タイランドプーケットへ
そしてキングスカップヨットレースへの参加

10/13(火) 10:00出港。500マイル程先の、タイ国プーケット島を目指す。途中良いところは何所有るのだが、ダイレクトに400マイル先のランカウイまでと思い船を走らせるのだが、殆ど風がないので機走のみとなる。プロペラに藤壺が付いているのだろう、2000回転も回すと凄い黒煙り。そして、2000回転以上ふかすことができない!! 1800位で4〜5ノットしか出ない! 途中Port Dikson(ポートディクソン)のマリーナ、と言っても、小さな商業港で桟橋はあるがとても私の船では止められない。近くの浅場(3m位)で、アンカーリング。取り敢えず潜ってペラの掃除と思い水に入ったが止め水で殆ど見えないのと、早い潮の流れで体が浮き上がり流され、とてもじゃーないが私の手に負えない。仕方がない、ここで時間を取られるより少しでも先に進むことにして、3時間くらいで出港した。油が通常の1.5〜1.7倍位使っている。1600回転まで落として、逆潮になると3ノットしか出なくなるが、これ以上ふかしても油を食うだけなのであとは時間を掛けて行くしかなさそう。500リットルあれば十分と思い、シンガポールで補給しなかったのが悪かった。やはり100リットル位は予備に入れるべきだったと、今となっては??・・・
ランカウイ島で一休みする予定だったが、それも取り止めプーケットを目指す。ランカウイ→プーケットまで120マイル、使える油が70〜80リットル位と思う。

ランカウイ島を後に見ながら夜になる。マレーシア(ランカウイ島)とタイの国境線付近に物凄い数のイカ釣り船。日本から比べると船は小さいが、私の行く手を遮る様に群れを成す。目の前を右に左にと横切るのだ。避けても避けても突っ掛けてくる。そしてここがタイとの国境線だろう! 本当に線を引いたように船が居ない。タイ側には、漁船が見当たらない。一安心と思いきや俄かに空が真っ黒になりスコールだ。凄い雨と風、私にとっては幸いでこの風を利用しないてはない。早速、ジブとメインを7割程揚げて、スターボードサイドの風、20〜23ノット、船速9.3ノットで、ほぼ35゜位からの上りの風。「それ行けー!!」この風が翌日の10時位まで続き、後残り30〜40マイル。これなら油もOK。目指すロイヤル・プーケット・マリーナの手前(南側)約18マイルの所のChalong Beyにアンカーリングすることにした。この場所はシンガポールで知り合ったヨットチャーター&コンサルタントの青木義一さんのクルーをしていたタイ人のTea(ティア)に聞いていて、「安全で町に近くて便利も良いよ」とTeaのお勧めの場所だ。ざっと見渡すとヨットが100、ボートが100それにチャータークルーズの船が30〜40隻。陸から600〜700m突き出た桟橋の先のポンツーンにはチャーターボート(200人乗り)が15〜16隻程居並ぶプーケット最大のアンカースポットだ。中を掻き分けるようにして、出来るだけ岸辺近くにアンカーレッコ。それでもピーチまでは1kmは有りそう。今は最干より30分位過ぎた所で水深約2.7m、イエローフラッグを掲げ、ディンギーを下ろし、長い桟橋の付け根近くのディンギー桟橋へ。そして、桟橋の付け根にあるイミグレとカスタムへ入国手続き。今日は土曜日だが、幸い私がここに入ったのが12時3分前! 丁度シンガポールで知り合ったアダムス45ftオーストラリアのケアンズから来たヨッティ親子3人組が入国手続きの最中で、私の並んで一緒にして貰った。少しおかしいなー持ったが、シンガポールでのクリアランスをイミグレが取ってしまった。何度も、コピーをくれと言ったが、That's OKを連発し、With bymeと言ってコピーは貰えないまま、パスポートにスタンプ「ポーン」と良い音を鳴らす。船に帰りその日はもう「くたくた」で食事もせずビールを飲んで寝てしまった。

17日翌朝、もう少し岸まで近づこうと船を出し,最干時(11:10)に岸辺近くへ、この場所は遠浅で、2マイル程走っても深さは僅かに70〜80cmしか変わらず、水深1.9〜2mまで入り、これでビーチまで400〜500m。ここでアンカーレッコ! ディンギーを繋ぎ直していると、向こうから手を振りながら近づいてくるディンギーがある。「オー!!」「Tea!」思わず叫ぶ。私が動いたので彼が岸のヨットクラブから見ていて、私を見付けたらしい。何しろ私の船のハルの後部には大きな漢字で3文字「風来末」と書いてある。彼も私を見付けて大喜び、早速タイ語訛りの英語で会話、しかし、殆ど私は分からない。しかし、何とはなしに殆ど通じるのである。彼が英語を話す数少ないタイ人だが読み書きは出来ない。私が辞書を引いて紙に書いて見せるのだが、彼には分からない。


19日(月)プーケット島にあるカスタムまで連れて行って貰い「入国審査」だが、クリアランスが入国したときイミグレに持っていかれて私の手元には無い。税関の係官が「クリアランスがないと入国させない」言う。懸命にイミグレに持っていかれたことを分かって貰い、やっと係官はイミグレに電話を入れた。そして、今度は今からイミグレに行ってクリアランスを貰って来いと言う。仕方がない。Teaに車で連れて行って貰い、彼の通訳でやっとクリアランスのコピーを貰うことが出来た。Teaがクリアランスはカスタム以外では絶対に渡してた駄目だと教えてくれた。しかも必ずコピーを貰うことだとも言っている。


20日(火)にロイヤル・プーケット・マリーナへ移動する。オーストラリア艇から軽油40リットルを分けてもらい18マイル北側のマリーナの連絡では夕方5:30に入港してくださいとの事。それより早くても遅くても駄目である。物凄く浅いので満潮時しか出入りできないのだ。3時間程で入り口目印の杭に着いた。これより左側に有る杭に添って入るのだが、デプス計もソナーも0(ゼロ)を指している。「怖い!」。次々にモーターボートが私を追い抜いて行く。6:30もう辺りは暗くなり掛け、マリーナのライトが点り出してはいるが、肝心の杭には明かりが無い。杭の半分より下は白のペンキを塗ってはいるのだが、ライトを当てれば見えるが私にはライトがない。やっとの思いでマリーナの入り口を見付けて入っていくと、VHFで連絡を取ったポンツーンB-4の前でマリーナスタッフが待っていてくれてはいるのだが,突然のスコール,物凄い雨が降り出したところで舫を取る。スタッフは雨の中簡単な舫を取ると「アッ」と言う間に居なくなった。残った舫の整理をしている間も、愕く位大粒の雨、もう100m先が見えない程降る。2時間程してスコールは終わったが、今日はオフィスは閉まってしまい、有り合せの食事をビールで流し込んだ。10時を過ぎていてシャワーを浴びて寝る。

ここのマリーナ、ロイヤルを称号してしているだけ有って、超豪華だけど未だ全部が完成していない。4階建てのビルがマリーナを取り巻く様に15〜17棟程有り、中の内装は未だ4割位、入店数も5〜6店舗と寂しい。そしてまだ4〜5棟が建設途中だ。マリーナのオフィスもプレハブの仮設だった。無線でやり取りした女性スタッフ、目元のきれいな40歳位のタイ美人のNert(ナートさん)これからも「よろしく」と挨拶。マリーナの係船料や、レストランなど外国人価格でとても高い。しかし、ゴージャスだ。このビルの中の一画に今新築中のインテリアの店が有る。私の元職業ともあって開店前を覗いてみた。この店もバリの鳥毛さんのガラスアートを展示してあった。マネージャー・ディレクターのLaurent(ローレント)さんが気持ち良く挨拶してくれ、店内を案内してくれた。このマリーナに27日まで居て、28日は、キングスカップの為にKata Beach(カタ ビーチ)に移動しなくてはならない。いろんな人やTeaの手も借りて重そうなも荷物を降ろす。洗濯機、ロープ大小合わせて約600m位、2トントラック約2ハイ分が運び出された。喫水線が10cm程浮いたようだ。それでもまだ船の中には降ろした分位は残っているが皆さんには我慢してもらおう。「レース前に手伝いに早く行きます」なんて誰かが言っていたが皆さん多忙らしくレース前夜しか来ないそうだ。

28日(水)Teaに手伝って貰って、Kata Beachまで回航。4時間位で着き、Teaに誘導して貰いビーチ近くの絶好の場所へアンカーを落とすことが出来た。早速上陸、Teaが電話を入れるとすぐにロングテールボートが迎えに来た。このロングテールボート、木造で7〜8m位のゴンドラのタイ版の様な型の後に自動車のエンジンを剥き出しで載せ、このエンジンから4m位のシャフトが出て、そこにプロペラが着いている。これを"みごと"としか言い様がない程に操るのだ。これでビーチまで3分で運んでくれ、片道50バーツ(150円)。このカタビーチ、長さ2km位あって砂浜にびっしりと並べられたサンデッキチェアー、1脚の空きもなく甲羅干しをしている。その殆どがヨーロピアン、北欧人だと言う。アイスランド、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドが最も多く、他にスイス,ジャーマニー、フレンチと続き、日本人は殆ど見かけない。隣のPatong(パトン)Beachに行けば日本人も多くなるそうだ。


30日の朝、鳥毛さんがバリ島からやってきた。そして、チャーター屋の青木さんも様子を見に来てくれ、話では、日本からのエントリーが5隻いるとの事だ。青木さんとTeaがシンガポールから回航したマム36のEMMAも入っていて、日本からの船での出場は私の風来末(オセアニス440) EMMA(マム36)の2隻で後の3艇はチャーターボートと言うことだ。熱海からのラッキーレディの面々も昨夜9時過ぎにホテルに到着し今朝(1日)8:00に船に来た。稲葉、羽部、望月、小俣、鳥毛、榎本、湯原さんら一行7人中5人だけが先に着き残りの2人は4日に来て入れ替わりに2人が早く帰るとの事だ。皆さん意外にもご年配だった。私の大分の友達やクルーよりやや上の方ばかり、やはり日本ではどこでも同じでヨット年齢が高いようだ。レース日程は下記の通り。
      12/1(土)09:00 登録と計測
        2(日)09:00 同上
           13:00 デモンストレーションレース
           16:30 艇長会議
           18:30オープンニング・パーティ
        3(月)09:00 Race1
           18:30 受賞パーティー
      12/4(火)09:00 Race2
           18:30 受賞パーティ
      12/5(水)09:00 Race3
           18:30 受賞パーティ
        6(木) 休み
        7(金)09:00 Race4
           18:30 受賞パーティ
        8(土)09:00 Race5
           18:00 総合受賞パーティ、閉会式

1日(土)登録の際、保険に入っておこうと思い運営委員会に申し出た所保険屋が今日から4日間休みで何も出来ないと言われ、少し不安だったが仕方がない。

2日(日)13:00からの練習レース30分程遅れて、私のエントリー組ocean Roverクラスのスタート。思った以上に良く走る。やはりレースが上手いのかなー? まずまずで多分2着のはず。後のほうはレースを止めて早々に帰っている。18:30からカタリゾートでオープニングパーティ。レース運営の規模の大きさに驚く。
2日目、いよいよ第一レース。オーシャンローバーはB組。最後のスタート10艇が競う。私の船はメインファーラー、ジブファーラー,スピンなしの登録になっていて、下りのコースでもスピンは使えないのだ。対戦相手がどれか良く分からない。分かっていてるのはGrislyAdams45ftとBen Lexcenの80ft位で残りはどれか分からない、が、レースは素晴らしい走りと、展開を見て、多分2着の好成績と思うが、レース結果を見ないと分からないが、Teaは少し興奮して「パーティ会場で表彰台に上がるよ」と言っている。皆も多分「タキシードでも着たほうが良いんじゃない」と茶化す。パーティも宴酣、日本人コミッティースタッフの沖さんが私らの所へやってきて「浅井さん、表彰台に上がるよ!」「用意して」と言う。稲葉さんと2人でステージ前へ、すると、大音響のスピーカーからFuraibatsu(フウライバツウー)と声が掛かり、2人でステージの上へ。何と、着順3着、修正2位との事で、クリスタルのセールの形をした縦20cm,横15cm位のトロフィを頂いて、稲葉さんと2人で多くの拍手を受け、私は日本語で「アリガトウー!」を連発した。

4日(火)朝から昨夜の興奮が覚めやらぬのか羽部さんがいつもピエロ役で温和な感じのユーモアがとっても面白い。今朝も「浅井さん! モーニング持って来たかい?」「優勝したら、キングからの受賞で、要るのじゃないかい?」「なんだったら、プーケットには仕立て屋がたくさん有るでよーっ!」「新調するかい!」等と皆を笑わす。そして昨日の1着はジャーマニーのJannear Sun Odyssey54ft(チャーター)で、3着はオーストラリアのアダムスの45ftと言うことだった。
今日も09:00のスタートに合わせて、レース海域へと急ぐ。本部艇へ近づき今日のコースを確認する。本部艇には沖さんの顔も見える。日本語でコースを教えて貰う。今日は風が強い、18〜20ノット近く吹いている様子。今日もレースは遅れ気味。30分程遅れてスタート、少し遅れを取ったがスターボードで本船寄りに入る。左風下側にBen Lexcen 80から追い上げられ、ラインからはみ出す感じ。本船にタッチする。何が何だか分からない。稲葉さんの「レース続行」の罵声が飛ぶ。誰かが「720゜720゜」と叫んでいる。2回転してレースに戻る。その後随分と健闘したが、結果は5着修正8位に終わった。今夜もパーティがある。パーティも3日目に入るともうどうでも良くなる。早めにTeaに頼んで船に帰るディンギーを用意してもらう。

5日(水)望月さんがレースの成績表を貰ってきた。見るとTCFがオーシャンローバークラスの中では一番高い1.200になっている。参加艇117艇中10番目だ。AクラスレーサーFull Metal Jaket(ニュージーランド)のCorby43と僅か0.015低いだけ。アダムスの45が1.070、OD85ftが0.984、Bon Lexcen 80ftが1.184、Bownan47ftが1.185、Oster485ftが1.104、私のオセアニス440が1.200「何じゃぁー、こりゃあー」まったくもって話が分からない。今日のレースは着順3着、第一レースと同じだったのに修正では5位。パーティも終わり船に帰ったがどうしてもレーティングが気に入らない。レース評議員をしている日本人ジャッジの榛葉(はしば)さんも聞いたが分からないと言うだけ、話を聞くところによると、オーシャンローバークラスというのは気に入らない奴のレーティングを上げたり、勝たせたいヨットのレーティングを下げたりするのがオーシャンローバークラスだと言う声も聞こえる。私はどうしても合点が行かない。
もう悔しいから他のレーティングもここに書いちゃう。

    ベネトウ・ファースト 44.7  1.117
     マム36            1.095
     S&S 46            0.988
     ベネトウ53f3         1.045
     ベネトウCycladas 50.5   1.048
     ベネトウ 523         1.103
     スワン53            1.070
     スワン55            1.045
     スワン44            1.055
くそくらえだ、もっと書いちゃう。
     ベネトウ Cycladas43     1.001
     ベネトウ50            1.038
     レーサーのJudel/vroliJK   1.302
     レーサーのDK46        1.208
     Duboisの80           1.323

私のオセアニス440が何で1.200.何だ「キングスカップのバカヤロー!!」と一人船の中で叫んでも腹の虫は収まらない。船のベンチやテーブルを蹴っ飛ばす! 「イテテテ」くそっ! 今度は足が痛くて仕方がないのでジンロックを一杯呷ってもう寝ようーと」

6日(木)今日はレースはお休み。パーティもなし。ゆっくり出来ると思いきや皆さんからプーケット散策に出かけたいとおっしゃる。ご老体方元気が良い。Teaの案内でタイ式マッサージにお土産店、タイローカルフードと回り、青木さんがプーケットに有る大きなセールメーカーがありそこを見ようと言うことになり寄って見たが、なるほどアジア最大を誇るだけのことはあり、広大な広さに多くのタイ女性の縫子がいる。マイラ、ケプラー、カーボンと自動裁断機で切っていく。セールに関わる全ても部品やシートも合わせて販売している。お土産用にTシャツやセール地で作ったバック等豊富に揃う。皆さん目を輝かせてお土産を漁っていた。


7日(金)今日も皆さん8:00前にはやって来た。望月さんが今日の予定表でレーティングを書いたやつを持ってきた。昨日多少コミティーの沖さんが愚痴を言ったからかどうか分からないが、今日はレーティング下がっている。「チラリ」しか見なかったので、確かどうか多少曖昧だが、1.200から1.040になっていた様な? これなら勝てると思い頑張った。第一レースと同じ3着だったと思う。Teaも「今日は表彰台だよ」と興奮しているが。パーティ会場、最後までお呼びが掛からなかった。後で今日の成績表を見たら元の1.200になっていた?

8日(土)レース5、今日もレーティングが1.200となっている。今日も風は強い。20ノット強のブローが吹く。スターチ後、私らの前にスタートしたカタマラン組が私らの前を20ノットをオーバーするスピードで行き交う。レース3と同じコースだ。速いレース展開で終わった。今日も着順3着だった。しかも前の2艇とは僅かな時間差だったように思うも、Teaの期待も空しく、パーティ会場での風来末の呼び声を聞くことは無かった。そして、翌日皆さんPhi Phi島観光の後、夕方のフライトで帰って行かれた。ご苦労様でした。私も思いがけない体験をさせて頂き有難うございました。


2,3日が過ぎ思い返すにレース全体としてはこんなに規模の大きい、しかも華やかさは他に余り類が無いように思うも、レースのそのものの内容は2流、3流という感想が私の意見だ。今回のレースも第一レースから第五レースまで全てのレースで事故が多発し、多くのボートが傷つき、怪我人や死人まで出てしまった。最終日のレース、私らがFinishの直前、後ろを振り返った正にその時、38ftのカタマランが前方右側から「ファー」と浮き上がったかと思った直後裏返ってしまった。レスキューや何やと集まってはいたが、後で耳に入ってきたのは若い女性が中に閉じ込められて死亡、他に2人の男性が未だICUに入ったまま意識不明とか、しかし、なんら報道されることは無かった様だ、なんとも仕方がない。

夢見たPhuket King's Cup Regattaを楽しんで、ここでロイヤルプーケットマリーナを22日の朝、満潮に合わせて出ることにした。チャロンベイまで出て、fuelポンツーンへ舫い「Diesel!」と言って450リットル油を買った。そして、今夜はここで一泊することになる。早速ディンギーで浜に上がり買い物に行く。8日分くらいの食料を買い込み、明日からアンダマン海の東海域をアイランドホッピングで一週間くらいの予定でクルージングに出ようと計画し、23日08:30出発、まずは北に上って時計回りに回る。始めは映画で有名なジェームス・ボンド・アイランド、昼前に少し手前のKo Hongという島の側でアンカーを打つ。先客が一艇と観光ボートが多くの客を乗せ3隻位居た。ジェームス・ボンド・アイランド、一度は行って見たいと「舵」誌を見ながら思った場所だけに、どんな所だろうと気を揉むがこの島の周辺はとっても浅く、満潮時でも3m位しかならなくて、私の船では近づくことは適わない。ロングテールボートを呼んで往復1000バーツ(3000円)気のいい漁船の若いあんちゃん2人とロングテールで4マイル程離れたジェームス・ボンド・アイランド島に言ってみて驚いた。何と観光化が進み手前から桟橋は有るは、何十軒もの土産品店,しかもまるで昔のヒッピー族の様な店主たちが居並ぶ様子はなんとも絵にならない。意外と小さなジェームス・ボンド島をそそくさと見て写真に収めて帰ってきた。その日はKo Yaiの島陰で一夜を過ごし、翌朝(24(月))08:30出港。18マイル先のKo Hongタイのチャートを見ると島のことをKoと呼ぶようだ。従ってここはHong(ホン)島と言うことになる。北側はと南側、両方のスポットがあり、私もぐるりと一周して見た。そして、北側にアンカーを打つことに決め、近寄る。小さなビーチから200m位でアンカー「ジャブン!」「ガラガラ!」アンカーリングも上手になって一度も走錨させたことは無い。私のアンカーはブルースの15kg、チェーン8mmの50mにロープが18mm100mと繋いでいる。オーストラリアでは「小さいらもっと大きくしろ」と時々言われたことも有るが、今の所,扱い易くそのままにしている。
ここは、水深が9m位有るが、まだ中潮でこれから2時間程の干潮では2m位は下がりそう。わずかばかりの砂浜で満潮時には無くなる。島の趣はどこも鍾乳石で高さ高さ70mから120〜130m位あり直立に聳える断崖絶壁、岩肌は上の方から粘土でも垂れ流した様相をしている。あたらこちらに穴が開き鍾乳石が氷柱のようになっている。ここにも6,7艇がアンカーリングしていて、今日はクリスマスイブ周りの船は皆欧米の人が多く賑やかにクリスマスソングやツリーに電飾を飾っている。


25日(火)09時出港。今日は僅か12マイル先のLaem Nangのビーチ前にアンカーを取る予定だ。風は殆ど無く,ゆっくりと機走で12:30には、アンカーを落とした。ロイヤルプーケットマリーナで一緒だったスイス人カップルのOystar56が先に入っていて手を振っている。ここは私を入れて6艇が止まっている。割とキレイで静かなところだ。それでもビーチにはぎっしりと人の群れが確認できる。私は未だ一度もビーチにあがったことが無い。余り好きでない! 
4時頃まで一泳ぎして体を冷やす。そしてビールを飲む。今日もゆっくりと過ぎていく。

26日(水)8:30出港。20マイル南のKo Pharya Nakに行く。この島はデカプリオ主演の映画「ザ・ビーチ」の舞台となった島でとっても「キレイ」とTeaお勧めのところだ。4時間位で着いたが物凄い形の島で正に断崖絶壁、垂直にそそり立つ岩肌の南北に1.7マイル、東西に1マイル程の小さな島だが、高さ70〜120m位の絶壁西側の一部が抉れて出来たような入り江右奥に小さなビーチを持つきれいな島だが入ってみたが入り江の3分の1位しか入れない。ロングテールボートやトローラタイプのダイバー船が多くの観光客をピストン輸送するためビーチは人、人、人でごった返している。市場は入り口にムアリングを取ったのだが、出入り口の側の爲か往来する船の引き波でとっても居心地が悪い。怱々に引き上げることにする。
北側2マイルのところに有るKo Phi Phi Donに行く。プーケットと並ぶアンダマン海屈指のスポットなのだが、南側と北側の2箇所に入り江があり、陸内では両方の湾が一望出来るらしい。私は南側に入り、多くのヨットやダイバーボートの間を抜けて、やや岸寄りにアンカーを打ったが、朝と昼と夕方には、多くのロングテールと観光客を乗せた40ft位のモーターボートなどが猛スピードで側を擦り抜け引き波を沸き起こして走り去る。今にも事故が起こるのでは! と思うほどの速さで船の間を擦り抜けるので。そして夜は大音響の音楽が響く中、ファイアーダンスや若者達の歌声で真夜中の3時頃まで騒ぎは収まらないのだ。あのプーケットのカタ・ビーチやパトン・ビーチと変わらない。北欧人たちは太陽に飢えているのかととかくビーチを珍重し集まり、一日中物凄い日差しの中で日光浴を楽しむのである。私には耐えがたきことで10分も日差しの下に入ることが出来ない。従って、ここも上陸することは無かったが、ここPhi Phi Donに2日も居た。

28日(金)9:00出港。チャロン・ベイに帰るのだが、25マイル程あり、今日も無風に近い機走7ノットで12:30チャロン・ベイ手前4マイルのPanwa岬の入り江に静かな所がいある。潮通しが良いのが水がきれいだ。今夜はここにしようとアンカーを落とす。岸まで300m水深6m最干までにもう2m位引くが丁度良い。早速海に入り体を冷やす。近くにもう2艇ヨットが居るが人影は見当たらない。夜も静かなのがGood! 翌日満潮に合わせてチャロン・ベイのfuelポンツーンへ舫、水を満タンにし、アンカーロッカーも洗った。周りには次々と順番待ちで船が来る。そして、このチャロン・ベイ(タイ・プーケット南東側の入り江)に6日まで居て7日からRatanachat Slipway'sで上架の予定だ。
1月の13日までしかタイに居ることが出来ないので、14日に出港、15か16日にはマレーシアのランカウイ島へ行くつもりだ。ロイヤル・ランカウイ・ヨットクラブ6゜18'2"N 99゜51'1"Eに有り、町からも近そうしかもこの島にtax freeなのでお酒も安いとか。しかしイスラム圏の為豚肉は無いらしい。マリーナには日本人ヨッティ(一人)が住み着いているらしい。スリップウェイに居る間にヨットクラブに予約のfaxでも入れてみよう。

次号 マレーシア。ランカラ島へ 乞う ご期待!!
1. 2008.1.3
Chalong Bey 07゜49'278"N 98゜21'145" より 浅井