四 国 周 航 記

Ramage末岡多加志

末岡 博美

 4月26日に別府を出港し、四国を反時計回りに周航、5月9日帰港の、全航程466.3マイルのクルージングを無事終えることができたので、その概要を報告する。

0.準備

 数艇で行く短期間のデークルーズとは異なり、単独で長期間航海をするため事前に準備しなければならない事柄がある。

・船舶検査上の航海区域変更手続き
・不慣れな海域を航海するために必要な機材の集積
・低気圧等で港に降り込められ場合など泊地での生活に便利な機材
・ヨットでの朝食、昼食や泊地で夜に外食ができないときの食料、飲料
・身体の健康維持、応急手当用品の準備

 など、多岐に渡る項目があり、特に、船検関係は早めに手続きを開始しておく必要がある。

航行区域変更
 これまでは臨時航行許可書を申請していたものであるが、今年より沿岸5マイルの航行区域を限定沿海区域に付加することができる法改正が行われたので、これを申請することとした。限定沿海区域に加えて陸岸より5マイルの間の航行ができれば、日本一周も可能である。また、臨時航行許可のように有効期間が1月といった制限が無いのもありがたい。
 小型船舶検査機構に問い合わせれば詳細を答えてくれるが、実際に申請をした結果、注意することは、

・基本的に有料の臨時船舶検査が必要で、法定備品の検査など立ち
 入り検査がある
・新たに付加される備品の信号火箭は本来2本であるが携帯電話が
 あれば1本でよい。ちなみに1本
・その他、双眼鏡、ラジオ、コンパス、チャート等の提示を求められる

航海機材積み込み
 海況、泊地の環境、天候など心配し始めるときりが無くなるが、天候悪化時には幾つかの避難港に逃げ込め、悪天候を港の入り口に近い所で引き波に揺られながら凌ぐことを想定して準備した。

・大きめのアンカー(12kgの唐人錨)を追加して3本のアンカーを搭載
・アンカーロープ100mに台風対策用の繋留ロープ100mを追加
・漁港の岸壁の角とロープの擦れ止め(花本さんから頂いたものに
 2個自作品を追加)
・軽油用ポリカン3缶
・チャート、港湾案内、潮汐表、連絡リスト
・備え付けGPS、GPS機能付パソコン電子チャート及びハンディタイプ
・天気図用紙
・雑誌「舵」の泊地記事を抜き取いて製本したもの、並びに「みずほ」の
 四国一周レポート
・ハム無線機、充電器、デジタルカメラ
・懐中電灯x2
・プロペラ巻き込み対処用にダイビングセット一式とドライスーツ

泊地生活機材
 泊地に降り込められた時、買い物などで移動するために折りたたみ自転車を用意した。また、港によっては岸壁が高く乗り移りが危険になることもあり、梯子代わりの脚立を搭載、携帯電話の日常の充電及びヨットの工作が万一必要となる場合に備えて商用発電機および幾つかの電動工具を積み込む。

さらに、泊地での親善活動用にと贈答用の大分産の焼酎を余分に用意した。

・自転車x2
・空気ポンプ、パンク修理キット
・発電機、ガソリンタンク
・贈答用焼酎x15
・電気ドリル、サンダー(切断砥石)
・発電機オイル
・直流配線用電線10m
・折りたたみ脚立3m(北浜ヨットより借用)

航海計画
 時間に制約されることが無いので、無理をせずに気力、体力の維持ができる航海計画を立てた。まず、体力のある始めの内に太平洋側を渡り、1日に40マイルを目処に日のあるうちに港に入ることを目標とした。また、低気圧により2,3日降り込められることを想定して、それを都会地でやり過ごせるように停泊地に県庁所在地を配置した。

その他考慮した項目は以下のとおりである。

・航程が伸びない場合を想定し、途中の避難可能港をリストアップし、
 「港湾案内」を すぐ開けるようにポストイット貼付
・各航程中にポイントとなる地点までの航程をリストアップし航程管理
・ワンポイントリーフで航海し、ツーポイント用ロープは常にセット
・レーダーリフレクターは常時ホイスト
・オーニング常時取り付け、ドジャーは外す
・機走時は2個の電池を並列に充電、停泊時は1個を交互に使用し
 2個とも放電してしまわないように管理

食料その他

 泊地に食堂があれば、夕食はなるべくこれを利用し負担を軽減するが、場所によってこれが無い場合に備えてレトルト食品を積み込む。また、朝食、昼食は前日にご飯を炊いた場合はおにぎりで対処することを想定し、泊地にスーパーがあれば適宜パンを購入することにした。

 ガスコンロ及びガス冷蔵庫用にガスボンベを幾分余裕を持って用意し、途中、適宜補充する。

・レトルトご飯、カレー、中華丼、無洗米
・ガスコンロx2、ガスボンベ
・ビール、ワイン及び焼酎各種
・インスタントラーメン
・蛤汁粉、ゼンザイ

ロング航海に向けて幾つかの対処を行った。

・収納物の転落防止にキャビン内の棚にネット取り付け
・   3m位の竹竿ボートフック自作
・   ワイルドジャイブプリベンター試作取り付け

 また、救急対策として、保険証、常備薬、バンドエイド等を用意し、長丁場になると必要になる爪切りをこの中に加えた。出航前夜に手足の爪を切って早めに休み、いよいよ出発である。

 ところで、我々夫婦の艇「Ramage」はYAMAHA−30CRS
エンジンはYANMAR 2GM−20 平成元年の進水である。

1.別府→津久見 4月26日 航程33.1海里

 初日は勝手のわかっているところが負担が少なくてよいと考え、津久見の深良津にお世話をかけることにした。

 佐賀関のゲートは10:49から18:06までが連れ潮で14:08に最大-4.7kntの南流となる。佐賀関まで3〜4時間と見込み転流にあわせて出航する。

 7:00 別府出航
10:40 20.6海里の佐賀関通過
14:00 33.1海里走って津久見に到着

 南東から東、豊後水道では北東の3m前後の風が吹き、ワンポイントリーフとファーリングレギュラージブで5ノット程度の帆走、昼過ぎには目的地の灯台の下に舫えた。

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 防波堤にはヒジキを乾していたのでなるべく踏まないようにしてロープを張りまわした。

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4/26

人で四国一周をしてみないか」と言われた日から、私の心は不安とストレスで一杯になってしまった。具合の悪い母のことも心配だったし、長丁場の野蛮な生活に、体力・気力か耐えられるか、・・・断る理由をあれこれ考えていたのだが、その気持ちを切り替えさせてくれたのが四国一週経験者、村田さんご夫妻からお借りした「みずほ 写真で綴る四国周航記」だった。

洋子さん、随分楽しんでいるじゃない!! 何だか私にもできそう!! どうせ行くならいっぱい観光し、いっぱい美味しいものを食べ、思い切り楽しもう!!

そして決めたからには弱音をはかないぞと心に決め、「るるぶ」「まっぷる」を買い、元気の元お酒をいっぱい積み込んで4月26日朝もやの別府を後にした。

1日目は私たちの共通の友達で、いつも美味しい魚を届けて下さる山尾さんが船団長をしている四浦半島の深良津に入る。

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近くの丸今荘で壮行会を開いて下さり、サザエの刺身やあじ寿司など食べきれないくらいのご馳走で大いに盛り上がって皆で航海の無事を祈ってくださった

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山尾さん宅でお風呂を頂き、明日に備え10:00に眠りについた。

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2.津久見→土佐清水 4月27日 航程 66.5海里

 距離が伸びなければ、途中40海里の沖の島で停泊する予定で
出航する。

 5:16  日の出とともに四浦深良津を出航
 6:10  4.1海里走り保戸島沖の灯台をかわす
 8:03  12.9海里で水の子灯台に到達
13:40  40.1海里走り沖ノ島の海峡を通過
16:30  66.5海里のあしずり港に入り、海上保安庁の船の
     後ろに舫う

 朝のうちは南東の風が5〜6m吹き、5〜6ノットで走れたが、水の子灯台を過ぎるころ、南に回り1.5m程度に風が落ちた。メインセールも降して風圧抵抗を下げ、機走で土佐清水にむかう。

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 土佐清水市には「あしずり港」「清水港」の二つの港がある。陸に向かって左側が「あしずり漁港」の「越地区」で、事前に調べたクルージングレポートでは、皆揃って舫いやすい港との記載があった。「港湾案内」の「あしずり港」のページを開きながら入港する。

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 赤灯台をかわして右に回ると巡視艇が接岸している大きな突堤が見え、その奥には漁船溜まりがある。巡視艇の後ろの水路側に舫い巡視艇に挨拶に行き、特に問題が無い旨の快諾をもらい、一安心する。

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 近くのガソリンスタンドに頼むと軽油を岸壁まで運んでくれ、ポリタンク2缶と半分位を補給できた。水は、10リットルのポリタンク2缶分を漁船溜まりにある水道より補給させてもらった。

 巡視艇のすぐ近くに葦で作った舟が艤装中で、完成後の5月8日に伊豆七島に純帆走でむかうとのことである。

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4/27

5:15深良津を出航すると、四浦半島と保戸島の間から朝日が昇ってきた。晴天で素晴らしいクルージング日和、なんだか幸先がいいな・・・

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朝食は山尾さんから頂いたメロンパン、コーンスープ、清見オレンジ。交替で昼寝しながら、お昼はスパゲッティ・ミートソースをつくる。沖ノ島を交しいよいよ太平洋、うねりが少しあるが水平線が見えて感激。

今日の目的地「土佐清水の越港」入港後ほっとしている所へ見学者が3人、皆とてもフレンドリーで気持ちが和む。地元の若い人達が葦船を作って5月8日に伊豆七島へ向けて出帆するとのこと、成功をお祈りしています。

風呂は歩いて15分くらいの所にとてもレトロな銭湯があり、一人330円。

地元の方に聞いた「あしずり食堂」で食べた清水さば、かつおの刺身は絶品!!うつぼの唐揚はいまいちだけど話のタネに食べてみる価値あり・・・とてもお薦めの食堂でした。

 
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3.土佐清水→須崎 4月28日 航程 50.6海里

 いよいよ太平洋のうねりと対面する。途中、中村市の下田、下の加江の港があり須崎の近くにも久礼の港があり、航程が伸びなくても何とかなるとの気持ちで出航する。

 5:30 朝焼けの下、防波堤の中はまだ日が差さない内に
     出航する
 6:50  9.7海里走り、足摺岬を正横にみて北東に回頭する
15:00  50.6海里の須崎港に舫う。

足摺岬に近づくとさすがに太平洋の波長の長いうねりで船がローリングを開始する。

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 足摺岬を過ぎ、土佐湾を岸寄りに北東に進むと、大敷網が海岸付近に多数設置してあるの見える。沖出しで注意してワッチしながら航海する。北の風4mの片詰めぎりぎりの帆走、途中より到達時間を見積もり機帆走にする。セールの力が落ちるとうねりでローリングがひどくなり二人で酔いかける。

 久礼港の沖近くで銚子籍の「かさぐも」と会合する。その直後にマストの付け根にあるメインシートのターニングブロックのシャックルピンが飛び、挨拶もそこそこに対処する。「かさぐも」はシングルハンドで今夜は久礼に泊まるとのことである。

 海図や港湾案内で見ると須崎の方が久礼港より大きく泊め易いように見えたが、実際にはいると小型の本船が岸壁に多数横付けしてあり、ヨットが割り込める余地はなさそうに見えた。大きく湾曲している港を左奥に回り込むと巡視艇が舫っている掘割が見える。巡視艇と反対の岸壁は空いているので、ここに繋いだところ、地元のヨットマンのFさんに声をかけてもらった。

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 Fさんより、この掘割では海上保安庁の船が繋留してある岸壁側の空きがビジター用で、今繋いでいるところは夜作業船が利用する可能性がある。さらに奥の漁港の防波堤下に小型船舶用のポンツーンが廃棄されたままあるので、梯子があるならそちらが便利との情報を頂いた上、陸側より案内を頂いた。

 奥の漁港の入り口には大きな看板が2つ掲げられ、「ボート、ヨットは立ち入り禁止」と明確に表示してある。その陸側の防波堤に沿ってポンツーンが設置してあり、そこに横付けした。梯子をかけて防波堤の上に登り、お礼を述べた。Fさんは何年か前に「ドンキホーテ号で日本一周をされた方で、開口一番「ゴミはありませんか」、「水、軽油が必要であれば車をお貸しします」、「お風呂も良かったらご利用ください」との有難い言葉を懸けていただいた。さすがにロングクルージングの要を押えたヨットマンと感心した、しかし、それではあまりに好意に甘えすぎると遠慮し、気持ちは有難く頂いてその夜は船で自炊をした。

 停泊地の写真を取るため岸壁に上り、ポンツーンの階段まで行ってみると、階段入り口に「ヨット、モーターボート用の専用ポンツーン」を土木事務所が設置した旨のまだ新しい表示があるものの、階段の入り口を黄色と黒の作業用ロープで囲み、その中に木の枝を逆茂木のように差してある。階段自体の構造はしっかりしているが階段は撤去されたあとの金網のみしかなく、更に、階段からポンツーンに続く踏み板を故意に破壊してあった。

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4/28

足摺岬を交した頃から、少し気分が悪い。Ramageに乗り始めて3年半、緊張も手伝って一度も酔ったことがないのに、やはり太平洋のうねりのせいかしら、口に出すとひどくなりそうなのでだましだまし行く。

途中でイルカの群れに2度も逢い元気付けられる。

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須崎に着いてからも気分が悪く一度も船から出られない。夕食は主人の為にポトフ、サラダを作り、私は燃料であるお酒もほとんど飲めず8:00には眠る。多分この頃が一番きつかったのかもしれない

ps

個人的な意見としては「土佐の1本釣り」で有名な久礼港に入りたかったのに残念

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4.須崎→高知 4月29日 航程 24.6海里

 2年前に宇和島レースの懇親会の席上名刺を頂いた高知ヨットクラブ会長の坂本さんを頼り、事前に繋留をお願いした。あいにく、入れ違いに宇和島レースのため回航に出られ会えないが、パースについては幾つか空いているので繋留に困ることはなく現場で分かるようしておいてくれるとのことで、安心して高知に向かう。

 6:10  出航
 7:00  3.9海里走り入り口の灯台をかわす
10:30  24.6海里の高知、種崎にあるヨットクラブのバースに舫う

 高知側の須崎沖には暗礁が伸びており、チャートに記載してある導灯まで安全のため沖だしをする。うねりは幾分治まったもののローリングしながら高知に向かう。

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 船備え付けのGPSのチャートが来島海峡の東から須崎と高知の中間くらいに引いた線で垂直に切れ真っ白になっている。その中を航跡の赤い線が延びている。今後、パソコンの電子チャートとハンディGPSで位置を確認し、船備え付けのGPSは魚探モードにして測深機として航海することとした。

 うねりはあるものの上天気で海岸沿いに景色を楽しみながら走り、桂浜に近づく。近よって写真でもと考えアプローチを探すと、いたるところに岩礁の白い泡が沸き立っており、海から近づくのは危険である。

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 桂浜の先の高知港入り口との間に長い防波堤が見え、かなり沖だしをしなければかわせないと思っていると、防波堤の中間の切れ目を漁船が通過するのが見えたので、測深しながらここを通過する。近づくと切れ目の両端に導灯があり、正規の水路と思われた。

 浦戸大橋を潜り水路ブイに沿って最初の湾曲部を右に回ると種崎になり、ヨットのマストが多数見られる。高知ヨットクラブである。種崎のポンツーンに近づくと「ダムレイ」号オーナーのF夫妻が手を振って合図され、空きバースに誘導していただいた。このバースのヨットは、宇和島レースに行って、その後クルージングに出るので、暫く滞在しても問題ないとのことであった。

 舫いを整理して一息つき「ダムレイ」号にお邪魔し、コーヒーをご馳走になった。デヘラー製のヨーロッパ仕様のヨットで、中は収納が多く、快適なクルーザーと見受けられた。

 入港時の桂浜の話をすると、海岸は岩だらけでとてもヨットが入れるところではないとのこと、また、須崎から高知に来たことを話すと、久礼港はスピタリティが良いので皆良く利用しているが、須崎港は入りにくいので滅多に行かないとのことであった。お別れする前にコインランドリーや高知の市内の情報を頂いた。

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4/29

夕べはとてもよく眠れたので元気回復!!二人ともとても元気だ。うねりはあったがレグが短かったし途中の美しい景色や桂浜などを見ながら高知ヨットクラブのある種崎に10:30入港する。

丁度ハーバーにいた藤原さんご夫妻にもやいをとってもらい「ダムレイ」というステキなヨットの中でコーヒー、そして、高知の情報を伺った。結婚6年目、ご主人はお医者様、奥様はとても美しい方でした。

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歩いて10分くらいの所に大型スーパー、コインランドリーがあったので、洗濯をしている間に近くの食堂で昼食を取る。さて、これから高知見物だ・・・

バスで中心街までいき、まず観光インフォメーションでお風呂の情報を聞く。はりまや橋、高知城、城西公園を見物しながらお城の西側にある「桜の湯」に行った。スーパー銭湯で一人600円。

さっぱりして藤原御夫妻おすすめの土佐料理居酒屋「大吉」に行ったが、日・祭は休みでとても残念。さっき通った時気になっていた「ひろめ市場」へ戻る。

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ここは、市場の中に色々なジャンルの店が約60店舗もあり中心が広場になっていて椅子とテーブルが設置され好きな店で好きな物を買ってここで食べるというシステム。味はまあまあだったけど雰囲気は最高で大満足でした!!

高知にもいい思い出沢山できました

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5.高知→室津 4月30日 航程 33.4海里

 室戸岬先端には室津港と室戸岬港がある。クルージングレポートでは室津港に行く船が多いので、今回も先達に従い、室津に向かう。

 6:00 出航
11:50  33.4海里走り室津に到着

 高知を出ると対になった船の船団が正面に固まって網を引いている。ある対は舷を接して風上に向かい、そこで、左右にぱっと別れて網を引き出す。途端に船速が落ち揃ってピッチングを始める。漁の邪魔にならないようなるべく岸寄りに走る。

 北の風4〜5mスターボード片詰めで室戸を目指す。8時すぎ、風が止みローリングが激しくなり、機走に切り替える。9時、南の風2mに変る。天気は下り坂である。

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 室津港に入るとすぐ左に魚市場があり、漁を終えた漁船が荷を下ろして、奥の漁船溜まりに帰っていく。魚市場溜まりの右奥には2つ船溜まりへの入り口がある。陸側は昔からの船溜まり、沖側は新しい船溜まりでまだ係船する余裕があるように見えた。

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 港の入り口で繋留のお願いをすると魚市場溜まりの市場に向かって右の岸壁を教えてくれた。そこには金目鯛釣りの漁船が横付けしており、その後にヨットが入るくらいの場所があった。ただ、岸壁の最後尾は港の内側にヨットの幅くらい突き出ているので、風や波で後に押された場合、スターンを損傷する恐れがあったので、前方のスプリングをしっかり取る必要があった。とりあえず、今夜はここで過ごすことにし、夜間、引き波で揺れが大きい場合や、時化て停泊が長引くような場合は、新しい船溜まりに移動する覚悟で横付けした。

 暫くすると潮が引いて岸壁が高くなり、持ってきた脚立を岸壁から吊るして梯子にした。さらに潮が引くに連れて脚立の脚がデッキ上にあたりそうになってきたので、足に布式フェンダーを巻きつけ岸壁とヨットの間に押し込んで防舷と梯子を兼ねさせた。

 港には、水道がありホースもついているが、誰に断ればよいのか分からなかったので、夜、ポリタンクで水を補充するに止めた。ビジター用の給油設備は見当たらず、また、近くのガソリンスタンドも閉鎖している様子で、ここでの補給は見合わせた。

 翌日(5月1日)は朝から雨、そのお陰で1日食べては寝、食べては寝で、ゆっくり休むことができ、土佐湾のうねりで溜まっていた疲れを払拭できたように思えた。

 9:10 16:00 22:00のラジオの天気予報を取った。

 朝6時には低気圧は朝鮮海峡にあり、大連、ウラジオストックを結ぶ線上に停滞前線が発生していた。昼12時には、低気圧が日本海に入り、豊後水道を温暖前線が通過している。大荒れの気圧配置である。停滞前線も日本海に下がってきており海上の部分が突き出始め、新しく低気圧が発生する気配である。日本海はGaleである。

 18時には、前線を伴う2つの低気圧に日本海が挟まれ、南の低気圧の寒冷前線が豊後水道に掛かっている。温暖前線は紀伊水道にある。四国の時化はこれからが本番である。

 その夜、驟雨混じりの大時化で風にヨットが振られてはスプリングが緊張し、ガツンと元に戻されつづけた。風の向きが夜半に変わり、夜に寒冷前線が通過した模様で、翌日は天気回復基調と予想された。

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4/30

夕べ久しぶりの都会で興奮したのかしら、寝つけずお酒も飲みすぎてしまい、今日のコンディションは最悪だぁ・・・

おまけにうねりが強くなんだか悪い予感・・・

ん・・・不思議、体が慣れてきたのかしら? 気持ち悪くならない。もしかしたらとても適応性があるのかも!! でも主人にはだまってョ・・・次は日本一周等といわれかねないもの・・

室津に入港した頃はおなかはペコペコでソーメンを6把ゆでて二人で食べてしまった。

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バスで室戸岬見物、25番札所の津照寺や町を散策しながらスーパー、お風呂を探す。スーパーは村田さんの写真に出ていた「オーシャン」という大きなスーパーがあったが、銭湯はなし。

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だめもとで通りがかった「ホテルふじ」に聞くととても気持ちよくOKしてくれ、ついでに食事もお願いする。ホテルといってもお遍路さんを泊めるような小さな旅館、若いご夫婦がやっていて洗濯乾燥までできた。

食事代 一人2000円(和食中心で若い人にはすこし物足りないかもしれないが、かつおの刺身、タタキなど私たちには十分だった)

風呂 一人400円

洗濯と乾燥300円

ホテルふじ(TEL)0887−22−0205

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5/1

低気圧の影響で一日中雨。

少し疲れが出ていたので神様がくれた休息日。ゆっくり起き、ご飯味噌汁を作りのんびり食べる。おいしい。

お昼は残ったご飯でおかかチャーハンとコーンスープ。野菜が食べたくて近くで買ってきたキュウリを丸ごと味噌をつけてかじる。感激するほどおいしかった。

今日は一日中食べて寝て本を読んで過ごす。テレビも新聞もなく非日常的な時間がこれほど心地よいとは、まったく退屈することがなかった。

夜、S/MさんよりTEL、経験不足の私達が心配なんだろなー、とてもありがたい!!

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6.室津→甲浦 5月2日 航程 20.7海里

 高気圧の張り出しが予想されるのでツーポイント、ジブも巻き気味にして出航する。もし、紀伊水道側に出て室津に戻れない場合、目的の日和佐及び途中の避難港までの航程は次のとおりであった。

20.7海里で甲浦(かんのうら)
33.6海里で牟岐
41.2海里行けば当初目的の日和佐

 日和佐まで行けなければ牟岐には入れるかとの予想で、多少の時化は覚悟で出航する。

 6:15 出航
7:00 4.8海里で室戸岬をかわす
11:30 20.7海里走り甲浦に入る

 室戸岬までは北の風4〜5mでセールの力でうねりを抑えながら走る。室戸岬の頂にはガスがかかり麓に駆け下っている。空は曇りである。

 9:00にS/Mさんより携帯連絡があり、宇和島から別府に戻ろうとしたが、時化で宇和島に引き返した。無理をせずにどこかに逃げ込むのが良いとの助言をもらう。

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 空が青空に変るに連れて、風の方向が北東にシフトしながら風力を増していった。海面はいつしか一面の白波、うねりの上に風波が立ち風で吹き飛ばされ始めた。ツーポンでも吹き倒されデッキを潮が洗い始めた。海岸に近づき赤灯台発見、東洋町甲浦である。

 港に入ってすぐ左にフェリー乗り場の跡がある。ポンツーンはなく、その傍の岸壁にヨットをつけるのは難しそうである。クレーン船が艫付けしている正面の岸壁には釣り人が何人かいるが船はない。レポートにあった砂積場所である。近寄って釣り人に場所を空けてもらい横付けする。親切に何人かの人が声をかけてくれ、温泉や水道を教えてくれる。「港湾案内」に掲載されているガソリンスタンドに軽油の出前を頼み、予備のポリタンクを満タンにする。

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 道路より港に入る入り口にアルミを溶接してできた直径5m、長さ10m位のタンクのようなものがあり、所々に密閉構造の電線取り出し口がありその電線もきちんと擦れ防止されている。表面処理及び溶接面の平滑度から見て並みのものではないことが一目でわかる。後で聞くと、町おこしのため「スペースシャトル」の一部を展示していたが、フェリーの中止につれて放置され、朽ち始めているとのことであった。

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5/2

室戸岬を通過後高気圧の吹き出しの風、うねり波がかなりあるが昨日ゆっくり休めたし、体も慣れてきたので”いけいけ”の気分。

10:00頃から急に風が強くなり荒れ始め甲の浦に逃げ込む。波がデッキを洗うくらいにヒールしたが、主人も落ち着いていたし、不思議と怖くなかった。

逃げ込んだ甲の浦は思いの外美しい所で、もやいを取ってくれた消防署勤務の山本さんがとても親切にしてくれ、みかんを沢山頂く。

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白浜海岸という美しい海水浴場があり、沢山の人がサーフィンをしていた。お風呂は民宿とホテルに聞いてみたがだめ。潮をかぶって気持ち悪かったけれど今日はがまんしょう。頑張った主人に好物の水炊きを作る。

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7.甲浦→日和佐 5月3日 航程 19.5海里

 高気圧の吹きだしも治まり、上天気である。日和佐の先を狙えるが、その先の鳴門のゲートが午後しか開かず、先に進んでもいずれ徳島で潮待ちになる。先の港に入られるかどうか不明なので、舫うことが容易とされている日和佐に当初の目的どおり向かうことにする。

6:00 出航
11:30 19.5海里で日和佐着

 日和佐港に近づくと海に向かって大きく洞が開いている岩が正面に見える。これを見ながら左に回頭すると日和佐港の入り口である。

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 水路の左の小高い岡の上に日和佐城があり川の上流の山裾には赤と白のお堂が見える。札所の薬王寺で、その麓に温泉がある。

 川と港の間を仕切る防波堤を右に見て港に入ると巡視艇が舫っている岸壁があり、この後ろが小型船の停泊地とレポートなどに書いてあるので、巡視艇から少し離して横付けする。ボラードに舫いを取ろうとすると張り紙がしてあり、「3日、4日は港湾設備の使用許可を得た船舶が使用する予定なのでその他の船舶は使用できない」旨を表示している。

 岸壁の更に後ろには小さい掘割があり、そこには張り紙がないので、とりあえずここに舫う。水深を測ると1.4m、更に潮は引く様子である。もやいを外して前に立ったままエンジンに後進をかけても動かない。座礁している。岸壁に戻り、バウの浮力を一人の重量分上げ、手でヨットを引き出すと軽く動き出した。港の入り口に戻り灯台の下に繋ぎなおす。近くの漁師さんに断ると、今は船が出いるので今日明日なら問題ないであろうとの返事に一安心する。

 港の隣にある、海がめの産卵地で有名な大浜海岸に散歩に行っているとき、何隻かの大きなヨットが港に入ってきて張り紙の岸壁に横付けしている。40feet以上の総チークデッキの外国製ヨットばかりである。どこのヨットかと訝っていたが、お風呂を借りに行った薬王寺の隣の千羽温泉入り口で歓迎看板を見つけ、それに「和歌の浦マリナシティ様ご一行」とあったので疑問が解けた。和歌の浦から一泊二日のクルージングであることが分かった。

 これらのヨットを見て帰るとき、一隻の漁船が帰ってきて、漁船の間に割り込んでいるのが見えた。普通と少し様子が違うので岸から話し掛けると、「Ramage」が前方のスプリングラインを取っている金輪がその方の舫い場所で、そこに自分の船を止めるとヨットのバウに当るかも知れないので他の場所に移したとのこと。すっかり恐縮してしまい、船を移しますと言うと一晩ならそのままで結構と言ってくださったのでその言葉にあり難く甘えることとした。こう言う時こそ、贈答用焼酎の出番である。

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 夜、大阪田尻YCの会長のN氏が声をかけてくれた。暫く岸壁とヨットで話していたが、すぐに只者ではないと分かり、船内にご招待してコーヒーで接待する。本船の船長を長くされたあと退職し3年になり、この間ヨットを乗り回し、3年間に3艇ヨットを大きく変えていき、現在33ftに乗っているとのことである。瀬戸内海航路に詳しく、色々な島の港や水路、潮を熟知されていて、話が尽きなかった。ご名刺には「信天爺保存の会の会長」の肩書きもあり、青木ヨットや故野本謙作さんとも親交があった由、海の大先輩である。

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5/3

以前東京にいた頃、ダイビングをやっていて一度行ってみたかった所が牟岐大島。時間が早かったので寄ってみようとしたら、急に風が出てきて昨日の二の舞はこりごりなので早々と日和佐にはいる。

城山の山頂には白亜の日和佐城が眺められる美しい町。

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さっそく見物に出かける。23番札所の薬王寺、石段には厄年の人が一段毎に小銭を置きながら登ぼると厄払いになるという言い伝えがあるらしく足の踏み場もないほど小銭が置いてある。

塔がある所からの眺めは町が一望できすばらしい。

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4月にできたばかりの道の駅や、海がめが来るという大浜海岸、そしてここには千羽温泉という温泉があった。ホテルだが入浴だけでもOKで一人500円。

夕食は町のお菓子屋さんで聞いた居酒屋「友良(ゆら)」に行った。

感じのいいおかみさんと寡黙なご主人、家庭的ですっかり気に入り刺身や湯豆腐、3種類の揚げ物、お願いして卵かけご飯まで食べてしまった。

日和佐駅の近くにあるおすすめのお店(TEL)0844−77−0370

夜、寝ようとしていると、夕方港に入ってきた大阪田尻ヨットクラブの会長中村茂夫さんがRamageを訪ねて下さる。

キャプテン帽に紺ブレのダンディーな方でお孫さんの名前をヨットにつけてらした(アイリV)コーヒーを飲みながら瀬戸内海の情報を色々と話してくださった

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8.日和佐→高松 5月4日 航程 82.8海里

 徳島に確実に到着できることが判明した段階で、ポンツーンの予約確認を「じゅんよう」オーナーのK氏に携帯電話で行う。使用を快諾していただき、安心して徳島に向かう。

5月4日の小松島の潮汐は09:34 から 15:24 が満ち潮は北に上る連れ潮である。

 6:20 出航
13:10 35.7海里の鳴門海峡通過
18:30 82.8海里走り高松に到着

 9時前後に蒲生田岬をかわせた。チャートワークをするとこのまま行けば鳴門のゲートに間に合う計算になる。鳴門のゲートは 12:54 〜 18:51 が連れ潮で 15:54 に最大 +7.3kntの北流である。さらに、1日徳島に滞在すれば大潮になるとともにゲートが1時間近く遅くなり、高松まで届かない可能性があるので、この好天気を最大限活用すべく鳴門を目指した。

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 鳴門海峡近くになると本船が集まってきている。南から登っている本船が鳴門大橋とは違った方向に走っていくので、淡路島に向かうのかと思っていると大きく鳴門海峡に向けて回頭した。我々は一直線に鳴門大橋を目指していたが、橋に近づきその本船の不思議な行動のわけが分かった。本船航路近くにまでも網が敷いてあり、白いブイが並んでいる。これを避けたのだ。網の縁に沿って北に上り本船に混じって鳴門を越える。

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 この段階で、午前中に予約確認を取った徳島のポンツーンを正式に辞退し、次の高松の予約確認をFeetWetのYさんに取る。夕方、6時までに入ってもらえればハーバーの方が対応してくれるとのことで先を急ぐことにした。

 鳴門を越えたばかりの時は連れ潮にのり9.6ノットの対地速度を記録したが、小豆島の横をひたすら走るころには艇速も、それなりの実力値になってきた。

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 6時少し前に、高松本港前に到着し、丁度フェリー発着のラッシュの時間に当たり、出入りするフェリーの間を縫って本船航路を横切り隣のヨットハーバーに入る。6時は回ってしまっていたが、担当の方が待っていてくれ、桟橋の北側先端に横付けできた。また、フェリーの引き波でヨットが桟橋を叩くのを防ぐため、大型の発泡スチロールのフェンダーをわざわざ運んで頂いた。

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 ここの桟橋には油壺の「UFO」が舫ってあり、オーナーのK氏とお近づきになる機会を得、船を見せていただいた。長年のキャリアの結晶ともいえる様々の工夫の跡を楽しく説明してもらえた。大分に帰って「舵」の4月号にその特集があり、後になってヨット草創期からのオールドソルトであることが分かった次第である。

高松で次の低気圧に降り込められた。

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5/4

アイリVに別れを告げて出航

今までで一番コンディションが良い。追手4〜5m波なしスイスイ走る。毎日がこうならいつもついていってあげるのに・・・

鳴門の潮どまりに間に合いそうなので徳島に寄るのを止め一気に高松へ。

鳴門大橋の写真を取りまくり、皆へメールをする。高松に着いたのが6:00頃でフェリーの出入りがラッシュ、あっちへ逃げ、こっちに逃げ8杯くらいかわし疲れてしまう。

ヨットハーバーの桟橋にもやったときは丁度瀬戸内海に真っ赤な夕日が落ちていて絵になる景色だった。

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佐伯の西山さんから紹介して頂いた「フィートウェット」の矢部さんに挨拶に行き、コインランドリー、風呂、食堂の情報を伺う。

コインランドリーはハーバーから歩いて2,3分のところにあり、500円

風呂は6時までだとクラブの温水シャワーがつかえるらしいが、この日は歩いて15分くらいの銭湯まで行く。一人300円

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コンディションは良かったのになんだか疲れていて二人とも機嫌が悪く、一触即発のムード、やっと9:30に食事にありつける、サラダを作りカレーマルシェを暖め口も利かずワインを黙々と飲む。このとき、S/Mさんと広島の吉井さんからTELが入り話すきっかけができ助かった。

機嫌を直して早く寝よう。

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5/5

高松では観光をしたかったので2,3日ゆっくりする事にした。

ハーバーがベイエリアの便利なところにあるので買い物などは徒歩圏内。

油壺からきた「UFO」というヨットのオーナー、クルーにお話を伺ったり、ヨットの中を見せてもらったりとても親切にしていただく。後で分かったことだがオーナーは舵4月号に記事が載っているノースセールの川島さんだったのだ!!もっと写真を取っておけばよかった。知らないとはいえ後の祭り。

ホットケーキを焼き、コーヒーを入れてゆっくり朝食を取る。

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11:00の琴電金毘羅様へ向う。高松築港駅から丁度1時間かかった。

真夏のような暑さの中、本宮までの785段を一気に登ぼり、結構体力があるのに自分でもびっくり。子供の日だったので子供連れの参拝客が沢山いた。

海上安全のお札と丸金の旗を戴いて、本場讃岐うどんの昼食を食べた。

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高松に戻り三越で夕食の材料を買う。久しぶりにお肉が食べたく、一寸上等の牛肉、野菜、豆腐等購入、ついでに子供達へ讃岐うどんを送る。

冷たいビールと焼肉の美味しかったこと。幸せ、幸せ。

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5/6

荒天の中朝早くUFOは出航していった。

私たちはもう1日のんびりすることにする。

一日中雨だったのでシンボルタワーやベイエリア、繁華街を散策する。お昼はもちろん讃岐うどんめぐり、地元の人が並んでいるセルフの店を見つけ2軒まわった。

順番に並び好みのメニュー(かけとか、釜揚げとか)、玉数を言い好みのトッピングを皿にとってレジで代金を払うシステム。

かけで1玉なら90円からでびっくりするほど安くおいしい。

高松駅の傍にあるスーパーで補給する食料と今夜のおかずを買う。

繋留場所がフェリーの引き波でかなり揺れて落ちつかなかったがもうすっかり慣れ夜も熟睡できた。

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9.高松→鞆の浦 5月7日 航程 36.0海里

 高松を出てトイレの調子が悪くなった。数日前にモーター取り付け面のビスが電食で折れ海水が滲み出ていたのを「百均」のCクランプを工夫して押さえつけ、何とか騙し騙し使ってきたが、とうとう、排出するのに時間が掛かりだし、長期の航海は無理な状況になってきた。

 備讃瀬戸の連れ潮は15:59 〜 22:16 で最大は 19:13に +3.1の西流である。来島方向に行くには逆潮覚悟である。また、反面来島海峡は10時過ぎにはゲートが空くがこの時間には高松からは届かない。幾つかの港までの航程をリストアップする。

36.0海里で鞆の浦
54.7海里で伯方島
67.8海里で大三島の宮之浦
64.7海里で大崎下島の御手洗
50.6海里で新居浜

距離的に一気に来島を越えるのは無理と判断して、西に進み鞆の浦を目指す。

 7:10 出航
 9:30 13.5海里の瀬戸大橋の与島通過
14:30 36.0海里で鞆の浦到着

 8時前後より高気圧の吹きだしで西風12〜13mの真向かいの風になり、機走に切り替える。

 昼前、北木島と白石島の間を抜ける。広い所に出れば相変わらず向かい風でセールを上げられない。

 仙酔島の南をかわすと鞆の浦の赤灯台が見える。始め灯台のすぐ後ろのポンツーンを目指すが、漁船が多数もやっている上に沖側には生簀が繋がれている。漁師さんに聞くと、港の中央に漁協のポンツーンがあるからそこに行けとの指示があった。

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 ポンツーンにつけると、他の漁師さんが近づき、ここは「観光鯛網」の場所になっているから、3時過ぎに観光客を上陸させてしまってからでないと使えないから暫く沖止めをして「観光鯛網」が終わった頃につければよいと教えてくれ、更に丁寧に分かりにくいからといって漁協に連れていってくれ繋留の了解を取っていただいた。

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5/7

瀬戸大橋、水島灘を通り、あこがれの瀬戸内海の景色が続く。白石島と北木島の間にかかった送電線を心配したりで退屈することがない。

鞆の浦は昔潮待ちの港として栄え、お寺が多く石畳の町並みがありとても趣のある町だった。

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Ramageのトイレの調子が悪かったので公衆トイレを探したのだがびっくり・・・狭い町に5箇所あり、どこも町の人が順番に掃除をしていてピカピカにしてある。お風呂は鞆シーサイドホテルで500円で入れてくれる。または、観光をかねてすぐ前にある仙酔島の国民宿舎でも入れるそうだが、ここへは渡船で行かなければならない。市営の渡船で5分かかり、料金は往復で240円。

スーパーはなく、夜は残りの野菜やベーコンを入れてポトフを作る。

心に残る町だった。

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10.鞆の浦→松山 5月8日 航程 50.8海里

 来島海峡を越える。ゲートは 11:06 〜 17:27 で、最速は14:22 に-7.4kntの北流である。

6:30 出航
11:05 18.5海里で宮窪の瀬戸出口
17:00 50.8海里の松山に到着

 鞆の浦を出て弓削島に近づくに従い、海苔網が多数敷設してある。どれも大きい。一つ交すとまた次の旗が見えてくる。竹竿に各々の目印の旗を立て分かりやすくしてある。本船は海苔網群のはるか沖あいを走っている。一旦、海苔網群に取り囲まれるとなかなか沖だしできない。途中の百貫島を抜けることどうにか海苔網を交すことができたが、今度は瀬に集まる漁船群が行く手を阻んでいる。

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 伯方島の沖に着いたのは潮止まりの30分位前で瀬戸を越えるには最適の時間であったが、本船群にも良い時間で後ろから5隻が宮窪の瀬戸を目指している。

 始めの2隻と後の3隻の間が結構あいていたのでこの間に割り込もうとも最初考えたが、海峡の中で追い越されるような事態になったらその対処に一寸自信がないので、入り口で本船群の通過をヨットを旋回しながら遣り過ごした。

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 松山には夕方に着いたが、本港内は繋留する場所がなく、「港湾案内」から和気ハーバーを探し、電話連絡でバースを予約し、松山から和気に戻って島マリーナのハーバーに入った。1フィート¥100円でポンツーン横付け、給油設備ありとのことである。

 夜間、事務所は閉まり、トイレは使えない。接近自動点灯の街灯が設置してあり、夜帰っても入り口で照明に困ることはない。

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5/8

昨夜作ったおにぎりが今日の朝食と昼食。

魚網や海苔網を避けながら順調に走る。

宮窪の瀬戸を抜け、本船航路を過ぎた頃から潮に乗って順調に松山に向う。

本港に入れず、和気の島マリーンのポンツーンに着けたら、主人の元の職場で一緒だったIさんが車で迎えに来てくださる。

和気ハーバーは交通の便が悪く、Iさんがいなかったら多分私達はずっと船の中で過ごすことになったと思う。

車で松山の町をドライブしながら案内してくださり、道後温泉の「神の湯」にゆっくり入れた。

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近くに、道後温泉100年の記念に作られたという、今や道後のシンボル「からくり時計」があり、通常2階建ての時計台が30分毎に4回までせり上がり「坊ちゃん」のキャラクター達が出てくる。これを8時まで待って見た。柔らかい光のガス灯もあり、8700万円かけて作られたそうだ。

一六タルトが経営しているという海鮮料理「北山」で豪華な夕食を頂きIさんに感謝、感謝でした。

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11.松山→別府 5月9日 航程 69.0海里

松山を出ると一直線に230°で別府である。長いレグなのでなるべく早く出航する。

 5:15 出航
 8:30 13.9海里青島沖を通過
17:30  69.0海里走り別府到着


 伊予灘に入るとゴミが多数浮遊している。これを避けながら南南西の6〜7mの風で走る。5ノットを確保すべくエンジンも軽く入れる。9時過ぎ西南西6.6mに風が振れ、視界が開けてきた。

 高気圧の吹き出しである。直線コースを取っているため、佐田岬にも山口側にも逃げられない。腹を括って機帆走で走る。

 豊後水道で16.8mの風にあったのが最高で、その後は12〜13mの北東の風を受け走る。段々波が高くなり南側の陸からの反射も加わり波の形が次第に崩れ始め、国東半島を右正横に見るまでが荒れた海況であった。風上側であおった潮がコクピットの上を真横に走り風下舷へ越え始める。

 松山を出る時に距離ばかり気になりワンポイントで出たのが悔やまれる。しかし、この段階でのデッキワークは危険と判断して、ジブをできるだけ巻き込みウェザーヘルムを押えながら手引きで走る。

 幸い、別府湾に入ると風は相変わらずであったが、波が素直になってきて操船が楽になってきた。高崎山が見え出す頃にS/Mさんから安否の連絡を受け、帰ってきたとの実感がわいた。

ハーバーには「Soliton」の山本さんにも出迎えてもらい、労いの言葉を頂いた。

ヨットを始めて3年目の節目に夫婦二人きりで何とか四国周航できた。これまでに指導して頂いた皆さん、クルージングの途中に励ましの電話をくれた皆さんに改めて御礼を申し上げます。

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5/9

体も慣れ、ヨットライフが楽しくなってきて、まだまだ旅を続けたい気持ちだったが、母のことも心配だったし、トイレの調子も悪いので天気の良い間に帰ることにする。

最後の詰めをしっかりやろうと話し、出航。

風と波でコンディションはよくなかったが、佐賀関の2本の煙突、新日鉄や4号ブイが見えてきたときは感動。

ハーバーに入るとS/Mさん、山本さんが迎えてくださった。

14日間入出港時は舵を握り失敗なく船を止められたのにマイパースに入るとき気持ちが弛んで思わぬ失敗。・・・ああ・・・やはり性格の詰めの甘さが出てしまう。もやいを取リ終わって主人と握手。

S/Mさん始め電話で励ましてくださった方々、毎日メールをくれた母や子供達、友人・・・

皆さんのサポートと励ましのおかげで楽しく達成感のある14日が過ごせました。心から感謝しています。

これで自信をつけた主人が来年何を言い出すか一寸心配ですが、またその時考えることにします。

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