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 ハウステンボスを18:30出航した26cは、ものの10分経たないうちに、警報音を鳴らし始めた。エンジンルームのハッチを開けてヘッドに触ると通常より熱くなっている。冷却系統の詰まりが考えられ、いったん分解するしかなかったが、今回JRで移動したために最小限の荷物しか持ってこなかった。そのために有効な工具が載っておらず、このまま針生瀬戸を通過して外海に出ても修理する術が無い。すぐに引き返すことを決心した。エンジンルームを開放して出来るだけ回転数を落とし、けたたましい警報音を鳴らしながらハウステンボスのゲストバースに接舷すると、係員の方から工具を借りてすぐに冷却系等をばらした。しばらく乗っていなかったために中にスラッジが溜まっており、そのスラッジを取り除き組み上げてから、しばらくアイドリングよりも少し高い回転数で回してみた。1時間くらい回しても異常なく快調に回っている。これなら何とかなるだろうとエンジンを止めた



辺りが暗くなり、とっくに潮止まりの時刻は過ぎた。今日出航することはあきらめて、明朝06:30の潮止まりを狙って出航することにした。


 その夜はキャビンの中からハウステンボス名物の花火を見上げて楽しめたが一人で見る花火はなんとなく侘しく感じた。

穏やかな朝が明けた。朝靄に煙るなだらかな稜線を持つ山並みの上に朝日が昇る。

06:30予定通り出港すると、大村湾の水墨画のような景色の中、淡い光を受け波ひとつ立たない海面を滑るように針生瀬戸に進入した。西海橋、新西海橋をくぐり、穏やかな瀬戸を難なく通過して佐世保湾を抜けた後、南に進路を取った。

14:00ハウステンボスでは、食料品などの調達が出来なかったので、ひとまず長崎港に入って調達しようと初めて女神大橋をくぐって長崎湾に入った。左側にイージス艦が舫っていたが、識別番号176金剛で、東京湾の件の艦ではなかった。奥まで進入すると右側に出島海の駅のポンツーンが見えてきた。そのポンツーンのひとつに舫いを取ったが、入り口の鍵がカード式で出られない。そうこうしていたら、隣に停泊しているニュージーランド艇の艇長が帰ってきて、事務所が休日だからと自分のカードを貸してくれた。おかげで近くの大きなスーパーで買い物を済ませて、ハーバー前のレストランで軽く食事を済ませることができた。

16:00せめて甑島辺りまで南下しようとオーバーナイトをかける決心をして出港した。何故なら北からの順風が吹き続いていたからだ。

軍艦島を通過する頃、夜の帳が下りてきた。油断していたら、いきなり真正面からの波で大きく叩きつけられて慌ててしまった。野母崎に辿り着いた頃、すでに真っ暗になって若干風速が上がってきた。KY氏に定時連絡を取ったとき、彼の助言もあり近くの港に避難しようか迷ったが、不案内の港への夜間入港は避けたかったし、風波の方向も良くなったのでそのまま航海を続けることにした。平均して6ktオーバーのスピードで真っ暗な海を突き進んだ。払暁、甑島付近の暗礁海域に近づいたが、ここを過ぎると野間池までは何もさえぎるものが無い。周りも明るくなってきたので、しばらく眠ることにした。その間にも薩摩半島に快適なスピードで近づいていった。笠沙恵比寿に連絡を取り、バースの予約をした。

11:00無事笠沙恵比寿に接岸、担当の仮山氏がもやいを取ってくれて上陸し、すぐに風呂に入った。ここは一日1000円の停泊料で、風呂も入れて、館内見学も無料なので割安感がある。なぜ海の駅に登録していないのか不思議だった。ゆっくり休んで明日は奄美を直接狙うことにした。

次の日、時間調整のために朝をゆっくり過ごした後10:00出港した。野間池崎をかわした頃から風位が南になり正面に変わった。おまけに波も正面からになる。フリーボードの低い26cのコクピットはまともに波をかぶり、平たい船底のために思い切り波を叩きリギンが今にもばらばらになりそうな音を立てる。このままでは艇体を傷めてしまうと思い、ひとまず大隅半島大泊港を目指した。波高は3mを超え、風速も10m/sを遥かに超えだした。挙句、エンジンの警報音がまた鳴り出した。エンジンを止めてジブをストーム程度に展開しているが、それでも5kt以上をキープしている。夕闇が迫る頃風位が西に回ってきた。うまい具合に屋久島に向かう進路が取れそうだ。ということで、20:00進路を屋久島に変更した。そして02:30屋久島宮之浦港に無事接岸できた。

次の日から2日間は出港できるような天候ではなかった。何度も訪れている屋久島なので、洗濯などを済ますとすることも無い。最小限の工具を調達した後は、のんびりと過ごした。夕食を食べに近くの食堂に出向くと、隣に座った横浜から来たという若者と意気が合い痛飲した。次の日その若者が艇を訪れてきた。その後、天気図を見ていると北が吹いている間に出航したほうがいいような気がしてきた。このまま留まっていると怖気づきそうで、いつまでたっても出港出来ないような気分になりはじめていた。

14:30今しかないと決心して宮之浦を出港した。

いったん西に進路を取り、口永良部島と屋久島の間を通るコースに向かった。波高は2.5m程度で追い波、風速も8m/s程度とまあまあの状況だった。しかしそれも出港してせいぜい6時間くらいの間だった。遠ざかっていく屋久島を、夕闇が迫る中でこれからの長い夜間航海でのどたばた劇を予感して陰鬱な気分で眺めていた。

トカラ列島中ノ島を南西に見る頃、風波はますます強さを増してきた。今回笠沙恵比寿を出港して以来、全てのハッチ及びさし板を全部閉めてキャビンに波が入らないようにしていたが、外部にあるエンジンパネルはむき出しのため水を被る。その度に警報が誤動作をして鳴り響いた。最初はエンジン本体のトラブルかと思ったが、鳴り方が違う。エンジン本体の温度上昇やオイル量を確認して単なるブザーの誤動作と結論づけた。しかし暗闇の中で赤いランプと警報が鳴り続けるのは余りいい気持ちではなかった。

暗闇の中で波が後ろから迫ってくる。白い波頭が崩れ落ちると、頭から海水の洗礼を受けコクピットが水浸しになる。海水温が暖かいために寒さは感じなかったが、この繰り返しは体力を消耗させた。

23:00明らかに誤動作とは違う冷却系等の警報が鳴り出した。オーバーヒールを繰り返すためか、冷却水を取り入れる取水口が空中に出て水量が足りなかったためだったのだろう、エンジン上部が少し温度上昇していた。エンジンに負担をかけたくなかったのと、この状況でコクピットにいることにも危険を感じたので、エンジンを止めてラダーをロープで固縛し、ジブをストームの半分くらいの面積にした。バッテリーを持たせるためにマスト灯ひとつを点けて、後の電気はすべて消して風下側のクウォーターバースに潜り込んだ。少しでも眠ろうとしたが、閉めているさし板の隙間からロールダウンする度に水が入ってきて、首筋を伝わって身体が濡れるためになかなか寝付かれなかった。キャビン内は荷物やマットが散乱して滅茶苦茶な状態になっていたが、この状況ではじっと耐えるよりなす術はなかった。流れに任せているだけのこの状態でも、波の斜面を下るときには8ktを超えていた。まあ、周りには船舶もいないし方向も奄美を向いている。そして風下に島などの障害物は無いし、本船航路からは外れている。こんな天候では漁船も出ていないだろうと信じて身体を両手で支えながら眠った。1時間程度浅く眠りGPSで現在地を確認する。その作業以外は何もする気になれなかった。3度ほど大きくロールダウンしたが結構復元力はあるようだった。それでも完沈しなかったのは幸運だったとしか思えない。後は大きく揺れる暗闇の中で、ひたすら自分の身体を支えてうとうとするだけだった。

06:00夜が明けて東の空が白み始めたが、まだキャビンから出て行く気にはなれなかった。08:00出なければならないと自分に言い聞かせて、やっとこさ、さし板を開けてハーネスラインを着けるとコクピットに座った。まず夜の間に床板からあふれるほど溜まったビルジをポンプでくみ出した。それからジブを少し広げてパワーをつけた。ティラーを持つと艇は砕け落ちる波を乗り越えながら(乗り越えられながら?)進み始めた。8ktは軽くオーバーしていく。時折10ktを超えて斜面を下っていった。片手でメインシートを掴んでいないと、すぐに身体が浮いてしまう。オートパイロットは揺れと叩きつけられる振動で外れてしまうので役に立たない。ティラーを握っているために両腕を極度に緊張させていたのだが、不思議と痛みは感じなかった。

02:30奄美大島まで30海里の地点で、エンジン始動。出力を7割くらいに絞っているのだが、波高が5mを超え、風速も瞬間で20m/sを超える状況の中ではジブとともにオーバーパワーになっているのか、なんと瞬間で16.1ktを記録した。斜面を下る時は平均して13ktくらいはでている。こんな海況の中にいて、さすがに今回は命を取られるかも知れないなと考えていた。この艇のポテンシャルを信頼しているわけではないが、怖さは無かった。孤独感も無かった。艇を波に合わせてコントロールしながら、昨年他界した親父に向かって「今そっちに行ってもいいけど、残されたおふくろの面倒は誰が見るんだ?」なんて毒づきながら、ぼんやりと周囲を見渡していた。その時改めて気づいたが、こんな時の海はなんともいえないほど美しい。空は晴れ渡っていた。溢れる光が降り注ぎ砕ける波頭を輝かせている。高く後ろから押し寄せてくる波の向こうは薄緑と青をあわせたような色、そう、エメラルドそのものの輝きに似た透明感のあるカーテンを創っている。次の刹那、それが崩れ落ち真っ白な波頭が艇の周りを覆う。白い泡に包まれてそのまま海底に引きずり込まれるような錯覚に堕ちる。その時、この極限状態の美しい海の情景を、結局誰にも正確に伝えることが出来ないというもどかしさを感じていた。

単調でない不規則なリズムをもって荒れ狂う波と風の中を、小さな艇を操りながら走っていると恐怖感よりもむしろ快感が占めてくる。極端にアドレナリンを分泌していわゆるランナーズハイの状態にでもなっているのかもしれない。

17:00奄美大島を視認できた。何とか真夜中の入港は避けられた。20:00名瀬港の沖側防波堤を通過した。沖防波堤には盛大に波が打ちあがり、乗り越えた波は内側に滝のようになって落ちていた。内側の防波堤を通過するとやっと海面が静かになった。そのまま一番奥の漁港を目指した。

予定した時間通り到着した。いつもお世話になる漁船に横抱きするとやっと生きている実感が沸いてきた。

すぐに上陸すると、財布と着替えだけ持って、いつも風呂に入るホテルニュー奄美に向かった。部屋が空いているという。入浴料金やら朝食のことを考えると泊まったほうが得策だと思え、部屋を取った。そうして、風呂に入って一段落した後、行きつけの「よろこび庵」に向かった。看板娘の麗奈ちゃんや家族は、こんな天候の中を渡ってきたことに驚いた様子だった。おいしい食事と生ビールを出してもらって一息ついた。そうして早めにホテルに戻り部屋に入った。身体中が筋肉痛だった。ベッドに入るとすぐに前後不覚に陥り爆睡した。

次の日、天候はまだ回復しそうに無かったので、出港は見合わせて洗濯などをしながら一日ゆっくりと過ごした。何せ、航海途中で着ているものすべてが湿気を帯び、なおかつまるで獣のような臭いがしていたから。キャビン内のクッションなどもすべて外に出して天日干しをした。キャビンの床はオイルが漏れたのだろう、滑りやすくウエスで何度も拭いたがなかなか汚れが取れなかった。

2日後、直接沖縄を目指して09:00出港した。奄美南部まではうねりはあったものの比較的穏やかで風の方向もよかったのだが、徳之島を望む頃から真向かいの風と波に変わった。

20:00、そうひどい風波ではないが両舷灯が消えてしまって夜間航行は危険と判断した。それに体力も完全には回復していなくてオーバーナイトは持たないように思えたし、先日の二の舞はしたくなかったので徳之島の平土野港に進路を変えた。慣れた港ではあるが、今回ここでも夜間入港してしまった。本当は一番避けたいシチュエーションだったが、このまま向かい波の中を無灯火で走るよりはいいだろうと思った。いつもの魚市場の前に接岸すると食事に出かけた。以前焼肉屋だった店が中華料理店に変わっていたのはびっくりしたが、まあまあの味だった。

10:00、近くの店で電球を買って交換してから、風向きもいいので少しうねりが残る海面に向かって出港した。最初は曇っていて靄もかかり鉛色した海面だったが、次第に晴れてきて沖永良部島を望む頃から穏やかな風と穏やかなうねりに変わった。

沖永良部を通過して2時間ほどしたところで夜になった。空には満天の星が輝き、相変わらずちょうどよい風がクウォーターから吹き、波はますます小さくなって滑るように艇は沖縄に向かって走る。途中、2本目のオートパイロットが壊れてしまって、もうひとつ壊れたものの部品と合わせて、ひとつの稼動するものにしてティラーに取り付けた。もうオートパイロット無しでオーバーナイトをする気にはなれなかった。それ以外は今回の回航で初めて本当にのんびりした走りを楽しむことが出来た。

02:00本部半島先端を通過。東の空が白み始めた頃、渡久地港沖の瀬底島サイドを通過。残波岬を06:00通過して宜野湾に07:30無事入港した。新オーナーやA氏らが出迎えてくれる中、奥のバースに接舷。今回の波乱万丈のミッションを終了した。

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おーい ! 沖縄 !!
再び沖縄へ HTB〜宜野湾 YAMAHA26Cの回航

『ブラックパール』を宜しく!

『ブラックパール』を宜しく!