熟年夫婦3カップルの「よくばりクルージング」
日振島・佐伯レース・無垢島クルージング

                                         


 佐伯市長杯ヨットレース参加の前後に豊後水道に点在するクルージングスポットを訪ねた。「Satin doll」 「Sailor's moon」の百戦錬磨の驥尾に「Ramage」が付し、3艇とも夫婦二人きりという夫婦舟での、4泊5日のフルムーン船旅を楽しんだ。


1.別府より日振島
 台風7号の通過を待ち出発を1日延ばした18日午前7時、台風の余波がまだ完全には抜けきらぬ別府北浜を出帆した。楠港より「Ramage」がまず東に向かい、ついで「Sailor's moon」 「Satin doll」の順で佐賀関を目指した。
 別府湾の奥でもまだ幾分ウネリが感じられる中、風は東から南東に振れ回る帆走には向かない海況の中を、島での上天気を念じつつ、ウネリの山谷に応じてエンジンの唸りが変わるのを聞きながら機走主体にフリートを組んで走った。しかしながら、新日鉄の沖合いに達する頃には先行2艇の後姿しか見えなくなり、佐賀関を越える頃には、マストの大きさでランデブー待ちをして貰っているのが分かるくらいに差がついてもはやフリートとはいえない状態に陥った。
 豊後水道を越えても海況の改善は見られず、むしろ、移流霧とまでは行かないまでも視界を妨げるには十分な靄が東の水平線を覆ってしまい、その靄の中に時折隠れるマストとGPSの真針路で校正したコクピットのコンバス針路を頼りにエンジンのスロットルを全開にして時計と燃料メータを見ながら会話も途絶えがちに東に向かった。

「何でこんなに遅いの、この前のクルージングではもっと近づいて走れたはずよ」と口には出さないがその数倍の威力のある沈黙に押されてキャビンに入り、チャートワークで船位を記録するという船酔いにはもってこいの作業をして、ますます悪い気分の中で「船底の汚れがこんなにも船足に効くのか」を身をもって体験した。出る直前までは台風対策で追加の舫い取り回し、通過後にこれを引き上げると、たった一日間港につけただけの白いクレモナが褐藻で茶色に染まってしまったのを見ると、とても潜って船底を磨く気にはなれず、「青い空」と「青い海」の島で泳ぎがてら船底掃除をすれば佐伯レースに間に合うはずと「だろう、でしょう」と楽を決め込んだのがドン亀機走の真因であった。藤壺で丸太のようになったプロペラが海水を徒に掻き回し、船体やキールに付いた藤壺や海藻がさらに行き足の邪魔をしている光景を思い浮かべ、さぞかし高速で回転しているプロペラに付いた藤壺は目を回しているだろうと多少の溜飲を下げても船底やキールに取り付いた仲間は新鮮な海水が流れて「今日は良い洗濯日和など」と思っているだろうと想像すると下げた溜飲がまた元を通り越して上がってしまう。

 長い、辛抱のときを過ぎて、やっと日振り島にアプローチするが、ここには浦が3つあり、どこに停泊するかを予め聞いたおかなかったことに気がつき、すがる思いで携帯で連絡を取ると「Satin doll」から「こちらからは良く見えているので安心してください。島の入り口には小島が3つあるので初めてはいるときはこの三つをかわして入ってください」との丁寧なパイロット指示、この声にどうにかコクピットにも笑顔が戻り、日振り島の明海(アコ)にファイナルアプローチできた。


2.日振島停泊

 平凡社の百科事典によると日振島は
「豊後水道の中央,宇和海上に浮かぶ島。愛媛県宇和島市に属し,面積3.25平方キロ、人口527人(1995)。能登,明海(あこ),喜路の3集落がある。














  無人島の沖ノ島,横島,御五神(おいつかみ)島などを属島とし,それらを合わせると5.14km2。936年(承平6)藤原純友の一党が船1000余艘を擁し,この島に屯集したと《日本紀略》にみえる。
 近世以来イワシ網漁が盛んで,網主でもあった庄屋の清家氏は島の開発を進め海運業も営み,〈島大名〉と称された。1949年デラ台風で漁船団が遭難,多数の犠牲者を出した。過疎化が進むが自然景観にめぐまれ,大部分が足粁宇和海国立公園に含まれる。沖ノ島にはハマユウや亜熱帯性植物が群生する。」とのことである。島の形は刃先を宇和島に向けて南北に置いた鍬の形をしている。その北の端には鍬に弾き飛ばされ刃先にくっついている石のように北から、鴎島、沖島、竹島があり、浦も北から能登、明海、喜路の村落がある。この真中の明海に前漁業組合長の船が繋いでありこれに3艇が横付けさせてもらった。














 港の中でも時折ブローで水煙が上がる風に18日、19日と吹き込められたものの、夫婦舟船団の強みの各種豪華料理のほか、新しく搭載したガス冷蔵庫が威力を発揮し、冷たいビールにも事欠かないグルメ旅が満喫でき、和気藹々にゆったりとした時間を楽しめた。


 翌19日、勢力依然衰えない風の中を防波堤を散歩していると前組合長の船が堤防に横付けされ、養殖の餌付け見物への招待を受けた。養殖船には、バウに養殖の魚を吊り上げるクレーンと中央付近に横に突き出せる長い給餌金属パイプが取り付けられているのが特徴である。養殖筏の間の狭い水路にバウスラスターと風を使って船を操り、目指す筏に金属パイプ側を横付けして一つ目錨で固定する。














  パイプを生簀の中央に突き出し、船倉の餌を海水と共にくみ上げパイプの先から噴出させると、今まで静かだった海面が突如真っ白に波打ち養殖魚が我勝ちに餌に群がり食い散らす光景は圧巻である。
  この日は、「はまち」と「かんぱち」の二つの生簀の餌付けを見せて頂いた上に、暗黙の期待通り「かんぱち」を一匹頂き、夕食には刺身、煮付け、吸い物に舌鼓を打った。

 夕食前の時間を使って、シュノーケリングでの船底磨きを試みた。スクリュー軸には藻が群生して「おいでおいで」と手招きしており、スクリューブレードは藤壺が境界争いをしている有様で、これでは幾らエンジンを回しても空吹き状態で推進力にはならない状況なのを目の当たりにし、「Ramage」に済まないことをしたと粛とした気持ちになり、反省も込めて綺麗に磨こうとしたものの、「綺麗な海は冷たい」という理で、ウエットスーツを着てもだんだんと冷たさが染み込んで来ると同時に息が短く荒くなり挙句には頭痛も始まりだし、とうとうキール、ラダーは手付かずのまま上がってしまった。


  佐伯への回航の20日は風は少し残っているが青空がのぞき始めたので、豊後水道に出る前に時間を見つけ隣の「能登」浦に船を入れ、スノーケリングと海岸の水遊びで午前中を過ごした。幾ら探しても岩しか見えない所でも眼力と泳力のある人には「とこぶし」、「あわび」の宝庫のようであっという 間に網を一杯にしていた。これと、森重さんと長年のお知り合いの方からの頂いたサザエのお土産を積んで佐伯に向かって出帆した。来るときは「通らないように」と指示したもらった鴎島と本島間の狭水路を通り、久しぶりの機帆走で西に向かった。
  「今回は皆についていけるか」と思ったが、スクリューだけの粗掃除では如何ともし難く2艇のスターンをはるか遠くに眺めつつ佐伯であろうという方向目指して舵を握った。天候も一時雨になり、風も西に回りセールを全部下ろして機走であったが、天気が回復して「青い海」と「青い空」で気分も回復基調であった。







3.佐伯
 佐伯港では、体験クルージングでたくさんのヨットが湾内を帆走している中、泊地を探して湾内に入り、体験クルージング用のポンツーンの近くに数隻のヨットが繋留してあるのを見て、泊地侵入を試みた。「Sailor's moon」はあっという間に岸壁の突端に横付けし、「Satin doll」も陸からの指示を待って岸壁に近づいていったのでその後を続いて指示を待っていた。この時、遠く通った本船の引き波で繋留していたヨットが20度から30度位ピッチングをしてバウ一斉に振り上げたので、今晩は寝ているときに船酔いをするかもしれないし、下手をすると前後のマストが絡まるかもしれない、これも経験かと思っていると、「Sailor's moon」、「Satin doll」を始め数隻が岸壁を離れ向かって走り出した。これに続くと隣の停泊地に入り、次々とアンカーをスターンから下ろしたので、連休時のクルージングで経験した先付け操船を思い出しながらどうにか舫うことができ、まずは一安心であった。
 陸で見ていると、シングルハンドのはずの臼杵の「志高」に二人乗って停泊に向かっているのが見え、舫いを取りに近づきよく見ると、なんと「はる風」の毛利会長が舫いを持ってバウにおられるではないか。「まさか、毛利会長をクルーにしてのレース?」と顔を見合わせていると、どうやら停泊を一人では大変だろうからとのお手伝いと分かるにつけ、そのお人柄の一面に触れた気がしてその日の疲れが一度に吹き飛んだ思いがした。この気持ちがあの「はる風」を多士済済のクルーを一つにしている靭帯だろうと納得させられ、「北辰はその所に居れども、衆星これに共う」という言葉のとおり、本人は余りバタバタ動かないけれども周りが全て恙無く動いている姿が思い起こされた。






  
 前夜祭までの時間に久しぶりの風呂に行っている間に森重さんが日振島土産の「とこぶし」「あわび」「サザエ」薄味に料理してくれていた。これを肴にビールを一気に飲むと、久しぶりの晴天の喉の渇きを一気に吹き飛ばせた。


 レースは、前回とは異なり、大入島を時計回りで回航するコースに加えて、彦島と四浦半島の間の水路を風上に詰め上るという「ナイス・タック」の技術を問われるものとなり、操船巧者には好評ではなかったかと思われるが、操船劣者には躓きのコースであった。スタートは何とか上の一点スタートを狙えたがその後の詰めで次々と抜かれていき、彦島海峡では「はる風」の三枚セールのブランケットの中を詰め、出た頃には後を見ると「志高」と監視艇しか見えない状況になっていた。その挙句にだんだんと風が落ちてきてタイムリミットに間に合うかどうかが危ぶまれ、監視艇、ゴール本船の方々に時間一杯までお付き合い願う仕儀となってしまった。

 レース後、「Sailor's moon」は都合で佐伯にとどまり、「Satin doll」と共に最後の停泊地の無垢島に向けて四浦半島をかわし、保戸島の沖を通って機走にジブをあげた機帆走を楽しんだ。

4.無垢島
 津久見沖の無垢島は二つの島からなっているが、北側は無人島である。南にいくつかの家があり漁で生計を立てている。島には、店はおろか自動販売機もないが、人柄はその笑顔にも表れており、黙ってサザエを持ってきたくれたり、佐賀関に出荷する鯛を格安で分けてもらったりで、これぞクルージングの醍醐味という、人情・美味い魚・豊かな時間が揃った所である。
 夕方、頂いたサザエを森重さんが刺身にし、森重夫人作ってくれた幻の「サザエ飯」を肴に防波堤の上で沈む夕日を眺めての冷えたビール、翌朝には、鯛の刺身と、鯛の潮汁での朝食と、これ以上何を望みますか。

 午前中は引き潮なので学校下の海岸が干上がりここで磯遊びをして、ニイナを拾っている笑顔が素敵なおばあちゃんに島の話を聞いたり、珍しい小石を集めたりでなんとなく島を離れがたくぐずぐずしたものの、佐賀関の潮止まりが14:27と決まっているため、昼過ぎには出帆して南の風に恵まれて4時過ぎには別府に帰り着き、夕方の涼しい中で着たものやゴミを陸に引き上げコクピットに鍵をかけ、クルージングを無事に終えることができた。