サザンクロス回航報告
中島(成合津
 11月6日(土)払暁の4:30墨を流したような別府の北浜ヨットハーバーを出航する。今回の作戦名は「逃げろ、ブルー・オーシャン」である。
 ボン、ボヤージ!
 昭和16年11月26日択捉島ヒトカップ湾を密かに出航し、ハワイの太平洋艦隊を撃滅した連合艦隊の出撃を彷彿させる情景だった。岸からの見送りは1人もいない。ネコもいない。
 乗組員は艇長で、別府北浜ヨットハーバーのハーバーマスターであり、前オーナーである大須賀氏、ベテラン航海士、機関士である、S氏、N氏、そしてオーナーになったばかりの中島が従軍カメラマンとして乗り組んでいる。他に陸戦隊として一人が6輪式装甲ワゴン車で路先回りして補給、宣撫にあたる。

 5:00頃、メインセール、ジブセールを揚げるが風が弱く、エンジンも回したままで航行する。夜が明ける頃、前方には多くの小型貨物船が錨を入れ、停泊している。聞くと新日鉄をはじめとする大分コンビナートへ入港する、沖待ちの船という事だ。
 大分空港沖を通過する頃はすっかり夜も明け、この先の安全な航海が約束されたようなものだ。否、の筈だった。その後、別府湾を出て周防灘へ入ると凪とは言え、うねりが出てきた。このあたりで、オートパイロットをセットする。中島も初めて見るが、内にジャイロコンパスが組み込んであり、一度航路をインプットすると、潮流や風でコースを逸れても自動的に正しいコースに戻して目的地へ導く、優れものの装置である。但し、レーダー、深度計等とは連動していないので、人間の見張りは欠かせない。まだ余裕の中島は、豊後半島の両子山や右舷の姫島を見て、ルンルンでこの遠洋航海を楽しむ。

 今回の回航は、別府で中古ヨットを購入したため、中島の繋留地の天草大矢野島まで移動するためである。天草と言えば、熊本県本部長たる「生田サブオーナー」出生の地として由緒正しい土地柄、特に我々熊本県人にとっては「聖地」である。
 去る11月4日進水式を厳かに執り行ったが、オーナーの権利として船名の命名権がある。身の丈に合った地味で堅実なものをと思い、40個程考えた。最終段階に残ったものを上げると、「潮路」「海鷹」「ひねもす」「庵」「口紅商人」「「処女雪1号」「イ400」「サブリナ」「ラッパ」「とよこ」「さゆり」「スミオ」「あけみ」「よしえ」「チャレンジャー」等があった。結局、今後のことを考えて「サザンクロス」に決めた。前の船名は 「セーラームーン」でオーナーの性格が分かろうと いうもの。

 ここで天草連合艦隊旗艦「サザンクロス」の要目を挙げておこう。
 基準排水量  国家機密
 総排水量     〃
 総 トン 数     〃
 全   長    30フィート
 全   幅    9.4フィート
 発動機関     ヤンマー式軽油噴射
           塩水冷却内燃発動機
 変速機      油圧トルク電子制御前進6速
           後進2速連続無断変速
 最大出力    軍機により不明
           推定16馬力〜1万馬力の間
 
 巡航作戦船速   6ノット/毎時
 最高戦闘船速   8ノット/毎時
 作戦航続距離  戦闘船速 40海里   巡航船速 180海里
 最大乗組員数   12名
 
 航海装置   
 主要装備
  ・ 戦闘海域水中戦況傍受装置(通称魚探)
  ・    極超短波衛星受信方式航路誘導装置(通称GPS)
  ・    三号対地、対水電波哨戒探知機(通称レーダー)
  ・ 超短波周波数変調方式受信機(通称FMラジオ)
  ・ IFF(通称 敵味方識別装置)
  ・ 全天候型自動操縦装置(通称 オートパイロット)
 艦内娯楽装置
  ・ 小型円盤音曲再生装置(通称CD)
  ・ 中波振幅変調方式音声受信機(通称AMラジオ)
  ・    超短波振幅変調電気映像受信機(通称テレビ)

 午後2時頃トイレでキジを打ち、デッキに上がるが、どうもおかしい。30分程立つがだんだんおかしくなる。上下左右揺れる中で狭いトイレに居たせいだろう。口数がめっきり減り、目が据わってくる。思わず立ち上がり、手すりをしっかり持つ。途端にゲ〜、グエッ〜、っとしたたか吐く。昼飯も食って無かったので吐くものが無い。それでも吐く。しかし、「俺は男だ、クライマーだ。ゲロは吐いても弱音は吐かない。」ウン!
 その後、幾らか楽になり、血染めの鉢巻を巻いて??ワッチ(当直)に立つ。右40°雷跡!面舵いっぱ〜い!続いて、左舷30°高度2000。艦上攻撃機6機。撃て〜!。とは言わなかったけど・・・・。もう、何でも有りの世界、メンタンピン、ドラドラ、満ガンだ!どうにでもなれ。

 関門海峡の転流は午後4時となっている。それに間に合うよう機関の回転を上げる。
 午後5時関門海峡を通過。西流れの時速6ノット、さすがの関門海峡だ。夕日が正面にあり逆光となる。下関港に日本最大の帆船「日本丸」が停泊している。戸畑に接岸しようとするが、空いている桟橋がなく遠賀郡芦屋町の港を目指す。もう、周囲は闇に閉ざされている。
 
 いよいよ玄海灘だ。戦中戦後は、幾多の将兵、軍属、民間人がこの海を渡りながら、多くの人が再びこの海を渡ることが無く、近くは首領様のいる国の工作船が暗躍している海でもある。その海を今、渡っているのだ。庵の会員だったら「帰り船」「岸壁の母」の歌詞にジ〜ンと来る人が多いと思うが、その舞台の玄界灘を今航行しているのだ。まさか、自分がその海を航海するとは夢にも思っていなかった。

もうすでに周りは真っ暗で、自船、他船の航海灯しか見えない。全くそれしか見えないので遠ざかっているのか、近づいているのか自船の進路と交差するのかしないのか漁船なのか貨物船なのか潜水艦なのか中島にはさっぱり分からない。更に、暗い中、良く魚網の目印に入れてある竹が良く見えるものだ。

 空を見上げると満天の星とは言えないまでも、宵の明星やM−78星雲などがよく見える。

レーダーは使わず、GPSとノートパソコン上の電子海図を併用して航行していく。見事だ。中島にとっては恐怖が先に立ち、絶対夜間航行はしたくない。雪山の方が余程良い?

 中島にはどこがどうなっているのかさっぱり分からないのだが、徐々に芦屋漁港が近づいているらしい。港の周りの水銀灯や野球場のナイターの照明が幾つもあってどれが防波堤の灯か皆目見分けがつかない。防波堤を回り込んでホットすると艇長の「深度計を読め!」の声が挙がる。4.7m。4.6m。4.5m。・・・。何とか北九州と福岡の中間である遠賀郡芦屋漁港の岸壁に接岸する。21:30分未明の出航から17時間の遠洋航海だった。

 土曜の夜で家族、友人同士で釣り糸を垂れている人が多かった。
舫いを取り、いつでも出航できるよう燃料補給をした後、週番士官1名を残し、夜食兼反省会のため、ワゴン車で「ジョイフル」を目指す。中島は自信を失い、食欲も無い。しかし、寝る前にN氏から親身のアドバイスを貰い、ちょっと気分が上向く。

 11月7日(日)
 期待していた博多湾も遠く沖合いを航行したため全く見えない。

 昨日の戦訓を基に朝から何も食っていない。うねりは有るものの、今日は大丈夫と考えていたが甘かった。だんだん口数が少なくなり、昼前にやっぱりやってしまった。ゲッ〜〜、ウエッッ〜!もうたまらん。

 


  しかし、そうは言っても北九州〜博多〜長崎〜韓国〜中国を結ぶ本船航路なのだ。いろんな種類、大きさの船がすれ違ったり、追い抜かれたりして飽きることはない。

 突然、エンジンの音が変わった。中島は燃料切れかな〜などと考えていたが、艇長はあわててエンジンスイッチを切った。確かに漁網がスクリューに絡まっていた。クルーが足を掴まえ、艇長自ら海中に頭を入れ、懸命に格闘の結果無事取り外すことが出来た。冬の海では一大事だ。







 編集長からは回航の経過とヨットに走った理由を出せとの厳命だった。勿論締め切り厳守。遅れた場合は控訴なしの銃殺刑。ヨットに走った理由はそれだ。

艱難辛苦、耐え難きを堪え、忍び難きを忍んで幾星霜。しかし、現実は・・・。

 真昼間からビール、ワイン、焼酎、オンナに狂い、頭も狂い、「ここじゃ俺が法律ダ〜」「早よ、バイアグラば出さんか〜」「「俺は首領様ダ〜」「熊本県人は田子作じゃ〜」「さっさと原稿ば、出さんか〜、このピーマンが!」と叫ぶ、某オーナーの姿は空しい。一人だけじゃなく、最近は皆変になって来て、庵に居るとそれが分からず、ごく普通に思えてくる。例えば某山本警部補殿にしても、「オウ中島よ。お前ば引っ張って懲役打つくらい、俺の作文でどげんでんなるとぞ!分かったか!分かったら早よ攀らんか。バカが!」何で、50も過ぎて福岡県警の「ひまわりさん」じゃなかった、「おまわりさん」からムチで打たれながら岩場を這い回らんとでけんとですか?何で、こんなことが当たり前になるとですか?

 人一倍内気で、人見知りする中島は次第に神経が蝕まれてきたのだ。ひどくなる前に早く対策を考えないと一生、山口師匠みたいな人生を歩むことになる。娑婆じゃ、皆が一目置く財務省の筆頭課長なのに庵に来たとたん「バカ哲」呼ばわりされて、回りもそれが「フツー」と思っている。もっと悲惨なのは本人もそれに慣れて「フツー」と思っていることだ。ああ嫌だ!恐ろしい!その点、ヨットは最高だ。山ヤは衣食住を背中に担ぎ、雪山を登るが、ヨットは衣食住の上に乗っていれば風が運んでくれるのだ。瓶ビール2ケース積んでもなんのその。その上、公海上では、司法権、裁判権、死亡確認は、艇長の手にあるのだ。という事は銃殺やり放題?

 しかし、我が師匠はエライ!57を過ぎてなお「バカ哲、早よ来んか」と怒突かれても、更に上を目指す態度はさすが熊本県人である。某オーナーによると、「熊本県人は芋がらぼくとだ。熊本の骨のある男は西南の役で全て死んでしまったんだ!」鳥井某会員然り「まさか、あそこで山口さんが墜ちるとは思わんかったもんね。ヘヘヘ・・・」何と言われても攀る否、何度墜ちても又攀る。誰でもは出来ないことだ。

噂によると庵端では「長洲と天草に2隻の船を持っとるけん平成の連合艦隊司令長官だな」とか「荒尾の若大将」とか「いよいよ庵メンバーの単独太平洋横断が確実になったなあ。バンザイ!」とかいろいろ陰口が言われているようだが、精神衛生上良くないので、あまり気にしないようにしよう。

 装備を見てみると、レーダー、魚探、GPS、速度計、風速計、コンパス2ヶ、気圧計、水深計、とフル装備で、あとないのは体重計くらいだ。「あとオプションでパトリオットも付けられますよ」と言うので幾ら?と聞くと、実弾3発と訓練費用込みで32億円とのこと。

 もっと安いのでと言うことで、現在93式短魚雷と30ミリ対空機関砲の見積もりを取っている。

艇長からは呼子入港3:30と聞いていたが、2:30時を過ぎると大分陸地に近づき、呼子〜壱岐間のフェリーが入港するのが確認できた。呼子の港外は小さな島や暗礁が多く緊張する。

港口が近くなると艇長から矢継ぎ早の指示が飛ぶ。入出港時はいつも空気がピーンと張りつめる。新人の中島は何のことか分からずテレーっと立っている。早くあんな艇長になりたいものだ。

 中島には是非実行したいことがある。それは、今後一人前のヨット乗りになったら是非、某オーナーを遠洋航海に招待しようと思っている。否、絶対乗ってもらう。目的地は、五島列島でも男女群島でもどこでもいい。そのときの某オーナーの醜態が目に浮かぶ。荒れ狂う波で激しく上下するデッキで、艇長の中島にしがみつき「中島君、助けてくれ!今までのことは俺が悪かった。みんな忘れてくれ〜!もう、熊本県人の悪口も言わない。ついでにクソ哲、バカ哲も言わないと約束する。もし私を助けてくれたら、君をその時から『庵総裁』にしてやる。ウエッ〜、頼むから何とかしてくれ!」

 そこで中島「三沢さん、水臭いですよ。手を上げてください。でも、どうしようも無いですよ。低気圧が通り過ぎるのを待つしかないですよ。ナニが何でもと言うのなら降りてもいいですよ。後は知りませんよ!それと、言いにくいんですが、ここじゃ僕が法律ですからネ。まあ、観音様かネプチューンにでも祈りをささげましょう。ああ、三沢さんは浄土真宗他力本願寺派だったですね。」・・・・こうなるといいのだが。
 いよいよ呼子入港である。正面奥にハープを並べたような美しい呼子大橋が見える。天気は上々で湾は奥深いから波は静かだ。舫を取る岸壁の見当が付かず迷っていると正面から出港しようとする佐賀県唐津所属のヨットが接近してきた。聞くとあっちと指を差して教えてくれた。向かうと絶好の岸壁があり、接岸する。

 無事、呼子まで来た。訓練生中島はここで下船だ。後は長崎を経由して明後日待望の天草へ入港の予定だ。


 何でも、夕方「別府ヨットクラブ」の会長が我々の遠洋航海を労って、わざわざ当地呼子まで来られるそうで、それまで海産物の露天を冷やかして歩く。夕方になりホテルで一席設けられていて、中島以外は旧知の間柄の席に、中島も入れてもらう。イカの生き造りがメインの会席料理だ。恐縮して感激する。どこかのオーナーとはエライ違いだ。10年程前になるが、某オーナーのきらびやかなマンションに山口師匠と同宿したが、出てきた夕食は洗面器に入ったソーメンだけだった。嗚呼!話によると会長さんも若い頃は山の経験があるそうで、「山から海に来る人は多いよ」とのことだった。

 これで中島の苦しく、新鮮で楽しい初航海も無事終わり、艇長他クルーと別れ帰途についた。
「サザンクロス」は、その後順調に航海を続け、長崎のヨットハーバーで一夜を過ごし、11月9日午後4時無事、上天草市成合津(なりあいづ)漁港の桟橋に接岸し、舫を取った。別府から3泊4日の航海だった。艇長他クルーに感謝!