ベネトーファスト415回航記
平成16年5月1日〜12日
レポーター  末岡多加志

 別府より大洗までベネトーファースト415を回航した。途中尾鷲までは新オーナーを含め、大須賀、末岡の3名で回航し、尾鷲より新オーナー下船し交替にランスロトオーナー乗船、勝浦まで同行。勝浦より大洗までは、2名で運航。以下、航海の概要を報告する。

<航海基本計画>
 2案があり、直前まで検討を要した。1案は、瀬戸内海を通って、潮の岬を回り、大島沖を抜けて大洗を目指す「瀬戸内」案である。2案は、豊後水道を下り、土佐清水から足摺、室戸を越え、潮の岬を回り、熊野灘に入る「四国沖」案である。日程は、「四国沖」案が1日短縮できるが、途中時化られた場合の避難に難がある。途中までの安全を考えると「瀬戸内」案になるが、来島海峡・鳴門海峡の連れ潮のゲート時間に合わせる為に出航時間に制約を受ける。潮の岬をかわしてからは、黒潮と風・波により直接大島を狙うか、岸寄りに刻んでいくかはその時の天気次第となることは両案ともに変りは無い。今回は、レースではなく、無事故で無事到着することが大前提なので、「瀬戸内」案により航海計画を詰めた。

<別府→伯方>
 5月1日03:00別府を解繿する。
 来島の南流は15:26から21:23、最強は18:26、+4.7ノットである。別府から来島まで約100マイル、艇速6ノットとして16時間を越える。来島海峡にせよ、宮の窪瀬戸にせよ、到着時刻は午後7時前後を目指す。潮の最強時を越えるものの、依然、連れ潮で渡る算段である。夜明け前なので、航海灯点灯、レーダーワッチにより、東に向かう。新日鉄沖は、沖がかりの本船が多数停泊灯を灯けてアンカリングしている。アンカーの延長線上を十分に避けて、松山を目指す。
針路53゜機走で6.6から7.0ノット近く出ている。夜明けを船上で迎え、朝食のおにぎりを頬ばる。
 10:00より艇長の率先垂範によりデッキワークを開始する。本日の課題は、ショックコードの取替えとデッキコンパウンド磨きである。いずれ、ウィンチ清掃も予定されているとのこと、大須賀ヨットスクールの開始である。18時、日は没したものの周りは良く見える薄暮の中を宮の窪瀬戸を渡る。連れ潮で対地速度11.1ノットを記録する。海路の入り口に橋がある。エンジンニュートラルにし何時でも逆進できる体制で横流れに橋に近づく。下から見ると橋桁にマストが掛かるように見え、橋桁を切る瞬間、全員緊張してフリーズする。









  19時、伯方港の本船繋留地の端に仮に舫い、フェリー乗り場の予定を担当者に聞く。19:30の最終便が出た後は翌日の7:00の始発までは使用可能とのことで、フェリーの動きを見てフェリー桟橋に舫い、スプリングを取り擦れ止め付けて夕食を取りに上陸する。
 初日を無事終えて全員笑みがこぼれる。しかし、明日の早立ちを期して眠りについた。
12:00、桟橋に新造船が着くので移動してくれとの要請があり、桟橋の反対側に2隻横抱きに舫っている外に横抱きさせてもらう。さらに01:30横抱きをした船のエンジンが掛かり移動するとのこと、多少の揺れは覚悟してフェリー桟橋の正面に舫う。最後に横抱きした船が出た跡に着けたのが03:40である。翌日は、07:00までには港を出なければならない。数時間の睡眠を取る。

<伯方→高松>
 5月2日備讃瀬戸の東流のゲートは08:33から14:53、最強は11:27に2.0ノットの流れがある。瀬戸の中で巨大船がパイロットボートを先導して航行するのに遭遇する。航行困難船なので前方に来る可能性のある船を排除するためである。追い風になりセールアップして走る。風速徐々に高まり、真風速表示で11mを越える。波も高くなり始め波頭が砕けて白い泡を撒き散らしだす。その泡をブローが吹き飛ばす。既にオートパイロットでは制御困難になり始め手引きを開始する。
 高松のシンボルタワーを目指して進み、12:50高松港に入る。ショップ「Fleet Wet」の矢部さんのお世話になる。舫いを取った後、港を見ていると次々とヨットが入港するも空きバースが無く引き返していく。一隻のカタマランが隣にある給油桟橋の陸側の隙間に入ろうとしてマストをガントリークレーンに当てるのが見えた。乗組員は全員下ばかりを見て気が付かず、お互いに怒鳴りあっている。マストが当たっている旨の声をかける。

<高松→和歌の浦>
 5月3日鳴門を渡る。南流のゲートは07:49から13:56、最強は10:55に−8.2ノットの南流、連れ潮である。高松から、鳴門まで35マイル、6ノットとして約6時間、転流の最初に合わせるなら、01:49出航、最後なら07:56出航である。07:00に高松を出で鳴門を越え、風により、徳島あるいは白浜を目指す。
鳴門に11:00到着、最強の連れ潮時である。風は東、最大で21.6mを記録する。潮と逆らう風である。至る所に三角波が立ち、波頭砕け飛沫を飛ばす。パンチングでバウが叩上げた飛沫間髪をいれず顔面を霰射し、眼鏡がたちまちに塩で真っ白になる。右舷に表面が静かな蒼い丸い目玉状の湧き上る潮があると思うと、左舷に空気を含んで緑がかった乳白色の沈下していく潮がある。と、次の瞬間、一面の三角波となり波頭白く砕け、潮目を隠す。先行する本船、突然スターンを振るのが見える。それを風除けとしてその直後について渡る。本船が静めた波はヨットにはありがたい。風に煽られ、ジブのカバーが解れだし、3ポイントにリーフしたメインの3番バテンの袋の先が破れバテンがメインのシバに徐々に突き出てくる。紀伊水道を吹きあがる波と北東の強風、徳島、及び白浜は到達困難と判断して、和歌山を目指す。淡路島の東南の沖にある沼島の風下に一時避難し体制を整え、時計回りに沼島を回り、ここより東に針路を取って、和歌山市南の和歌浦マリーナに避難する。

 5月4日、風待ちをする。終日驟雨と強風で港内に白波が立つ。船内では、清水タンクに混入した海水対策を行う。清水タンクはバウ110リットル、左舷180リットル、右舷190リットルの3タンクがありバウタンクは浮力をつけるために空にして出航した。左右の清水タンクは満水にして出航したがこれに海水が混じり使用不能になっている。原因追求をする。海水洗い用のフットペタルの下に清水タンクからの配管がありコックで切り替える構造になっている。このコックの切り替えに弛みがある場合、船底からの海水が水圧で清水タンクに逆流し漏れこむ構造である。切り替えコックを固定し、清水タンクを空し、出航に際して再度充填する。夕方になり、天候が一段落した後、デッキでセールの交換及び補修をする。ジブの予備をセットするとバテン付である。荒天でのレースには向いているものの、ショートハンドの回航ではファーリングが不可欠であるので、元のジブに戻すこととし、解れだしたカバーを除去する。このカバーは後付けダストカバーであり、基本的に不要なものである。メインのバテンポケットの入り口を全て縫い付け、飛び出し始めてバテンは一旦抜き出し、ポケットを補修すると共に、バテンのリーチ端にアルミガムテープで円盤状のふくらみを取り付け脱落防止の補強する。

<和歌浦→串本>
 5月5日06:00串本を目指す。空にした左右の清水タンクを給油バースで満水にする。バウ清水タンクは空のままにし浮力を維持し波にバウが突っ込むのを軽減させる。天候は西風が吹き回復基調のように見受けられた。5マイル沖だしを日の御崎までほぼ真南に針路を取る。串本までは75マイル前後の航程である。紀伊水道の日の御崎過ぎる頃は波も高まり、風も北西14mの真追手となる。オートを外し手引きを開始するが、サーフィンで波を駆け下り水との相対速度が低下して舵効きが悪くなったとき、当て舵操作に一瞬の迷いが生じると風上に詰めあがり、当て舵を戻すのが遅れるとワイルドジャイブをして、ブームが音を立てて頭上を横切る。
16:00串本にはいる。ドライスーツでダイビングしプロペラに巻きついた海藻を取る。以後、港に着くごとに励行する。給油の後、明朝のロングレグに備えて水・食料の買出し及びお風呂、食事に上陸する。食料はお湯、コンロを使わなくてもよいパン・果物・菓子類を中心に買い整える。

<串本→尾鷲>
 5月6日00:00出航する。月明下深夜の出航で、見張り強化のためレーダーワッチで串本港を東に抜ける。2マイルレンジでも漁船、本船のエコーが多数見える。まずは、出口の岩礁・島を監視するが、背が低いものは波面除去機能を調整してもエコーが定まらず、月明下のデッキ見張りに依存する。湾口をでると、多数の船舶の間を縫って航行する。レーダーのグリーン画面、GPSの原色表示が暗闇になれた目に痛い。レーダーの数回のスキャンを憶え、左右に回転するものを除き相対方位が変らないエコーをデッキに報告する。その中で、最も近いものにカーソルを固定し、相対方位と距離をワッチする。揺れの中、高輝度のレーダー画面に眩む目で数分画面をワッチし細かいカーソル操作をすると嘔吐感が胃の腑を突き上げる。机上に突っ伏して目を閉じ気分を回復させ、カーソル位置のエコーの状態を確認する。一隻のため衝突回避の針路変更をするとレーダー画面が一変し、新たな衝突針路の船舶を検索、デッキに報告する。ようやく前方に船舶のエコーがなくなる頃は、窓が白み始める夜明けの4時である。暫時の休養をデッキに要請してバウの寝袋に潜り込むが、パンチング音、ローリングの揺れに加えて、足が冷え切って寝付けない。嘔吐感を紛らそうと努め、暫く抑えるもついにヘッドに駆け込み吐瀉する。繰り返し嘔吐するが、再度以降は吐瀉内容物がなく胃液が滴るに留まり嘔吐感は治まらない。本回航での本格的船酔いである。昼過ぎ、デッキより、完全装備でオンデッキの指令あり、緊迫感が走る。昨夜の天気図、及び天気予報によると天候は回復して西から高気圧が張り出すとのことであったが、熊野灘では風は14mを越える北風、波高2m前後の南東のうねり、後ろの西を見ると青空が垣間見えるという海況である。今後、このまま東行するか避難するか協議する。昨日の天気予報が遅れてくるのならこのまま我慢して東行を継続する。しかし、これ以上悪化するのであれば、船体・乗員の安全のため避難する、との協議である。進行方向東の空は雲が低く真っ黒であり、後方は晴間が見える。天気予報とは異なる天候である。回避する。揺れる船内でチャートを広げ、この風と波で避航可能な港を探す。串本に戻るには追手、左後方紀伊半島で、アビーム方向に尾鷲がある。尾鷲に回避を決定する。尾鷲で、新オーナー下船し、交替に佐伯のナイト・ランスロットの西山さんが乗船する。本日の昼過ぎの緊急応援要請に応えての即応支援で、昼過ぎに佐伯を出発し、翌朝3時の尾鷲到着である。

<尾鷲→下田>
 針路79゜で104マイル行けば御前崎、80゜で134マイル行けば下田、83゜で164マイル先は伊豆大島である。交代要員の休養を待って5月7日07:00に出航する。目的地より見てオーバーナイトが必須のレグである。西風に乗って快調に機帆走し、夜ワッチ体制となる。第三ワッチの翌02:00突然風が東に振れる。海況は昨日の熊野灘と同じで、北東の強風に南東のうねり、後方は晴れて星空が見える状況である。クローズホールドでヒールして走る。6時頃、エンジンが突然ストップする。休憩していた大須賀キャップテン、直ちにエンジン修理に掛かる。数回、エンジンが回復始動するも暫くするとストップする。洋上給油をしエア抜きをして始動かけるが、現象は変らない。重大故障の懸念が出てくる。既知の港でマリンサービスが期待できる下田に午前9時入港する。入港に際しては、湾内まで真上りを帆走で行き、メインを下ろしてジブで湾内を流しながらマリンサービスの引き舟を待つ。強風の中の帆走入港を見て、この帆走技術ならベテランであまり焦ることは無いと判断したとのコメントをハーバーマスターからもらう。GPSの軌跡を見ると、教科書にあるような「帆走による風上港への入港」であった。一部部品を取り替えてエンジンが回復した後、給油、食事をする。陸上支援部隊との会合待ちを兼ね暫く休養する。コインランドリーで肌着を乾かし、ブームに濡れたレインギアを干して、汗を飛ばす。

<下田→勝浦>
 5月9日深夜00:00出航する。8日の天気図に上海に低気圧が発生し、北東に毎時35キロの速度で日本に近づいている.この速度を保つと仮定すると、関東上空に低気圧が来るのは11日午後3時と推定されるが、東シナ海の海温が高いとメイストームとなり速度を速めて襲来する恐れがある。針路96゜で24.5マイル行くと伊豆大島、これをかわし67゜で28マイル先には勝浦がある。房総半島に取り付き、様子を見ることにして11:20勝浦に舫いを取る。
海上保安庁、天気図を土産の臨検である。船検証、免許書、臨時航行許可書など検査し、最初に舫った場所は漁船が使うので桟橋の反対側に移動する旨の指示があり、天気図を示しながら明日は大荒れの予想なので出航は見合すよう慫慂される。バース移動後、お土産の「いいちこ」を持参して海上保安庁と漁協に挨拶に出向く。10日は天候回復待ちをする。

<勝浦→大洗>
 5月11日、久しぶりの上天気である。大洗を目指しコースを引く。針路185゜で4マイル沖だしをする。97゜で15マイル進み、勝浦出しの浅瀬群を避ける。43゜45マイルで銚子岬を目指す。84゜で38マイル沖だしをし九十九里浜沖の遠浅に因る高波を避ける。このまま、進み鹿島灘を越え、最終的には303゜9マイルで大洗に入るのが最終レグである。
 06:00に朝日を浴びながら出航する。本回航で初めての上天気に恵まれ、トビウオが滑空し、カツオドリが群れ集う青い海を時々成田からのジェット機が見える青い空の下、のんびり航海する。風は弱く機走主体であるが、連れ潮にも恵まれ7ノット近くの対地速度を維持する。大洗のアプローチを山口より支援してもらい、最終アプローチの変針点をGPSにセットする。最終変針点通過時には午後7時近くになり、レーダーワッチで堤防に近づく。大洗の町に光が多数点滅し、灯台の灯やマリーナへの目標となるマリンタワーの所在がはっきりしない。港に入ってから陸上部隊に連絡を取るとマリーナからは良く見えるとの連絡で、サーチライトを点滅してもらいバースに誘導してもらう。舫いを取ったのは19:30である。
  翌日、清掃及び回航用品を下ろし、オーナーに最終的に鍵と共に引き渡す。解散したのが午後1時過ぎである。


ランスロト艇長 西山氏のレポートはこちら