FLICKA回航PART−2    ―頼 回 航


2006年2月4日(1日目) 出航
07:00新若草港。思い切り寒く、大須賀さんの車には雪が積もっている!その中で淡々と出港準備を進めた。同行してくれる由布氏が到着して、8:20いよいよ出港した。北の風、風力2〜3。リーチングの機帆走。5ktキープしながら走っている。これなら佐賀関まで楽勝かな?と思いながら走っていたら後ろから雪が追いかけてきた。メインセールに雪が積もる。デッキにも積もる。その中で不思議に身体は着込んでいるので寒さを感じなかったが、ブーツの中は凍えていた。佐賀関が近づくが周りは雪のために視界不良。波高1m程度だが余り快適とはいえない。佐賀関を11:50通過した。東側に回りこむとつかの間の落ち着き。無垢島が近づく頃から、風速が上がってくる。無垢島を越えた辺りでブローチングしそうになるほどのきつさになったが、快調にログを稼ぐ。保戸島サイドの狭水道をスパッと抜けて、蒲戸崎に向かう。蒲戸崎を回りこんでいつもの不規則な風に翻弄されていたら、燃料が無くなった。メインタンクに燃料を補給して再始動。15:20上浦津井漁港に無事到着。一日目が終わった。約40nmの行程。

2月5日(2日目)大分から宮崎に
00:54上浦津井漁港出港。由布氏に仮眠を取るように指示して、シングルワッチで大島を目指す。最初から1ポンリーフ、ストームジブをセットして北西風力2の風の中を5kt以上キープして走るが、オートヘルムが利かなくなり、手引きする。先の瀬サイドで対地速度9.3kt!鶴御崎を越えた辺りから電圧が落ちだし航海灯が暗くなる。芹崎辺りで急にエンジン停止。まあ風もあり、真っ暗なのでメンテは明るくなってすることにして、由布氏を起こしてヘルムを交代してもらう。2時間ほど眠ったあと、由布氏から起こされた。深島サイドまで到達したが風力も落ちて2kt出ていない。エンジンを見ると、燃料ホースが外れていた。燃料はあるのでそのまま始動して走り始める。するとオートヘルムも作動し始めた。電圧が低下していただけだったのだろう。
07:00朝日が昇る。波も穏やか、いい天気だ。美々津沖で風向きが変わった。燃料も補給してひたすら穏やかな日向灘を走る。ガイアの高層ホテルが見える。いつもながら、このホテルが近づかない。
宮崎マリーナの入り口に着いた。相変わらず、入りにくい。特にブイの間隔が狭くなっている感じがする。17:35マリーナ接岸。すぐに磯貝氏の愛艇アミーゴに行き、南西諸島の港湾案内、コンパス付双眼鏡と差し入れの焼酎を取り出す。2日目は非常に楽にこなせた。
6時過ぎに磯貝氏の奥さんが迎えに来てくれた。燃料40L補給し、彼が入院している病院に見舞いに行く。一昨日5時間の大手術をしたばかりというのに、余りに元気なのでびっくりした。しばらく歓談してお暇する。帰りに新しく出来たショッピングモールで食糧の買い足しをして、9時に閉まる直前のマリーナに戻った。くつろいでいると由布氏が明日の航海で帰っていいかと聞いてきた。もちろん本人の意思が大事、了承する。
天気予報を見ると明日以降厳しい天候になりそうだ。朝6時出港を目処にして眠った。

2月6日(3日目)宮崎マリーナから油津
ぐっすりと眠った。起きるとすでに雨の音。出港準備をして07:05出港。海水温が暖かいのだろう、海面から湯気が立ち昇っている。視界が悪い、周りが見えない中、コンパス進路161度で走る。徐々に風速が上がってきた。雨脚も強くなる。波高も2mを超えた。バウハッチから雨漏りがする。由布氏とも無言で黙々と進む。視界が一時100mを切る中、速度5kt前後で南下する。風向が変わった。南東からの向かい風20ktをオーバーしてくる。何とかポートタックで走るが徐々に南に変化してくる。少しずつ、南西に向きを変えた。そこから意外と潮が早く鵜戸岬の方に流されていく。エンジンの力を借りて進めるが、南東からの波が強く、波高が3mを超える中、いやな感じで陸地に近づいていったが、何とかコースを保つことが出来た。雨としぶきで全身がずぶぬれになったが海水は温かい。その内に油津沖の大島が視認できた。ここからの最後のアプローチがこれまでで一番大変だった。タックを2本入れて、油津港への最後のコースに乗せることが出来てほっとした。港口まで大波だったが、港の入り口の防波堤を越えると静かになった。港の一番奥、以前にランスロットを留めたところまで入れた。しかし、ここは南からの風には弱く、すぐに西側に移動させた。
ここで、由布氏は下船した。お疲れ様。バス停まで送っていってから、傘を買って漁協に行った。ところが漁協は5年ほど前に引っ越していてもぬけの殻、そこに居た漁師の人が、避難停泊だから大丈夫だよと言ってくれたのですぐに艇に戻った。後はただひたすら眠った。

2月7日(4日目)
朝のゆっくりと目を覚ます。北西風が非常に強い。多くの漁船が避難してきていた。朝食を摂ってから、窓を開けてキャビン内の湿気を追い出そうとしたが、岸からの風で室内に砂が入り込むためにすぐに閉めた。停泊している艇が大きく傾くほどの風が吹いている。港外は大時化だろう。天気予報を見ると波高がこれからますます高くなる。明日も出港は無理だろうな。まったりとして午前中を過ごし、午後から洗濯物を持って町まで出かけた。丁度バスがあったので、大須賀氏からの電話を受けながら、それに乗り込む。山形屋デパートの側で降りてから、コインランドリーに行き、洗濯している間、近くの喫茶店で食事を済ませた。洗濯物を取り込んで、コンビニに行き、風呂屋は無いか尋ねたが、近くのものは先日つぶれて日南駅の近くにある簡保の宿しかないとのことだった。それからガソリンスタンドに行き30Lガソリンを頼んで艇まで人間と一緒に運んでもらった。風は一向に収まらない。明日はもっと大時化になるだろう。後はひたすら待つだけだ。

2月8日(5日目)
 6:50起床、風が幾分か凪いだように感じる。近くのコンビニまで買出しとトイレ拝借に行く。9:15から発電機で充電開始。昨夜TVを見て、パソコンに充電したら第1、第2バッテリー共にあがってしまっていたためだ。天気予報を見て波高の予想図を見ると、大隈半島東側は比較的波高が低いようだ。せめて内之浦までと思い、出港準備を進めていたら、またしても風速が上がってきた。矢張り無理は禁物、潔く出港を取りやめる。
 観光協会に電話して近くに入浴できる施設はないか尋ねたが、結局簡保の宿しかないようだ。どうせ時間はある、歩いていくことにした。広島東洋カープのキャンプ地だけあって、あちこちに球団歓迎のポスターがある。しかし、中心街は更地と空き店舗ばかり。相当に地域経済が疲弊しているようだ。30分ほど歩くと、油津駅の前に出た。近くのレストランすえひろに入る。久しぶりにきちんとした食事が必要に思え、日替わりランチを頼んだ。ボリュームのある食事をしっかりと食べて明日からの航海に備えた。
 レストランから出ると丁度バスが来たので、それに乗り、簡保の宿まで行った。222号線からは10分ほど歩いた高台にある保養所でゆったりと温泉に浸かることが出来て幸せだった。16:53のバスに乗って油津駅まで戻り、コンビニで買い物を済ませて歩いて艇まで帰った。今日歩いた距離は多分10km以上になっただろう。
 帰り着いて、マフラーを忘れていることに気がついた。簡保の宿に連絡したが無い。レストランに連絡したらあった!何せ、セーリングクラブジュニアの女の子が編んでくれた手編みのマフラー、忘れるわけにはいかない。またしても歩いて取りに行く。これで4kmは間違いなく歩くことになる。いい運動だ・・・
 帰りに、100円ショップに寄って、小物を買い揃えてから艇に戻った。

2月9日(6日目)
 時計を見ると4:20。風が強い、リギンが唸っている。こんな時に出て行く勇気はないなあ・・・うとうとしていたら妻からモーニングコール。05:30きっかり。おや風が止んでいる。出港準備を始めた。6:20出航。3日ぶりのセールホイスト。大島の内側を通り過ぎる。北西の風、風力2〜3、波高1m、まずまずのコンディションだ。幸島横を通過。09:15都井岬通過。志布志湾に入ったとたんに波高2mオーバー。風速が10m/sを超えた。激しくがぶられるが、方向性がいいのでそのまま南下する。内之浦沖に差し掛かったところでオートヘルムの調子がおかしくなった。バッテリーを1から2に変えると復帰した。しかしものの30分持たないうちに完全にダウン。仕方なく手引きで舵を取る。風は強いままで、大隈半島の上から吹き降ろしてくる感じだ。山の隙間から桜島が見える。17:00大泊の入り口が視認できた。入港すると地元の漁師が着ける場所に手招きしてくれる。フェンダーを準備していたら振り回しで停泊している船にぶつかりそうになった。漁師がもやいを取ってくれて、燃料補給したい旨申し出ると、スタンドが閉まるので俺が行ってやると、軽4トラックで買いに行ってくれた。それから、対岸に見える佐多岬ふれあいセンターに風呂をもらいに行った。歩くこと片道約2km、4階にある展望浴場は快適だった。地元の高校生が5,6人入っていた。彼らとサウナでしばし歓談した。素朴ないい若者たちだった。ここは食べるところがどこにも無い。まあ8時を過ぎていたから無理も無いが。仕方なく艇に戻ってカップラーメンを食べた。
大須賀氏と連絡をとって、オートヘルムの状況を伝える。明日からの長距離をどうするか相談した。フソーのオートパイロットを試すことにした。分解してみると金属片が入っていて取り除いたら正常に作動した。これで明日出航する準備は出来た。途中でだめになれば屋久島に入港すればいい、そう予定を立てて就寝した。

2月10日(7日目)
 5:00起床。6:30いよいよ出航だ。九州本土にもこれでお別れだ。漁師から教えられたとおり、佐多岬の方角に進路を取る。思い切り進路を西に向けた。佐多岬を越えたら開門岳の雄姿がはっきりと見えた。波高1m、風は無い。まずまずの海況。思いのほか、噴煙を上げる硫黄島が近くに見える。その方向に進路を向けた。潮流に対応するためだ。順調に南下始めた。コンパス進路220度、そのまままずはトカラ列島中の島を目指す。屋久島と口永良部島の海峡に差し掛かった頃、雨交じりの北西の風が強くなり、波が高くなってきた。宮之浦に入りたい衝動に駆られる。がぶられると少し気弱になってしまう。が、そのまま南下した。口永良部島と屋久島の間を抜けた頃、オートパイロットの調子がおかしくなった。またしても電圧かとバッテリーを切り替えたがだめだ。すでに宮之浦に入れるところを大きく過ぎてしまっている。まあ、手引きでなんとかなるだろうと、覚悟を決めまっすぐ太平洋の方を見つめた。
 これだけがぶられると、腰と尻が痛くなる。手引きしているので腕もパンパンに張っている。しかし、休めない。ちょっと油断すると、方向が20度くらいは変化する。GPSとバルクヘッドにあるコンパスを睨みながら南南西に進む。中の島が確認できた頃、夕闇が迫ってきた。大泊から名瀬まで170nm、これだけの距離を一気に走ろうというのだから、結構根性ものだ。夜になれば大波が見えないので少しは気が楽になるかと思ったら、満月に近い思い切り丸い月の月光で明るいこと!良く見えてこれじゃあ気休めにもならない。

2月11日(8日目)
 2:00頃、眠気が襲ってきた。たまらず、ティラーをロープで結んで、眠った。2時間くらい仮眠を取っただろうか、セールの音、波の当たりが違うように感じて目が覚めた。相当東に走っている。また舵を取る。3:00頃エンジンが止まった。燃料を補給しなければならないが、補給する燃料も少ない。入港時のことを考えてそのまま走った。明け方4:00またしても睡魔が襲う。6:00近くまで気がつかずに眠ってしまった。航海灯が全て消えていた。バッテリーの容量が少ないのだろうか。燃料を補給してエンジンを始動するとランプが点灯した。これだけ広い太平洋上なので、お得意の?のし上げる心配は無かったが、その間に2nmも後戻りしていた。1時間のロス!
 周りが明るくなる頃に、右手に宝島の島影を確認。正面にあるはずの奄美大島の島影はまだ見えない。海況は大変穏やかになっていた。波高も1m以下、しかし、風速が3m/sくらいと弱い。艇速が2〜3ktしか出ない。天候は曇り。燃料節約のためにエンジンを止めたまま、我慢の帆走をする。
 GPSが名瀬まで36nmを表示した頃、やっとランドホー。しかしすぐにまた見えなくなった。33.2nmの地点で携帯が電波を受けだした。早速妻に連絡を入れた後、大須賀氏らに連絡を取った。その後エンジン始動。ここからならば何とか名瀬まで回しても燃料が持つだろう。50%の出力で機帆走する。速度は5kt前後をキープする。18:00奄美大島の笠利崎灯台の灯が点った。この頃からだんだんと風速が上がり、波も高くなってきた。チャートを見て、名瀬までのコースを確認し、特に念入りに港入り口の進入路を確認した。すぐに暗くなった。時折速度が7ktを超え始めた。早いのはいいが、ローリングが激しい。スプレーも盛大に被る。黙々と(喋る相手もいないが・・・)舵を引く。笠利崎灯台を通り過ぎ、今井崎の灯台の先に名瀬港入り口の灯台が見えた。そこを狙っていくのだが、左右に大きく進路が変化する。波も頂上が砕けるようになってきた。その背に乗って落とされるのだから、大きくヒールするのは当たり前だろう。仕方ない。
灯台下に赤の灯が見えた。当然右側に障害物があるものとそちらの左を狙っていったが、どうも違うようだ。名瀬から定期船が出航していく。その方向に緑の灯火が見えたのでそちらを狙ってしばらく行ったが、チャートを見直すと違うようだ。思い切って、港入り口に進路を向けた。追い波の中で大きく翻弄されながら、入り口の赤灯台を視認できた。そこをすり抜け、内側の赤灯台を抜けたところで波が落ち着いた。風は強かったが、なんとかセールを降ろし固縛してから、港奥に向かう。一番奥には保安庁が巡視艇を泊めていたなあと思ったが手前の場所は停泊には向いていない。もっとも奥の防波堤を抜けたところに絶好の停泊場所が見つかった。前にはコンビニ、ガソリンスタンドがあり、飲み屋街もすぐ側、つまり名瀬の中心街のまん前!11:00とりあえず漁船に横抱きした。しかし、岸壁が高くそのままでは上陸できない。仕方なく岸壁に横付けした。とにかく地面に足を着けたかった。コンビニに向かい、明日の朝食を仕込んでから、飲み屋街に行くと12時過ぎというのにお客がいっぱいの小料理屋よろこび庵が開いていた。看板娘と職人肌のご主人が麺類を中心に提供している。そこでひとつだけ空いていたカウンターの席に座り真夜中の晩御飯を食べた。3日ぶりのまともな食事は、おいしかった。

2月12日(9日目)名瀬の休暇
 爆睡した朝、目を覚ますと風が吹き上がっている。1日違えば多分辿り着いていなかった。その意味では判断は間違っていなかったようだ。その代償として体中の筋肉が悲鳴を上げている。特に腕はパンパンに張っている。起き上がる気力も無い。それでもトイレに行きたくなった。無理やりに身体を起こして、目の前にあるガソリンスタンドに行った。トイレを借りた後、そこの車で艇に戻りタンクを積んでスタンドでガソリンを80L購入した。艇まで持って帰ってから、スタンドの従業員が風呂のあるホテルまで送ってくれた。お礼に持参したTシャツをプレゼントした。
 ホテルで昼食を摂り、4階にある大浴場で、2時間くらいゆっくりとサウナに入ったり、湯船に浸かったりとのんびりと過ごした。出掛けに受付のおばちゃんが黒砂糖をくれた。余分にビニールに包んで持たせてくれた。
 再び艇に戻ると、身体を動かす気力も無くそのままバースに倒れこんで眠ってしまった。
 気がつくとすでに18:00、暗くなり始めている。洗濯物をバッグに詰めて、食事をする間にコインランドリーで洗濯する。食事は昨日行ったよろこび庵ですることにした。矢張り美味しかった。思わず店の写真と、美人の看板娘の写真を撮らせてもらった。
 コインランドリーに戻り、洗濯物を乾燥機に入れて20分ほど乾燥させてから、詰め込み帰った。ビールを飲んで、テレビを点けてしばらくしてパソコンを出し、電源を入れたが反応しない!インバーターからの電源では弱いのかもしれないと思い、コンビニで電源を借りて立ち上げようとしたが立ち上がらない。末岡さんにSOSを出したが、いかんせん直らない。裏蓋外してあれこれやって挙句、最後に仕方なくしばらくバッテリーを外して電源を外し再度バッテリーと電源を入れなおしたら、やっと起動した。これが動かなくなると、商売上がったりになるものなあ。ほっとした。

2月13日(10日目)名瀬から徳之島
で気がつくとすでに日にちが変わって13日!2:00に眠りについた。
06:30出港。徳之島を目指す。港を出ると大きなうねりがある。1.5mの波高ということだが、水平線が隠れるほど大きい。ただ、右後ろからの波なので、比較的楽だ。海岸線に沿って南西の方向へ進む。波間に鮫の背びれが見えたが一度だけだった。加計呂間島が見え出した頃から、うねりは大きくなってきた。波長が長いので比較的楽に越えられる、というより越えていかれる。その度に大きくローリングする。前方に徳之島の島影が見えた。45nm程度の距離なので今日は楽勝だ。ただ、最初予定していた亀徳港では暗くなりそうなので、予定を変更して2nmほど近くなる平土野港を目指した。潮にも乗って徳之島空港のサイドを通過し、平土野港奥に進入した。18:00ちょうどに入港。突堤で釣りをしている人が係留場所を指示してくれる。何と魚市場のまん前!特等席だ。本当にここでいいのかなと思ったら、市場の人も良いといってくれる。お言葉に甘えて着けさせてもらった。目の前にあるガソリンスタンドに燃料購入にいったら、一人なので持っていけないから自分の車を使って持っていってくれだって!何ともおおらかなものだ。徳之島でここだけがカードが利くそうな。ちょっと休んでから食事に出た。何とも田舎の食堂(失礼!)「万葉」のようなところに入った。そこの気さくなご主人と食事をしながら歓談した。今給黎さんも立ち寄ったらしい。20ftの小さな船で沖縄まで行くことにびっくりして感激していた。帰り際に頑張ってと握手され、照れくさかった。
 艇に戻りオーナーと連絡を取った。与論島から乗りたい気持ちが強いようだ。何とかしてあげたいが、明日から南の風になる。どんなものだろうか。与論島まで一息で行くには明日のコンディションでは辛いものがある。朝になって考えようと、早々と眠りについた。

2月14日(11日目)徳之島から沖永良部島
 4:00目を覚ますが、どうしても与論島まで一気をする気になれない。こんな時は刻んだほうが良い、寄港地を25nm先の沖永良部に変更した。そうなればもう少しゆっくり出来る。ちょっと眠ってから、準備に取り掛かった。市場には珍しい魚が上がっていた。アカマツという赤い大きな魚は高級魚で美味だそうだ。
市場の人から入港届けを書くように言われた。保安庁がうるさいそうだ。彼から沖永良部は和泊が泊めやすいだろうといわれたので、そこを今日の目的地にした。08:20出港した。案の定、南からの真向かいの風、波も真向かいで、3.5ktがやっと。12:00過ぎ、我慢できずに、エンジン出力を100%に上げた。それでもやっと4kt程度稼げるかどうかだ。しかし、連日の舵引きで腕はパンパンだし、出来るだけ早く沖永良部に着きたいと思った。航海中、ひっきりなしにスプレーを浴びる。びっしょりになったが寒くない。すでに今日は防寒タイツは穿かず、上もジャケット1枚少ない。そこにスプレーを浴びているのだが、暖かい。沖永良部が見えた。さんご礁に砕ける波が見える。海岸線の白い砂と岩はまさに沖縄のそれだ。心が浮き立つ。しかし、これから港に入る度に、浅瀬にびくびくすることになる。慎重に和泊港に入港した。最初に入った東側の船溜りが着けづらい。一旦出て西側の船溜りにアプローチしたら、潮が引いていることもあり、S字カーブのようなわずかはば5m程度の進入路、両サイドはさんご礁!さすがにビビった。15:40着岸。この艇で無ければ絶対に進入不可能は港だ。しかし、中の古い突堤に舫ったら、様になること!郵便局の配達員が珍しそうに見に来た。早速、写真を撮ってもらった。突堤の反対側の砂浜ではオバアが貝掘りをしていた。きれいな蛤を沢山取っていた。
片付け終わってからカメラを持って上陸した。事前に何も調べていなかったのだが、ここは西郷隆盛が流刑されたときに上陸した地点だった。記念碑があるだけだったが、少し歩いてみるとサトウキビ畑があったり、パイナップル畑があったりして、いかにも島の風情、ゆっくりと散策するとサバニが陸に置かれている。ここはもう沖縄の文化圏なのだと改めて感じた。途中大きな木に繋がれたヤギと子ヤギが気持ち良く葉っぱを食べている。穏やかな島の風景がそこにあった。
6時から開くという一軒だけある海老が名物の割烹レストランに夕食を食べに入った。座敷に通されて、メニューを見たが、結構高いので比較的安い天ぷら定食にした。食事後しばらく居座って、パソコンに記録を打ち込んだ。7時過ぎに店の人が、買出しに行くのならもう店が閉まっている、電話であけるように言って、そこまで店の車で連れて行ってくれるというので、お言葉に甘えて、送ってもらった。電気の消えた店を無理やりに開けてもらって食糧品の買出しをして港まで送ってもらった。彼女に「ぐるっと日本一周」Tシャツしか持っていなかったので、それを御礼に差し上げた。
艇に戻るとき空を見上げるときれいな満月が出ている。月明かりの南国の港を目に焼き付けた。

2月15日(12日目)沖永良部島から与論島
 目的地は昨日と同じ距離25nm先の与論島。相変わらず南の風。チャートを見て一旦北側の岬まで北上して回ってから松村氏のアドバイス通り島を右に見て南下するコースを選択した。北上する間は波も穏やかで快適だったが、岬が近づくにつれて、先端に浅瀬に打ち付ける波が見え、そのはるか沖のほうまで、白波が立っているのが見えた。チャートを見直して沖のほうに浅瀬が無いことを確認した。そこはちょうど潮目だった。近くまでは6kt近く艇速が伸びたが潮目に突っ込んだとたん3.5ktに低下、岬を回るところで前方からサバニが一艘出てきてすれ違った。大きく手を振ってくれたので、私も大きく手を振り替えして答えた。
 島の海岸線に沿って南下していると、燃料が切れた。予備タンクに繋ぎ換えて再度機帆走する、といってもストームジブ1枚のみで、内側に引き込みスタビライザーの役しかしていない。ほとんどエンジンの力のみで走る。島に寄せようと思うが、横波のために近づきすぎるように感じて、なかなか寄せきらない。艇速はせいぜい4kt。島を離れ始めた頃から波高が1.5mを超えだした。ほとんど前方からの波で大きくピッチングを繰り返し盛大にスプレーを浴びる。時折海水の塊が頭から落ちてくる。その中をただ黙々と進んでいく。10nmくらいに近づいた地点でやっと与論島が見え出した。これで沖縄県に踏み込んだ気持ちになった。波の中で巡視艇とすれ違った。もとよりライフジャケットとハーネスは着用して荒天帆走の準備をしている。そのためか、巡視艇は何も言わずに立ち去った。15:00与論港らしき場所に辿り着いた。すでに鶴田オーナーは到着している。かれから目標物を教えてもらい入港体制に入った。前方に見えるポールが導標かと思い、近づいたがどうも違う気がする。そのとき湾の南側防波堤の近くを本船が入港しているのが見えた。一旦沖に出してそちらまで向かったら小さな緑ブイが見え、航路が確認できた。航路に沿って進入していくが、海底まで良く見えてぶつかりそうで怖かった。
 入港すると、鶴田オーナーが突堤で待っていてくれた。そうして着岸できそうな場所を探していると、地元のヨットマンで公民館に勤める池田氏が停泊場所を指示してくれて、そこに舫った。ついに与論島まで辿り着いた。
 上陸してしばらくは動く気力も無かったので、しばらく突堤の上で写真を撮りあったりして3人で談笑した。昨日身体を拭いただけだったところに今日のしぶきを浴びた身体の塩を早く拭き取りたかったので、池田氏に教わった南海荘という民宿に風呂をもらいに行った。まだ準備が出来ていなかったが、すぐに準備してくれて、鶴田オーナーに待っていただいて、じっくりと塩を洗い流すことができた。
 艇に戻ると、地元の焼酎とパネルにしてくれたきれいな入港記念の写真が置かれてあった。池田氏からの贈り物だった。すぐにお礼の電話をすると港の前にある居酒屋で飲んでいるからおいでとお誘いを受けた。鶴田オーナーとお礼のTシャツを持って伺うと、役場の総務課の方々と7〜8人で楽しそうに飲まれている。その輪の中に入れていただいて、有泉という焼酎を宮古の「お通り」と同じように氷を入れた杯に並々と注がれて呑まされた。南にくれば当然と覚悟はしていたが、30度の焼酎の一気飲みはさすがにきつい。しかも自己紹介しながら何回も回ってくるから結構大変だった。しばらくすると池田氏が河岸を変えると言い、タクシーで連れて行かれた。すると、とある民家の庭に着いた。思わず酔いが醒めてしまった。なぜなら、そこには葬式の祭壇が飾られ花輪があったのだ。躊躇していると早く上がれと促された。ままよと上がるとその家のご主人が池田氏の兄弟らしく、また親戚の方が昭和医科大学の消化器外科のドクターで、鶴田オーナーとも共通の知人が居るらしく話が弾んだ。まさに奇遇ではあった。その内、夕方食料品を仕入れたコンビニの店主で商工会の会長をしている兄弟の人が来られて、この家の親戚一同と一緒に食事をした。側にある祭壇は気になったが、先方の考えは亡くなったお父さんは92歳だったかで、天寿を全うされたのでこの葬式はお祝いだとのこと、だから酒を飲んで談笑すればいいとのことだった。確かに理屈ではある。思い切り飲まされたが、共通の話題も多く楽しいひと時を過ごすことができた。帰る前に祭壇に線香を上げてお参りし、その前で家族と共に集合写真を撮った。後にも先にもこんな不思議な経験は無いだろう。何か夢を見ているような時間だった。池田氏と別れて艇に戻り、鶴田オーナーと二人、今日の不思議な体験を語り合っているうちに狭い艇のバースで一緒に爆睡した。

2月16日(13日目)与論島から沖縄本島
 朝起きると鶴田オーナーが居ない。頭は冴えているが身体はきつい。やっと起き出して魚市場のほうに行った。スタビライザーのついたこの島独特の船型をしたサバニが置かれている斜路を通りすぎて、トイレを探すとすぐ側に公衆トイレがあった。このトイレがまた不思議な造りをしていた。何とひとつの個室に様式と和式の便器が並んで備えられている。どうしてそのようになっているのか結局分からずじまいだった。
 魚市場ではちょうど水揚げして競りが始まっていた。ソデイカという大きなイカが沢山揚がっていた。艇に戻ると鶴田オーナーが帰っていた。
08:20出港した。相変わらず真向かいの南の風、風速は2〜3mと余り無い。目的地を古宇利島として、GPSに緯度経度のデータを入力し、ヘルムを鶴田オーナーにまかせた。10nmほど走ったら、沖縄本島のやんばるの山々が見えた。いよいよ沖縄に来たのだ。あの島影を見たとたん、感激が胸に迫ってきた。
時間的に日没までには本部半島の渡久地本港に辿り着けると判断して、古宇利島から目的地を変更した。ここで凡ミスをしていることに気がついた。当初GPS読みで古宇利島と思っていたところは奥間ビーチの場所で実際の島はもっと南だった。緯度を3分ほど見誤っていたのだ。チャートの上ではたいしたことは無くても大きな誤差になる。反省させられた。
16:00備瀬崎沖を通過する。沖縄海洋博公園が見える。ジンベエザメで有名な美ら海水族館が見えた。沖には伊江島が真っ黒な雲を戴き不気味な形でたたずんでいる。上空には寒冷前線の雲がはっきりと形作られている。その沖側数百メートルにリーフがあり波が砕けている。早く港に入りたい状況だ。渡久地港に入るために磯貝氏が持たせてくれた航路案内で入り口の航路を確認する。ずいぶんと曲がりくねった水路だ。手前にある海洋博の時に出来たハーバーが泊め易そうだったが、実際に見ると航路案内と見比べても入るルートが分からない。予定通り本港に入ることにした。航路標識の左右はリーフで波が砕けている。慎重に航路に沿って進入した。入り口の渡久地大橋をくぐって、奥に入ると停泊している漁船の上から漁師が手招きする。その人の指示に従って常碇の舫いを貸してもらい、明日からの天候悪化に備えて北向きにバウを向けて停泊した。陸では鶴田オーナーの奥さんと一人息子のゆう君が出迎えてくれている。
片づけが終わり、ついに沖縄本島に海からの第一歩を記した。上陸すると、奥さんが手配してくれていた潜水作業をする人たちの作業場のシャワーを借りて、塩を洗い流した。それから、奥さんの運転する車で名護まで出て、コックが各テーブルの前でパフォーマンスをしながら肉を焼いてくれるステーキハウスに行き、オリオンビールを飲みながら豪華なディナーを食べさせてもらった。食事が終わると、鶴田オーナーの計らいで停泊している前にある民宿「ハーバー」に部屋を取っていただき、ベッドでゆったりと眠りについた。

2月17日(14日目)渡久地、沖縄海洋博公園
 目が覚めるとすでに8時半、階下のレストランに降りるとすでにモーニングは終わっていたが私のために作ってくれた。チェックアウトが11時ということなので、部屋でゆっくりして、その後洗濯物を担いで近くのコインランドリーに行った。午後1時くらいまでかかって洗濯を済ますと、艇に戻って荷物の整理をして少し横になっていたら、宜野湾ハーバーにヨットを置いているという渡辺さんが仕事途中だということで、大型スクーターに乗って尋ねてきた。「たのもし丸ですね?ホームページで見てますよ。」と声を掛けられた。明日ハーバーで出迎えてくれるそうだ。なにかすごく嬉しかった。
「ハーバー」のレストランで昼食を食べた。500円のランチはボリュームもあり栄養バランスも取れていて美味しかった。店を預かっている宮里氏とその友人らとあっという間に親しくなり、色々な話題で盛り上がった。それから、銀行に行って貯金を引き出そうと思ったが、持ってきたカードがなぜか使えない!手元には5,000円程度しか持ち合わせていないが仕方ない。海洋博公園まで行こうと思ったがあきらめた。
民宿に帰ると宮里氏が帰る用意をしていた。今夜も部屋はあるか尋ねたら畳の部屋が1500円だという、今夜も宿泊することにした。何せ1,500円で布団に寝られて風呂まで入れるのだから申し分ない。宮里氏は、住まいは那覇だそうだが帰る前に海洋博公園まで連れて行ってくれると申し出てくれた。渡りに船とお言葉に甘える。ゲートからビーチに向かうと目前に伊江島、北側に備瀬岬が眺望できた。写真を撮りながら、水族館の方向に歩く。きれいに整備された施設内を歩いていくとイルカを飼育しているところに出た。イルカの水槽を覗くと愛らしく泳ぐ姿が見学できた。そこから正面ゲートを出て、タクシーで渡久地港まで帰った。

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