大時化の中の回航(倉橋島〜三机港)
2002.11.2〜11.4
西 山  隆


2日夕方、ふと「O氏」に連絡をした。
 「明日の保内レース出るの?」
 「それがなあ、出られんようになったんよ」 「なんで?」
 「急に山口さんの船を倉橋島から回航する事になってなあ」
 「え、それっておいしい話やん。いつ出るん?」
 「今晩7時」 「あかんなあ、間に会わんわ。」
 「JRで小倉まで追いかけてくればいいやん、そこから一緒に呉までいけるでー」
 「そうか、その手があったなあ。じゃあ考えてみるわ。」
という調子で、倉橋島から三瓶までの回航に付き合うことになった。

 大分まで、女房に送ってもらって、ぎりぎりに飛び乗った、8:15発のソニックで小倉に向かった。普通JRに乗ったらビールは付きものだけれど、余りに時間が無くて買う暇が無く、寂しく車内のお茶を買ってちびちびと飲んだ。
 21:37小倉駅に着く。「O氏」が新幹線口の出口に待ってくれていて、車に乗った。高速に上がり、小郡で降りた。そこで、トレッカーのオーナーの谷口氏と落ち合い、中華料理のバーミアンで、彼の船のステアリングシステムの改造について打ち合わせて、ついでに食事も済ませた。1時過ぎまでそこにいた後、呉に向けて出発した。
 午前4時ごろ(時間が余り正確でない)、呉に到着する。8時半のフェリーで来るという山口氏を待つ間、シティーホール(葬儀場)の駐車場で仮眠を取った。後ろの座席を倒して即席のベッドを作ってくれたお陰でゆっくりと眠れた。9時近くになって山口氏の電話で目を覚ます。フェリー乗り場まで迎えに行くと荷物をいっぱい抱えた山口氏が待っていた。呉駅の喫茶店でモーニングを食べてから倉橋島へ向かった。初めて音戸の瀬戸の橋を渡って倉橋島へ入った。結構遠い。別荘の横の階段を下りたところにあるポンツーンに舫っているY−31sへ荷物を詰め込む。ロケーションの良いところだ。艇まで荷物を持ち込むときに、袋が破れてカッパなどを海に落としてしまった。すぐ引き上げたがびしょぬれだ。
 準備を済ませて、11:00出航した。山口氏のヘルムで外に出ると、早速強い向かい風と波に翻弄されて、3ktも出ない。暫く走ったところで、海図が無い事に気づいた。ポンツーンの海面に浮いているそうな。しかし、ここから引き返すのもすでに遅いということで、GPSを持っていたのでそのまま進む事にした。広い海面に出て、前を見るとレース艇らしい集団が見えた。この風(見かけで20kt以上)の中で果敢にスピンを揚げて突っ込んでくる。その艇団を横切るように南下する。風向きが横になったので、まずジブを少し展開した。それからメインを2ポンリーフして揚げた。ヒールして艇速が伸びる。6〜7kt位をキープして南下する。12時を過ぎたので、昼食タイム。風は強いが、安定して艇は走っている。正面に見える島の間を抜けるコースをどちらにするか迷ったが、西側の海面に、汐流れの波が立っているのが見えて浅そうに感じたので東側を抜けた。やはり海図が無いのは痛い。
小島を抜けたところで、コンパス進路で220度に向けた。風は相変わらず強く、おまけに振れるし息はするし、波が無いのがせめてもの幸いといったところか。ついでに雨が降ってきた。それでもコース的にはオンコースで行っている。
 伊予灘の端にある島の側を過ぎようとしたところで、前線の突風に見舞われる。その後、今度はあられ。パーカーにバチバチと音を立てて降ってくる。飛沫になって掛かる海水のほうが暖かい。まったく何でもありの天気だ。
 島を過ぎた頃から、波が大きくなり始めた。風は相変わらずの上りで、波もほぼ前から来るためにパンチングを受けやすくしんどい。本船が余り多くないのがせめてもの救いだ。3人とも無口になってじっと耐えながらの航海が続く。三崎まではまだ30nm以上の距離。大波が次々と襲い掛かってきて、何度となく頭からスプレーの洗礼を受ける。広島近くの釣具屋で仕入れたパーカーの防水仕様が良かったお陰で、中はドライだが辛いものがある。コース的に真上りのために、ジブは役に立たず巻き取った。メイン1枚と機走だけで6ktくらいのスピードをキープしている。
 突然、大波の背に乗った後、横滑りしてほぼ70度以上ヒールした。ヘルムを取っていた「O氏」がジャケットを着けるように指示を出した。まあ、当然の処置だ。山口氏がライフジャケットを取りにキャビンに降りた。全員ライフジャケットを着けたとき山口氏が変な咳をしている。あれ、酔ったかもと思ったが、言うと余計にやばくなるかも知れないと思い黙っていた。山口氏にヘルムが替わって、一路三崎を目指すが、夜間航行の経験が余り無いためか本船の明かりに惑わされるようだ。その都度コースを修正するように声を掛けた。
 三崎まで10nm近くの地点で、「O氏」が豊予海峡にこの海況で突っ込むのは無理だと判断した。時間的に向かい潮で、逆方向からの波、夜間という最悪の状況で入っても越えることは出来ないだろうという。しかし、佐多岬半島の伊予灘側の港に入った事が無い。ましてや、風下側の港に夜間入港するという最悪の選択をしなくてはならない。佐賀関まで行く事も提案してみたが、結局三机を目指す事にした。どうして「O氏」と回航するとよくこんな場面に出くわすのだろう?引き返すためにジャイブは危ないと思いタックで方向転換をした。
 伊方原発が見える三机の近くに来たと思われる地点で風上に向けてメインを降ろした。風下側の港を目指す以上、無駄なスピードは危ないと考えた。機走で三机の上にある瀬戸町のシンボル風力発電の風車を目指す。その最中今度は稲光まで光った。後今日体験していないのは雪だけか? 灯台とその横にある赤い灯台らしき点滅する光を目指して真っ暗な追い波の中を時折サーフィンしながら何とか目的の三机港に入港する事が出来た。巡視艇が舫われている横を通り、漁船の船だまりに入るとポンツーンが見えた。接岸準備をして風が強いために何度かアプローチをした後、やっと接岸した。ちょうど漁協の前にある生け簀を装備したポンツーンだったが、今晩一晩厄介になる事にした。港の中にも関わらず、風はいよいよ強く吹き募り、ポンツーンに舫っていても大きくヒールする。白敷さんへ連絡を取って無事三机に入った事を知らせた。
やっと港に逃げ込んだ安心感から、食事をした後ゆっくりと休んだ。時折雨音と違うあられがデッキに当たる音がしていた。
次の日、港外を見るといよいよ風は強さを増して、波も半端ではない高さになっていた。目の前にある漁協に無断でポンツーンに泊めた事をお詫び方々挨拶に出向く。これでは出航は無理と判断して、前にある防波堤の空きスペースに舫う準備をして艇に戻ると、漁協の人がこの風の中で繋ぎ替える事は無理だからポンツーンの横に泊めなさいと親切に言ってくれた。その言葉に甘える事にしてポンツーン横に繋ぎ替えた。
朝、山口氏と話していると、昨日のような時化の中を走ったことは初めてで、怖かったという。ジャケット着用を言った頃から相当怖かったようだ。それならもっと早く言ってくれれば明るいうちに近くの港に入ってあげたのにと同情した。こちらも怖かったんですよ、山口さん。
 連絡していた白敷さんが訪れてくれた。荷物を車に載せ替えて八幡浜に向かった。途中保内レースの会場に立ち寄ると、今日帰る事の出来なかったソリトン、春風、海王、志高などが舫っていた。一緒に八幡浜のフェリー乗り場まで行ってから、ちょうど出航する臼杵行きの宇和島運輸フェリーに飛び乗った。フェリーが出航して外を見るとブランケットになっているはずの海面にも強い風の筋が出来ていた。豊予海峡に差し掛かかる頃、波も風も益々強さを増して、波の形もぐちゃぐちゃになっているのが見えた。ビューフォート階級で8以上、この中を航行できるはずもない。三机入港は正解だったなあとつくづく思った。