かない。なんと前の船に遅れないように付いて行かなくては、ビジターの私では、この大波を抜けるルートは分からない。何しろGPSがここでは400m位のずれがある。チャートにはローカルな意見を参考にせよと書いてある。ここはオーストラリアでもサーフィンのメッカで絶えず大波が起こっている所らしい。大波の前で前の船が見え隠れする中一箇所だけ波が少ない場所がある。みんなそこに向かって、入船、出船と大賑わいだ。私も負けずに「それ行けー!!」手に汗を握り1時間程でミドルバンクを抜けることが出来た。これから60マイルはは一直線に170゜で南下するのみ。15:30に目的地のMOOLOOLABAに到着。マリーナオフィスに『ワンナイト』と言って申し込む。(一泊だと54$ととても高い)その割りにトイレや洗面所シャワールームの手入れが悪くよそのマリーナから比べると汚いかった。


4/17()07:00出港。ケアンズを2/2日に出て74日間やっと目指すブリスベーンーへの最後のレグ、約60マイルある。朝から風は殆ど無く,マリーナ出口の東側(右手)に突き出た半島Point Cartwright の上にある灯台を眺めながら大きく右に300゜位回り込み南下する。20マイル程下ると東にMorton Island 西に大陸、この間にある大きな湾内MORTON BAYの中に入り、これから先は浅く危険な場所といくつもの航路が入り乱れる港湾案内図に沿って浮標や立標を一つづつ確かめながら入って行く。約1616本あるルートのどの浮標かが見分け付かなくなる。私はメインチャンネルを選び、セールを下ろし2100回転、67ノットで進む。それでも交差しているところでは、どれがどれか分からない。今日はGPSがぴったり合っている。河口入り口のポイントに合わせる(S2713’00” E15316’40”)進む事約1時間やっとメインチャンネルの最後の立標を見つけた。これから河口の入り口まだ右側に緑色、左側に赤色の塔が各10本づつ立っている。5本目を過ぎた頃から後ろに8万トン位のコンテナ船が迫ってくる。追いかけられるような形になり、前と後ろの両方を見なくてはならない。私の船に合わせてくれるのが、最後まで追い抜かれるとは無かった。これからブリスベーン河を上って行く。6ノットで進む。この河は水深もあり816mもあるのでむしろ外海よりはずっと気が楽になる。「ぐにゃぐにゃ」と「ヘビ」の様に曲がりくねった中をはしる。水はまるで泥水、薄茶色をした泥水なのである。ケアンズで情報を得たDookside Marina に電話を入れたら、何でも息子さんが日本の大阪で英語の教師を2年位していた人が帰ってきてるからと電話番号を聞き、早速入れてみる。「17:3040分にしか入れないが大丈夫」と聞くと、「イイヨ! OK B-17にパースを取っているからそこに舫ってください。そして、次の朝07:30からオフィスが開いているから!」と流暢な日本語で教えてもらう。「アリガトウー」


4/17 17:40にマリーナに着く。隣の人が出てきて舫いを取ってくれた。何とか到着、ロープを整えた頃にはもう暗くなっていた。この河には連絡船が市民の足代わりに何隻もが往来する為5分から10分置きに引き波で船は大きくローリングする。2杯同時に通った時など何かに掴まらなくてはならないほど揺れる。朝の6時頃から夜10時頃までひっきりなしだ。


4/18()イミグレとカスタムに行かなくては? ビザの更新のために大変な思いをすることになるので。では又、次のブリスベーンの街編まで、御機嫌よう


2007/4/20() 21:00(現地時間) 浅井

ホームへ戻る   ページのトップへ戻る