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別府(大分)〜石垣(沖縄)回航

青い空 白い雲 はじけるビーチボールを目指して

AVANTIトレッカ34ft1号艇)

6月10日午後6時別府若草港

 古ウサギ氏と共に、下架したばかりのAVANTI号は夕闇の迫る別府湾へと静かに滑り出した。これから石垣島までの長い航海が始まる。とりあえず佐伯風無港を目指しながらシェイクダウン。何かが起きても佐伯ならばすぐ対処できる。ついでに回航準備の遅れたしんちゃんをそこでピックアップできると踏んで佐賀関を目指した。回転数3000、少し回し過ぎ?7kt以上キープしながら東進。新日鉄沖から夕闇が迫る。オートパイロットをセットしたがうまく作動しないので古ウサギ氏は手引きでラットを握る。佐伯風無港に無事到着してクラブのポンツーンに舫った。


 6月11日夜中に合流したしんちゃんと共に午前9時風無出航。いよいよ本格的に南下を開始。元間海峡を抜けて鶴御崎をかわし芹崎を通過、順調に距離を伸ばす。回転数は昨日3000回転で7L/hくらい消費したため、2500回転に落として運行。それでも7ktくらいはキープしている。細島沖で親方と連絡。ラフトなどの手配が遅れ気味とのことなので、無理してナイトをかける必要もないと判断して夕方日向美々津港に入港した。対岸に見たことのあるヨットが上架されている。以前にランスロットを泊めた場所に接岸すると地元の漁師に挨拶。快く一晩の停泊を了承してくれる。そこに車で訪れた人物、どこかで見たことがある・・・「あ、秋見さん?」「そうですが」「ほら佐伯市長杯であった西山ですよ!」なんという偶然。彼は昨年くらいからここに住んでいるとのこと。彼の車で日向お舟出の湯に連れて行ってもらいさっぱりした後夕食を共にした。彼の口から懐かしい昔の大分のヨット仲間の名前が次々と出てくる。しばし歓談。港まで送ってもらい明日に備えた。

 6月12日早朝、まだ周囲が薄暗い中を出港した。思いの外船足が伸びて、いつもはなかなか大きくならないシーガイアのビルがどんどん大きくなってくる。宮崎新港沖を通過して都井岬沖を通過。内之浦沖を通過する頃から徐々に風速が上がって若干ローリングが掛かるがリーチングなので楽に進む。古ウサギ氏の操船で今日の目的地大泊港を目指した。

夕方6時、大泊港接岸。4月回航時に出会った地元の元自衛隊員で漁師見習いをしている川口氏から風呂まで彼の車で送ってもらうことになったが、ご好意に甘えて時間があるからと佐多岬の先端まで観光案内に連れて行ってもらった。風が非常に強くなってきていて、もうあと1時間遅れていたらしんどかったなと思えた。佐多岬ふれあいセンターの展望風呂でゆっくりと湯に浸かりレストランで食事をした。天候は下り坂だ。タイミングよく?ラフトの到着も遅れている。ゆっくりと過ごすことにした。

次の日燃料補給などをしていると、川口氏が鹿屋まで出向くので一緒に行かないかと誘ってくれた。どうせ1日暇なのでお言葉に甘えることにして出かけた。強いブローが吹いている。海面にはあちらこちらにウサギ(白波)が走っている。対岸のどんよりとした雲の中に開聞岳が垣間見える国道を鹿屋まで走った。途中こちらのヨットクラブの副会長が経営委託されている海の駅でバイキングの昼食。釣具屋に立ち寄った後、鹿屋自衛隊基地に見学にいった。芝生の上に二式大艇の雄姿が見えた。雨の中、その巨大な機体の周囲を回り見上げながら写真を撮った。それから基地内の資料館に入った。川口氏が係の人たちと話している姿はまだ現役の自衛官そのものに見えた。東郷元帥の書や大戦時の資料、ゼロ戦の復元機や特攻、現在の自衛隊の資料などが時系列で展示されている館内を見学してから事務室でお茶を頂き、二式大艇の資料も頂いてしまった。

帰りに珍しい焼酎などのお土産を購入して帰路に着いた。副会長の店に立ち寄り大泊に着いてからふれあいセンターで風呂に入った後、川口氏の自宅で食事をご馳走になった。何から何までお世話になりっぱなしで恐縮した。

 6月13日10:00親方到着、ラフトを受け取った。イマージェンシーティラーにST2000を取り付ける作業をしていると雨脚が強くなり激しい雷雨が襲ってきた。すぐ近くに落雷する。しばらく通り過ぎるのを待ってから出港した。佐多岬に進路をとる。海況が悪い。沖がざわめいている。風速も上がり20ktから時折30ktに達する勢いだ。正面からの超ワルコンディションで三角波が立ちヘルムがとりづらい。少し波が落ち着いたところでジブをスタビライザー代わりに使おうと二人に指示した。ところが3分の1くらい展開して固定するつもりだったのが、クリートからファーリングのロープが外れて全部展開してしまった。引き込むように指示したが、風が強いためになかなか作業が思うようにはかどらない。なんとか引き込んだがリーチの部分が破損して展開できる状態ではなくなった。そのため、ヘルムだけでローリングとピッチングをコントロールする羽目になってしまった。このまま奄美を目指しても無理と判断して屋久島に一時避難することにして二人に伝える。しかし今回初めて使用しているハンディGPSの見方がいまいち分からず大きく西に逸れて南下してしまい、竹島の方向に走り同島を屋久島と一時誤認するという失態をやらかしてしまった。間違えた後の距離は長く感じる。ましてこの悪天候の中での操船は神経を使う。ハーネスを着用して落水事故などに対する備えをしているのだが、ともすれば振り落とされそうなくらいのヒールが掛かった。

 宮之浦港を目前にしてもそちらに進路を向けるのが困難なほどの横波を受け、受け流すためにジグザグ航行してやっと港内に滑り込んだ。大泊を出て7時間ヘルムを取りっぱなしだった。漁港に向かうと大型艇が1艇接岸している。メルボルン大阪ダブルハンドレースに出場したエソテリカだった。その後ろに着岸して近くのホテルで1500円!の入浴料を支払い風呂に入ってからタクシーで小料理屋に食事に行ってようやく一息つけた。

 6月14日、船内は昨日の嵐で滅茶苦茶な状況になっている。水漏れ箇所も多く天候も回復していないので一日修理作業をすることになった。しんちゃんは作業着に着替えて早速作業開始。バウからスターンに至るまで数箇所水漏れがあった。特にスイッチパネルのある右舷側の窓付近がひどく、結局カーステレオが死にその他の機器も水をかぶっていた。

レンタカーのお店 やさしい店員さん

 夕方近くになって補修作業が一段落した後、レンタカーを借りてせめて屋久島に来ているのだから紀元杉くらいは見学に行こうということになり、作業を止めてから3人で出かけた。小雨が降る中安房から登山道に入ってしばらくすると屋久猿の群れが道路脇にたむろしているのが見えた。そのまま登っていくと今度は屋久鹿が道路を横切った。またしばらく行くと傍らに鹿の群れが見えて3mほどの位置にいる牝鹿を、車を止めて車内からストロボを焚いて写真を撮ったが全然逃げようともしなかった。

小一時間ほど登っていったところに紀元杉はすっくと立っていた。雨はひどく、暗くなってきたが、車から降りるとその大きな幹の周りを取り囲む回廊を一周した。紀元杉の生きてきた3千年の時と、この鬱蒼とした森が南海の島にあることを忘れさせるほど、深くひんやりとした精緻な空気が私たちを包んだ。映画「もののけ姫」の舞台の元になった限りない多様な緑色の風景が眼前に広がっていた。

帰る途中、楠川温泉に立ち寄った。この温泉は屋久島を訪れるヨット乗りやトレッカーが必ず立ち寄る施設だ。以前よりも湯船が改装されてきれいになっていた。夕食は昨夜と同じ居酒屋。満足して艇に戻った。

6月15日、レンタカーがあるうちに燃料補給などを済ませて、いよいよ奄美に向けて出発することにした。10:00仲良くなったエソテリカのキャンベルに言うと彼らも同行すると言う。私たちが出港してすぐにエソテリカも出港した。トカラ列島の東を南下する。少しウネリは残っているがまあまあのコンディションだ。2nmほど後方をエソテリカが追いかけてくる。夕闇が迫り今回初のオーバーナイト。クルー2人がいると、気分的には楽だ。ただ、ペデスタルにあるコンパスの照明が暗いために方向を定めるのが大変だ。ハンディーGPSはここでも役に立った。明けて16日、明るくなり始めた。奄美大島を視認する前にエンジンの回転数を少し上げて昼近い入港になるようにした。エソテリカは遅れて視界から消えた。奄美に着くと以前から着けている場所に停泊した。熊本のデゲロ35が入港していた。

ホテルに風呂を借りに行くとまだ時間が早かったので、前の食堂で昼食をすることにした。私はオムライスを注文したが、ここの料理は結構いけた。それから風呂がオープンしたのでホテルに行き、風呂から出るとついでに洗濯を済ませた。港に戻るとエソテリカが入港していたが、誰もいなかった。

その夜、エソテリカのさよさんに連絡をして、一緒に夕食をすることになった。名瀬で行きつけの「よろこび庵」に出向くと程なくしてキャンベル夫婦がやってきた。久しぶりに会う麗奈ちゃんから色々ともてなしてもらい、満足して艇に戻った。

6月17日、どうしてもジョイフルで朝食をとりたいという願望に駆られて歩き回ること30分、やっと件のジョイフル発見、望みの朝食をとって一息ついた。午前中に給油や食糧補給を済ませて出港。目指すは加計呂麻島、距離的にはすぐにいけるので楽な行程だ。キャンベルたちも一緒に出港する予定だったが、外国船籍のために保安庁からの許可がなかなか下りずに出港に手間取っていた。大島海峡間近まで私はアフトキャビンで横になっていた。しんちゃんから呼び起こされて見ると大きくコースを外れていた。すぐに修正コースに乗せて大島海峡に進入した。ここの海域は昔帝国海軍が隠れていたところらしいが、多くの入り江が複雑に存在してその一つ一つが美しいものだった。奥に艇を進めていくと古仁屋港が現れた。連絡船が多く出入りするところに新しく出来た海の駅があり、フェリー桟橋の内側にある防波堤に横付けして舫いを取った。そこで地元で観光クルーズ業をしている谷さんと出会った。彼はクルーズ業だけでは生計が成り立たないらしく、グラスボートのひとつを改造してカフェレストランを開業する準備をしていた。ここの海の駅の建物はまだ出来たばかりで新しく、その前に本来は足湯の設備としてあった水槽に色々な魚や水生動物を入れてふれあい水族館のようにしていた。その中にいるアオブダイの子どもが不思議な泳ぎ方をして手を出している子どもたちの方に寄ってくる。まるで頭を撫でてくれと言わんばかりだ。実際、体に触れても頭を撫でても嫌がるそぶりはまったく見せなかった。おとぎの国に迷い込んだようなほのぼのとした気分になった。

地元の人から教えてもらったおいしいレストランで夕食をした後、近くの銭湯で汗を流した。今回の回航ではオーバーナイトをしたとき以外は毎日風呂に入ることが出来ている。暑くなっているこの時期に毎日風呂に入れるのはありがたかった。後を追ってきたキャンベルたちは暗くなって古仁屋に入ることが難しくなったらしく、近くの入り江でアンカーリングすると連絡が入った。

6月18日、朝早く古仁屋を出港すると東に進路を取り太平洋側に出て南下を開始。昼ごろ徳之島沖を通過しているとイルカの大群と遭遇した。しばらくそのイルカたちと併走した。夕方、沖永良部島の知名港に入港した。ここは港の中も浅瀬が多く一見進入が難しく見えたが奥の岸壁は止めやすかった。横付けして上陸すると真前にあるホテルでまず入浴、それからレストランで食事をした。ここのホテルの従業員の女性はみな一様にふくよかで大柄な体型の人ばかりだった。沖永良部ではこんな体型の女性ばかりだろうかと訝ったが、その後買出しに行ったコンビニでは店員が普通の体型の女性だったのでホッと?した。帰りは雨脚が強くなってしばらくホテルに雨宿りをしたが弱まった頃を見計らって艇に戻った。屋久島で雨漏りに関しては対策を施していたので船内が濡れることは無かった。

6月19日、いよいよ沖縄本島を目指すため4時起きで5時に出港する。港外に出ると波がきつく体勢をたてていることが困難なくらいだった。漆黒の天空に星空が拡がり、天の川がまっすぐに本島に伸びている。その天の川の端を目指して艇は進む。しばらくして東の空が白み始める頃、やや波も落ち着いてきた。太陽が昇り今度は大きな虹が本島の方向に現れた。西側にあるはずのその端はまだ見えない。闇の中で天の川を目指し、夜が明けると虹を目指して船は進むとしんちゃんが詩人になってつぶやく。しっかり明るくなって虹はその色彩を濃くしていった。与論島の上空に夏雲が見える。その雄大な景色の中で感動に浸りながら本島を目指した。

ヘルムを交代してグースカ眠ってから起きだしてみると、艇はすでに本部半島沖まで進んでいた。時折飛び魚が周りを飛んでいく。本部半島に取り付く頃しんちゃんを起こしてみんなで景色を楽しんだ。快晴。伊江島の沖を前から赤い帆の渋いケッチが帆走してきた。半島には見慣れたさんご礁の奥に「ちゅらうみ」水族館が見えた。大きくさんご礁を迂回して水路標識を確認しながら渡久地港の水路に進入した。

お疲れ様でした
沖縄〜石垣はフォトレポート
近日中UP予定
お楽しみに!

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