ヨット「正裕」回航記

レポーター 西 山  隆



  5月6日(木)12:00過ぎ。
  携帯の着信音が鳴る。
  大須賀氏からの電話だった。疲れきったような声で回航の手助けを依頼された。串本から出港して直ぐに悪天候に行く手を阻まれ、新オーナーと末岡氏がダウンして孤軍奮闘してやっとの思いで尾鷲港に入港したようだ。全ての予定をキャンセルして、直ぐにランスロットに行き荒天用のギアなどを持ち出して万全の準備をして、臼杵港に向かった。
  14:40臼杵発宇和島運輸フェリー「おおいた」に大須賀氏の家族とともに10分前に乗り込んだ。行く先は三重県尾鷲市。17:00に八幡浜に着くと大洲から愛媛自動車道を経て伊予三島で徳島道に入る。快調に距離を刻んでいく。徳島で軽く夕食を済ませ、鳴門大橋を通過。21:00明石大橋の淡路島SAで休憩。暗闇の中にくっきりと明石大橋がライトアップされて映える。そのまま、山陽道、名神高速、東名阪を経由しながら、天理市から亀山市へ。名古屋方面の湾岸道路付近で道を間違えた以外は大した間違いもなく5月7日(金)04:00 尾鷲市に無事到着した。魚市場から離れた場所に、マスト灯を点けた「正裕」が見えた。大須賀氏が起きてきて近くのコンビニに買出しに行き、艇に戻ると直ぐに眠った。
 朝、07:00 新オーナーの須田氏は仕事のためにここで船を下りた。07:30私の眠っている間に出港した。クルーは大須賀氏、末岡氏、私の3人、港外に出たところで写真を撮る。それからまたキャビンに下りて、眠った。エンジンは2500回転、潮に押されているのか、対水速度が6.5kt前後に対して、対地速度は8kt以上を示している。比較的力の無いSEの風の中、遠州灘で順調にログを稼いだ。夕方になり、点灯した頃からワッチ交代ができる体制にする。ライフジャケット、ハーネスなどを装着して夜間航行に備えて一人休み2人ワッチの体制で航行した。
  5月8日(土)明け方、交代のためにキャビンから出ると風向きが変化してクローズになっていた。ジブはファーラーに巻き取って、メイン3ポンリーフ、機帆走で走る。潮の後押しも無くなり、イーブンの走りが続く。09:00を過ぎた頃から徐々に風速が上がってくる。伊豆半島が確認できる頃には風速が12m/sを超えてきた。波高も3mくらいになっている。その中でエンジンが不調になった。ジブを少し展開して、オートパイロットを切って、ラットを握って手動でコースを維持する。風が前に回ったので、コースを落として走らせた。一旦は回復したエンジンが再び止まる。何度も始動するが少しすると止まってしまう。そうこうするうちに神子元島に近づいてきた。白波が激しくなり、瞬間で17m/sを超える風速になってきた。初めて真近くで見る神子元島は、荒々しく魅力ある風格でそこにあった。その上(かみ)をぎりぎりにかわしてそのまましばらく走らせた。後での話だが、島の写真を撮り損ねたことが返すがえすも残念だった。荒天の中で3人ともそんな余裕が無かったからだが。そこからタックしてGPSで確認してもらった角度で下田を目指す。下田に近づいたところで、末岡氏にもう一度位置の確認をしてもらう。岸寄りに近づいたところで地形から判断して東に向かいすぎている気がした。再度確認してもらうと、思ったとおり、西にある湾が下田港への入り口だった。ジャイブしてランニングでそちらに向かう。10年ほど前、ランスロットを回航した時に下田を目指して座礁した「しょうが根」が視認できた。明るいところで見ると、確かに夜間、特に東からのアプローチは危険な場所だというのがよく分かった。
大きく洗岩を迂回してから上りになる下田港へタックを繰り返しながらアプローチした。アンカーの準備などをしながら下田ボートサービスの沖係りで泊めているヨットの近くまで艇を進めた。メインを降下してジブのみで留まって待っていると、伝馬船が近づき手際よく曳航の準備をして、下田港の川の奥にあるポンツーンまで曳いて行った。ポンツーンにつける頃には港内でも風速が強まって、リギンがヒューヒューと鳴いた。下田ボートサービスのメカニックがエンジンを手際よく修理していく。しばらくするとボートサービスの伊藤社長が顔を出す。名前を告げると直ぐに思い出してくれた。握手して偶然の再会を喜んだ。
  丁度ポンツーンの近くはペリー提督上陸の地で記念碑が設置され、よく整備されていた。10年前にあった倒産した造船所跡地は、多目的広場に変わっていた。岸壁もきれいになっていて、いかにも観光地の港といった感じになっていた。
どうせ艇に居てもすることも無い。そこで市内に3人で向かった。末岡氏がコインランドリーで洗濯を済ませて、3人で遅い昼食を摂ることにする。下田は金目鯛が有名だそうで、近くの割烹で金目鯛の煮付け定食を注文して食した。非常に美味で、そのおいしさを堪能することができた。
 一旦艇に戻った後、まだ日が高いので、歩いて市内散策をする。東急伊豆下田駅の近くに行くと、寝姿山ロープウェイが運行されているのが見えた。1000円の往復券を買って3分ほどの行程に乗る。200mほどの山頂駅に着き下田港を望む。風は弱まっていた。沖も波が無いようだ。大型のスループが1艇、帆走で沖から入ってくるのが見えた。しばらく山頂付近を散策して最終の便で下山した。メイン通りを歩いていくと、唐人お吉縁の寺などがある。商店街は開港150年祭でアメリカ、日本の国旗が一面に飾られていた。

  ポンツーンに着くと、翔鴎(かもめとぶ)が停泊していた。41ftの正裕が小さく見える。60ftは優に超える大型艇だ。ポンツーンの上でバーベキューパーティーを楽しんでいた。


  夕方、明日の運行をどうするか大須賀氏と話し合う。天候の変化からして早めの出発が適当という結論になった。次の寄港地をどこにするかで迷ったが、ハウステンボスのうみまるの松浦さんに連絡して、千葉勝浦が適当だろうとのアドバイスをいただき目的地をそこにすることにして、陸上サポートのしんちゃんが到着してから出発することにした。ところが、いつまでたってもしんちゃんが到着しない。沼津を2時には通過したことは分かっているのだが、それからの足取りが掴めないのだ。とうとう警察に捜索を依頼することになった。21時過ぎてもまだ居場所が分からない。何か事故にでも巻き込まれたのではないかと心配になった。が、心配してばかりいても始まらないので、大須賀氏と2人で遅い夕食を摂った。末岡氏は艇に留まって、天気図を確認していた。22時過ぎてやっとしんちゃんと携帯で連絡が取れた。とあるところで油を売っていたようだ。何はともあれ、事故でなくてよかった。
  5月9日(日)00:30下田を後にする。暗闇の中、一直線に沖出しをした。本船航路に掛かるためにワッチを厳重にする。メインは揚げずジブのみ展開した。本船がひっきりなしに行き交う場所を慎重にレーダーを監視しながら横切った。伊豆大島南岸の浮生港付近に来て、ようやく本船から離れた。大須賀氏が休憩に入り、末岡氏と2人で夜間航行をする。その後、大須賀氏と交代して眠った。
  結構がぶられて目が覚めた。末岡氏とワッチを交代する。房総半島沖を走っていた。
うねりが強い。風はたいした事は無い。鴨川沖で背びれがツートンカラーになったイルカと遭遇した。しばらくすると海上保安庁のヘリコプターが飛んできた。遠くに巡視船も見える。何か事故があったのかも知れない。横から受けるうねりのためにローリングがきつく、乗り心地がよくない。風も少し前に変わる。11:00勝浦港にアプローチ開始。港外に点々と暗岩があるようで、慎重に港の入り口を目指した。直前にカツオ船が入っていったのでその後を追うように入港した。港の一番奥の突堤側に接岸してもやいを取った。しばらくすると巡視艇が入ってきた。陸上からも若い保安官が2名訪れて船検証と免許証を確認し、泊めている場所は地元の漁業関係者の場所なので別の場所に移動することを勧めてくれた。巡視艇の停泊場所の横がいいだろうと言われ、そこに移動した。しばらくして保安官の一人が親切に天気図を持ってきてくれた。その後、陸上からしんちゃんが到着して、近くのホテルへ行き、バイキングの昼食を摂った。それからそのホテルにあるスパでリラックスして長旅の疲れを癒す。



 艇に戻り、明日の天候が回復しないようなので、もう一日勝浦に留まり、明後日出港することになった。
3人ともまるで死んだようになって眠った。夕食は外に出る気にもならず、ひたすら休息を取った。
  5月10日(月)私は仕事があるので、ここで艇を降りることにした。
朝、海上保安庁に出向き昨日のお礼をいう。そこで天候を確認させてもらった。次に漁協事務所に出向いて、事務の女性職員にもう少し停泊させてもらいたいと依頼したが、丁度カツオ漁の時期で多くのカツオ船が入るため、近くの漁港へ移動するように言われた。大須賀氏が交渉してなんとかそのままの場所に置けるようにした。
  近くのデニーズ(ファミレス)で朝食をした後、外房線の特急で東京に向かった。1時間半程度で東京駅に着く。それから秋葉原に行って色々と物色する。ここで格安チケットを購入することができて、15:55のANAで大分に帰ることにした。
  羽田を飛び立ち、西に飛行すると徐々に天候が回復してきている。多分明日からのクルージングはこれまでよりは楽になるだろうと思いながら短い復路の中、長かったが楽しかった往路を思い起こした。