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久しぶりの回航記(小戸〜小倉編)
平成13年12月24日(月)
佐伯セーリングクラブ西 山  隆
 21世紀最初の年末も押し迫った頃、佐伯セーリングクラブに久々の艇が入ることになった。購入者は昨年2.3回私たちのヨットの乗ったことがあるだけの宮脇氏。突然目覚めて購入を決めたらしいが、本人はまだ船舶免許を持っていない。どうもこの頃、内のクラブには免許を持たずに先に艇を買い込むパターンが流行っているようだ。
 その艇は博多の小戸市営ヨットハーバーに有った。
 
回航前日、別府まで大須賀氏と合流するために出向く。ヨットハーバー横では花火ファンタジアが行われていた。午後8時からクリスマス音楽とともに打ち上げられた華麗な花火を、私は花菱ホテルの屋上にある露天風呂の中から観覧する事が出来た。豪勢な花火見物だった。花火が終わり、大須賀親子、広島の中村氏とともに車で福岡に向かった。
「ひまわり」のギャル
 午前1時ごろ天神に着き、一蘭というラーメン屋で腹ごしらえをしてからハーバーに向かった。久しぶりの博多、特に小戸の周辺の町並みは大きく変化していた。ハーバーの玄関が開いているにもかかわらず、大須賀氏はいつもの癖?でフェンスを乗り越えてハーバーに進入し、玄関から簡単に出てきた。あれは何の意味が有ったのだろう???
 
ポンツーンに舫われた艇はソレイユルボン26、艇名“M&S”きれいな艇だった。荷物を積み込み、そそくさとバースに潜り込んで眠った。
 24日午前7時前に目を覚ます。ファミレスで食事を摂りハーバーに戻ると、清松氏が来ていた。この艇を見て宮脇氏に薦めた張本人だ。しかしこの艇ならば文句の付けようがないだろう。それほど手入れの行き届いたきれいな艇だ。しばらくして前オーナーの坂本氏とヨット仲間が姿を見せる。なるほどこの人なら良く手入れをするだろうなと出会った瞬間に思った。艇の説明を受けてしばらく歓談した後、最後までポンツーンから見送ってくれた清松氏を後に、10:00頃出航する。ハーバー沖には以前よりも定置網が大きく広がっている。定置網を避けるつもりで能古島東の本船航路へ進路を向けた。エンジン出力80%、5kt程度。大須賀氏はこれまで何度か小戸からヨットを回航しているが、こちらの方を通るのは初めてとの事だ。壱岐対馬フェリーなどの本船が行き交う中で引き波に大きくがぶられるが、安定した走りでなお且つコックピットがドライだ。曇り空を見ていたら少し雨が落ちてきた。揺れる中でオーニングを取り付けた。志賀島の沖にある黄色のブイを回航して進路を東よりに変えて大島を目指す。後方から来た数隻の内航船が追い越していく。
 上空を福岡空港に着陸する飛行機がひっきりなしに通る。空の明るさが増してきて雲の切れ目から青空が見え出した。風向もアビームからクウォーターなのでNo.2ジブを揚げて機帆走にする。やはりヨット、帆を揚げるとローリングが抑えられ動きが安定した。5kt程度の対水速度で、GPSで見ると1ktくらいの連れ潮だ。快調に進んでいく。今回は冬の玄界灘を走るので、シングルハンドよりはいいだろうと大須賀氏に同行したのだが、あっけないほど楽なクルージングをしている。風速も7.8ktくらいかな、この時期にしては穏やかだ。雨上がりの後風速が上がってくることを予想していたが、一向に穏やかなままだった。難を言えばオートパイロットのブラケットが無い。大須賀氏が応急に作成したのだが、強度が取れず調子がイマイチでティラーを持っていなければならない事くらいだ。こんな時の2名はありがたい。それに初めての艇を回航する時の2名というのは気が楽で良い。特に相手がベテランだと尚の事だ。
 大島と地の島の間をかわして沖合いに出た頃に、フィートウェットの矢部さんに電話をして関門海峡の潮の時間を尋ねた。そう、今回は潮を確認せずに出港している。しかし場所が悪く携帯が繋がりにくかった。やっと繋がって、案の定、場当たり的クルージングを大笑いされてしまった。まあ、いい加減な事は今に始まった事じゃ無いし、良しとするか?本船航路の少し南側を通過していくと、芦屋沖に至るまで漁船が多く漁をしていた。それらをかわしながら艇を進めていく。このまま行くと関門海峡は完全に逆潮になるので手前の若松港に入るか、可能であれば小倉港に入る事にした。

 関門の入り口の潮流表示板が見える頃だんだんと辺りが薄暗くなってきた。少し手前で港湾規則通りセールを降ろして機走のみにして航海灯を点灯する。潮流表示板は5kt西と出ているが、GPSで見ても、対地速度はほとんど変わらず。あの潮流速度はどの地点のものを現しているのだろう?多分行けるだろうと判断して目的地を小倉港に定めて向かった。途中ペットボトルのようなものが浮いていて、大須賀氏が注意するようにと言う。何かの仕掛けらしい。ペラに絡まったら厄介だ。

18:00小倉港の入り口を確認。航路に沿ってアプローチしようとしたら潮に押されて急に艇速が落ちた。なかなか入り口のブイが近づかない。GPSでは時折3ktを切っている。誘惑に駆られてショートカットしようとしたら、あの仕掛けがあった。危ない危ない、やっぱりセオリー通り行くべきだと反省。コースを戻す。大体夜間の知らない港への入港は避けることがクルージングの基本なのにまたやっている。まったく懲りない面々だ。やっとブイを回って港に向けた。松山行きのフェリーが確認できた。駅周辺の景色が以前の頃とまったく変わっていることにびっくりした。フェリーが無ければここが小倉港とは思えなかっただろう。水深が判らないのでゆっくりとアプローチする。街の明かりが反射して見づらい。定期船のポンツーンらしい場所が空いていたので一旦そこに着けて、大須賀氏がフェリー事務所に出向いて、着けられそうな場所を確認しに行った。そしてフェリーの直ぐ後ろの岸壁に舫うことが出来た。ただこの場所は、常に引き波があって長く係留するには不適だ。

 私は次の日が仕事のため、ここで下船した。ここからは大須賀氏独りの航海が始まる。6時間後の転流を待って出港する予定だ。昨年の10月以来、体調がイマイチでたいしてお役に立てなかったが久しぶりの楽しいクルージングだった。大須賀氏との航海は一昨年のソリトンU回航以来だ。あの時は鹿児島山川港で彼が降りた後、宮崎新港まで私がしんどい思いをしたが、この後はどうだろうか?

 この後の航海の模様は大須賀氏のレポートで。


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