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写 真 集
風来末の出会った仲間たち
沖縄から〜
台湾「基隆・高雄・墾丁」
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フィリピン〜パラオ〜オーストラリア
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           レポート 1  パラオからオーストラリア・ダーウインへの旅

4月14日(金)にPalauに着いた。驚いたのはGPSと実際では、Palau全体が北西に800mもずれていて、GPSがまったく役に立たない。迷路のようなチャネルを海の色を見ながら入港していく。航路ブイのようなものが立って入るのだが、右を通るのか左を通るのか分からない。とにかく怖い入り口の灯台から検疫泊地まで2マイル位を1時間以上かかってやっと到着する。一通りの検査をすませ、3マイル程回り込んだ錨泊地へ着いたのは、もう夕暮れだった。

フィリピンで私より48時間前に出た「ハーモニー」(高田さん)は、2時間前に着いたとのことだった。

4月15日(土) 朝9:00頃、モーターボートで一人の日本人が私の船の「風来末」の字を見てやってきた。いろいろ話していると、この方は以前宇和島に居てカタマラン43のNakiei(波切)の門多哲(かどた さとし)さんと言う方で、今はPalauに住んでいて、チャータクルーズやシュノーケリングツアー等を専門にされているそうです。

連絡先はこちらです。
E−mail nakiri@palaunet.com
http://www.palaunakiri.com

この方の登場でPalauがとっても素晴らしいとものになった。島内の案内や、シュノーケリングなどの案内、それにご自宅のアパートに連れて行ってくれての食事等、とてもお世話になった。
私が思っていた以上にPalauは素晴らしいところだった。

4月14日から5月3日まで19日間滞在した。

5月3日(水) 朝10:00燃料1トンと水を満タンにして、あの迷路を通って、出航許可をもらい午後1時に出航、これからオーストラリアのDarwinまで、直線で約1.150nmある。「ハーモニー」の高田さんと一緒なので、多分、私が考えているより3〜4日は多くかかると思われた。

外海に出ると風がでてきて(20ntの東北東の風)、波も波長が200〜300m、波高は4m位あった。 コースは170゜の上り、メイン1ポン、ジブは半分出し、艇速は5〜6ntで、「ハーモニー」の後、1〜2マイルの所をついていく感じで走る。時々スコールがやって来ては通り過ぎていき、風と雨を置いて行く。
それでも、順調に南下して行き,赤道も近づく頃、とても大きなスコールに見舞われた。4〜5時間以上、嵐のようになり通り過ぎていった。
この低気圧がフッリピンでトロピカルストームになり、中国、台湾で台風1号になったようである。


5月8日(月)の夜赤道を通過

5月9日(火)09:00にニューギニア島の北西、イリアンジャヤのSrong(スロング)の水路に到着した。ここまで来ると風もなくなり、海もとてもフラットになる。セールはメイン(1ポン)のみ、エンジン(1200回転)で艇速5nt位でこの水路を抜ける予定で走る。
朝早くから、朝日を浴び、絵葉書の中のようなところをゆっくり通りながら、昨日はできなかった赤道祭りをわが船のキャップテン(片目のウィリー)とクルーのスミー君(台湾を出たとき海賊よけに作ったダンボールの人形)と3人で祝った。遅い朝食も海がフラットなので久しぶりに味噌汁とご飯だった。午前10:00には水路を抜け、いよいよDarwinへ直線で680nm、1週間の予定である。すこしでも東の風が欲しいところだが、風は真上りで,タックタックの連続5月11日(木)までタックが続いた。

これまで、ほとんどエンジンを回していないので燃料はまだ700〜800リットルは残っている。VHFで「ハーモニー」に「エンジンをかけよう」と話を持ちかけるが一向にまわす気配はなかった。
「私ならエンジンオンリーで5日もあれば着くのにと」とひとり言を言いながら後を付いて行った。それでも反流を利用してイリアンジャヤに沿って少しづつ南下した。

5月12日(金)には、風が南東になり、コンパス針路180゜を保つことができるようになり、真っ直ぐ南に向かって走れた。風は20〜30nt、メイン1ポン、ジブ半分くらい、エンジンは800〜1000回転で艇速5〜5.5ntで走る。ドン、ドーンと音を立てながらピッチングするが、5月12日〜15日まで一度もタックをせずに南下できた。

給油のためによる予定であったSamulaki(サムラキ)の港も寄らず南下する。風も強くなり東南東で30〜40nt、波はゆうに7mはありそうである。もう3日間船にしがみつきながらの食事が続いている。船のメイン1ポンのみで7ntキープしている。

5月16日(火)夜明けに、前方の水平線上に真平らなペタンコな陸、オーストラリアを視認する。09:00には、オーストラリアの入り口Dundas(タンダ)海峡に入る。これからDarwinまで約100nmである。どこかで時間調整して5月17日(火)の朝 Cullen Bay(カレン ベイ)のマリーナに入りたい。この海峡はちょうど良いことに順潮でエンジンオンリー800回転でも9〜10nt出てしまい、難なく海峡を越える。ちょうどこの頃上空を低空飛行で Customs(税関)の飛行機がやってくる。VHF16で呼びかけられるが、分からない。「 I don’t know 」を連発する。「ハーモニー」の奥さんは英語がとても上手なのでなにやらやり取りをしているみたいである? 私のほうは作ってもらったカンニングペーパーの通り、次の言葉を一方的に連続して言うのみ、通じたのか通じないのか分からないまま一方通行でしゃべる。

This is Japanes yacht FuraiBatsu
 comming from Palau. 
Needing Customes, Immigration, 
and Clearance. Please over good by.

夕日も暮れてやっと指定されたムアリングポイントの「ハニーベイ」にアンカーを落としたのは20:00をまわっていた。今夜はここで一泊、夕食? もそこらにあるもので済ませ爆睡する。
翌朝08:30アンカーを上げ、浅い(0.2〜7m)所をデットスローで約0.5マイル走り、Cullen Bay マリーナに向かう。石垣を積み上げたような堤防を回り込むと直径1m以上もある杭の立ち並ぶポンツーンに泊めるように、Custom(税関)やQuarantine(防疫)の人達が手招きをしてくれる。が! おかしいマリーナの入り口がない? なんとマリーナ入り口はドック(水門)になっていて、船の出入りたびにドックマスターと呼ばれる人が、ドックオフィスから開閉してくれるようだ。前に書いたように0.2と書いていても干満の差が約7m程ある。私が入港した朝08:30は満潮なので水深0.2mでも通れるわけである。
従って、マリーナ(この辺りにマリーナは5,6箇所ある)では、水門を二重に設けて開閉することにより中に海水を閉じ込めマリーナの中の潮位を一定に保つ仕組みになっている。おかげで、マリーナの中はとても静かで気持ちよく過ごせる。

入国手続きが終わると今度はマリーナ側から消毒と言ってダイバーを連れて、船底の検査(このとき汚かったら入れてもらえない)、そしてドックマスターが給排水口全てに消毒液を注入する。この後14時間エンジンを回すことが禁止され、マリーナーの入港は翌日までのお楽しみとなる。ただし、人間は出入りできる。

この Darwinはオーストラリアの中央の北側「ノーザンテリトリー州の州都」で、州の人口は約19万人しかおらず、町もそんなに大きくなく、大分より少し小さいくらいである。とてもきれいな町で、皆サンセットが大好きな人達で、サンセットを見に夕方ビーチ(西側の)に多くの人が集まる。また、週末にはフリーマーケットもたくさん出て賑わいを見せる。
マリーナの中はハウステンボスの様で、周りにポンツーンつきの戸建住宅がたくさん並び、大小のマンションもたくさん建ち並んでいる。

Palau→Darwin 1.481nm 318時間(約13.25日)
使用した燃料約500リットル
1.481/318時間=約4.657リットル平均

レポート2 ダーウインからケアンズへの旅へ続く
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