姫島・宇部丸尾クルージング | |||
五月の後半連休の三日から五日まで姫島、宇部のクルージングを楽しみました。 Ramage(別府外洋ヨットクラブ) 末岡多加志 博美 |
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1.別府→姫島クルージング フリートコマンダーは「セーラーズ・ムーン」の大須賀さんで、これに続くのが別府の「BonVoyage」、「Ramage」それに大分の「Miki」の合計四隻でした。別府の三隻は三日8時に別府を解纜し、深江沖で大分からの「Miki」とランデブーの後、フリートを組んで姫島に向かいました。空港前をかわした頃から所々の波頭が白く砕けるくらいの真追手の南風になり、ジブセールを巻き込んだメインでの機帆走で快調に走り、青空なら文句ないクルージングとなりました。行く前に別府の漁師さんが言っていた「今日は、南風がすいっと姫島まで連れていっちくれるは」という言葉を思い出しながら、ブローチングに気をつけながら姫島の島影を一時の方向に保持しながら舵を握っていきました。いざ姫島に入港すると言う時に、どうも前線が通過しかかったようで、一面ブローの鮫肌の海面の中を風上に立て、追手は違ってピッチングに叩かれながら左右にいやいやの首を振るメインセールを宥めすかしながらなんとか下ろして縛り付け港に入りました。港内もブローが吹いており、大須賀さんが後で、「瞬間48kn」だったと教えてくれました。その時は「ふーんそんなものか、そういえばヨットではノットで風速を計っていたな。内の風速計は何時からか止まっているので風速が読めなかったがいずれマストに登ってkure5−50でも吹き付けなけばならないか」なんてことを考えていましたが、その夜改めて、計算しなおすと、1knは毎時1海里走る速度で、1海里はものの本によると1852mになるから、48に1852mを掛けて60x60でわると、なんと24.7m/秒ではありませんか。あの時もっとびっくりしておくのだったと思いましたが、きっと大須賀さんも拍子抜けしたのではないでしょうか。知らぬことは強いですね。 |
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その夜、姫島の民宿が経営している料理屋でご苦労さん会を兼ねた夕食を済まし、お風呂を送迎バス付きでお世話になり、姫島の人情に大感激をしました。明日の出航は、風を見て場合によっては姫島二泊になるかもしれないという含みで散会し各自船に帰り休みました。ラジオの午後6時の天気図をとると朝鮮半島に停滞前線が横たわり日本海の南くらいに尖りがあるので、どうも明日はここに低気圧が発生し日本海には温暖前線、南には寒冷前線が出そうな雰囲気でした。 |
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3.姫島→宇部丸尾クルージング
港では、「Miki」の中村さんの中学時代の友人の方が出迎えてくれ、港の一等地を空けて待っていてくれました。選りによってアンカー打ちが苦手な2艇が先に入ったものですから、漁師さんのアンカーを借りて打ってもらい、手取り足とりで先付け停泊をして、デッキの上はあちこちにとぐろを巻いたロープを輪がね、フェンダーを左右に振り分けたり、隣とスプリングを取るのにあっちこっちと走り回り、どっと疲れた頃に、大須賀さんが戻ってきて鮮やかにアンカーを入れこれを絞りながら岸壁の石段に近づき、触れなんとする瞬間にアンカーロープを絞ってぴたりと船を止め舫いを手渡しで渡してさっさと岸に上っていく模範演技をだだ呆然と眺めていました。何時になったらああなれるのでしょうかね。 |
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丸尾泊地は漁協前の一等地 | 近くの料理店「風月」での夕食後、泊地前にて | ||
4.宇部丸尾→別府クルージング
GPSのお陰で無事に姫島と国東を結ぶ海峡の中ほどに着くと不思議なくらいに霧が晴れ、姫島の山頂は霧がかかっていますが、海面は紺青に、空は紺碧と青づくしの世界に一変しました。やはり、故郷の別府湾は我々に優しい海だと感謝しながら暫く思い思いに走っていると、またも靄がかかり始め、霧になりました。その頃、フリートコマンダーはルアー釣りに熱中してか随分と沖に出ており、残された三隻で仕方なく船団を組み、再度フォグフォーンを鳴らしながらGPSを頼りに空港沖を目指して心細い船旅を続けてました。皆さんはもっと心細かったのでしょう、周防灘では鳴らさなかった救命胴衣付属の救命笛を一定間隔に鳴らしておられました。そうこうする内にセーラーズムーンがランデブーして先頭にたったので、安心してついていけましたが、この間が一番不安でした。後で新聞を読むと空港も霧のため閉鎖したとのこと、かなりの霧だったようです。 |
末岡さん格調高いレポートを有難うございます。
「大平さんのレポート」は出港までがメインですね。
「大須賀のレポート」も是非ご覧下さい。