風来末 プーケット番外編(ミャンマー)

アジアの中で一番日本に近い国タイ、タイには6,000社以上の日系企業が有ると言われている。50年代の進出から、85年の円高期家電メーカーなどが多く進出し、タイの日本人人口は59万人を数えるらしい。首都のバンコックまで行けばデパートや地下食品、昨年の11月には無印良品までもが出店し、まさに日本の売り場とまったく変わらないらしい。ここプーケットに来る前、昨年の情報では、タクシン首相が地位を追われるクーデターが有ったとTVで盛んに報じていてタイにくることを少し不安に思っていたのだが来てみると、まったく、問題が無い。むしろ市民は「そんなの関係ないよ!!」と言って、Teaなどは「だいじょうぷ、だいじょうぶ」を連発する。やはりキングの国タイ、国民は皆キングを慕っている。キングと言えば、キングスカップも終わり、一息ついて、XmasとNew Yearをここプーケットですごすためビザの更新をしなくてはならない。Teaに相談した所「一度国外に出るしかない」「ミャンマーまで行けば日帰りでOKよ!」と心強いご意見。私が「ミャンマーdangerous ?」と言うと、「ウーン、little bit」と手のひらひらさせる。そして、12月15日(土)の朝、06:00からTeaに連れられて、隣国ミャンマーへの旅へ。

06:10分未だ薄暗い、Teaが10分遅れでマリーナに迎えに来た。市内を通り過ぎるのでラッシュを避けるための早出をする。244km離れた国境の町Ranong(ラノーン)迄行くのだ。Freewayを時速100kmで1時間程走ると回りは、農村や山村地帯に入ってきた。なんとなく大分から竹田、荻町を抜け三光村を通る国道57号線にとても類似しているような感じにとらわれる。そして、タイ国どこまで行っても道路がとってもよく殆どの道がone wayだ。すごく山奥になると相互通行の場所が何か所か有る。途中の小さな町に差し掛かり、朝食レストランを探す。Teaの話だと、この先もうレストランなどは一軒もなくなるそうだ。どうしてもこの道筋で朝食を済ますのだと言って500m位の国道沿いを2往復して、やっと開店間際のウェスタン風のレストランを見付けて、ベーコンエッグとコーヒーにトーストを注文、何だか日本と変わらないような値段だった。Teaも「モア エクスペンシブ」と顔を顰めている。そして再び出発、約2時間くらいは掛かる。相変わらず、日本の山村風景に似ている。そして10時30分、ようやく目指す国境の町Ranong(ラノーン)に入る。なんとも汚れた雑踏の町と言う感じがありどこの商店を見ても暗く薄汚い建物の町並みが続き、町は迷路の様相を呈するもなんとなく活気に溢れている。一度道が分からず、Teaが車の窓越しに道を聞く。そして10分ほど街中を入り込んだところに広場のような所が現れ,その手前の建物に入った。どうも出国手続きのイミグレーションの様だ。2,3人の制服係官がカウンター内に居て、10人ばかりの多国籍人が並んでいる私もその中へ並びTeaに言われるままにパスポートを用意する。なんなく「ポーン」と、いつ聞いても気持ちの良い音を発し出国の印を押してくれ、なにやら紙切れを渡された。無料だった。

広場に戻ると何だか鼻を突き上げる様な漁師町特有の匂いがする。そしてこの広場も屋台などが多く出ていて,タイフードや干物や塩辛等売っていて、活気に溢れているが、口にハンカチを当てなくては、息も儘ならない位に臭い。そして人々を掻き分け、汚いコンクリート製の建物に入る。悪いことに尿意を催し「Tea! Toilet」と大声で叫ぶ。もう一度建物の外に立っているトイレに行くが、これまた不潔極まりないし、その周りに居る人々の衣服もなんとなく薄汚れている。そして、うるさい。大声で怒鳴るようにしゃべる。用を済ませて再び建物に入り建物の裏に出たとたんに視界が開けた。そこは大きなミャンマーワーフの有る河口だった。足元のジグジグした階段を5,6段下り艀を渡り、崩れかけたような木造桟橋に出る。良く下を見ないと足を踏み外しそうになる。この桟橋に50とも100とも言えない程の多くのロングテールボートが突き刺す様に舫っている。ここでTeaが一人の船頭となにやら大声で話しをしている。そして私に彼についていくよう指示され「帰ってきたら船頭に800バーツ渡してくれ」と言っている。300〜500m位の川幅がありそうだが両岸とも隙間が無い位に水上住家が立ち並ぶ。Teaの案内もここまで、後はこの船頭に任せるのだ。船頭の案内でロングテールボートに飛び移って行き、5,6杯渡った所で若者が待っていて「OK OK!」と声を掛けとめられ、その船に座るように指示される。何やら私に言っているが分からない。ゼスチャーを見るとどうも船縁を持つな! と言っている。分かった、船縁を持つと船がぶつかるので手が潰されてしまうからだ。慌てて、手を引っ込め「understand」と言ったが、よく考えると英語では通じないのだ。このロングテールボートには日野のトラックのエンジンが積まれていた音もけたたましく出発だ。

両岸の水上住宅を眺めるに朽ち果てたような家々にどれもタイ国旗とタイ国王の黄色い旗が翻っている。日本では考えられない光景だ。日本人は旗日でも掲げる家が少なくなった。日本人ももっと旗(日の丸)に対する敬意を持ってしかるべきだ。近頃の小中学校では卒業式に日の丸を掲げないらしい。彼らがこの先、私の様な船で海外に出た時どんな旗を掲げればよいのか教えといて頂きたい。つまらぬ余談が入りゴメン。先へ進む。5分も走ったところに水上に小さなモルタル作りの一軒家がある。そこに船を寄せ先ほどのイミグレに貰った紙切れを持って船頭が階段を掛け上がり、入って2,3分すると戻ってきて、紙切れを私に返してくれ、再び沖に出る。渡された紙を見るとイミグレのスタンプが押してあり、日付と時間が書かれていた。両岸の水上生活者の家も少なくなり広々した海域へ出た。10分ほど行くと小さな島があり、この上に黄金色の大仏像が立っていて、その脇に先ほど見たイミグレより小さな建物を横に見ながら走る。周りには私と同じようにして来たロングテールボートが点々と見え、同じ方向を目指している。

船のバウに乗っている若者の右手が少し「おかしい」のに気づく。よく見ると手の指がまるで違う方向から出ている。多分、内戦等で使った枯葉剤に含まれるダイオキシンによる先天性異常の人達ではないかと咄嗟に思った。10マイルほど離れた、対岸はミャンマーの町kawthang(コータウン)40分ほどでミャンマー国内に入る。ここもタイと同じで岸辺にずらりと水上生活者たちの家が立ち並ぶが、タイより少し程度が悪い。ここも艀に槍付けで突っ込み、艀に飛び移る。艀と陸に掛かる桟橋に差し掛かると次々と人が押し合うように近づいてくる。私の周りに4,5人が押しかけて来て、「cigarette?」「Beer?」と声を掛ける。よく見るとここの若者たちの手や足も少しづつおかしい。そして,その割合が3,4割も居る様子。片腕が短い人や、手がよそについていたり、中には片足が前後反対についている。なんとも痛ましい有様だ。私も見ないように気をつけるのだが傍に来ると目がそれに釘付けになってしまう。人助けと思い「ビール」位買って上げてもと思い船頭の顔を見たら「no!」と小声で一言、手を引っ張られてイミグレの建物の中にはいる。中にはカスタムも一緒にあり、列の後ろに並ばされた。ここからは一人になる。

パスポートを握り締め進むと制服をだらしなく着た職員たちが垢で真っ黒に汚れた椅子と汚れた卓子に並んでいて、どの人の目もギラギラとしている。今にも襲ってくるかと思うばかりで目付きはどれもアラビアのロレンスの如き。そして私の順番が来て卓子の前に立つ。私の顔を見て「ニッ」と笑みを送ってくる。すると口の中は真紅「あっ!!」と声が出そうになるが呑み込む。台湾を思い出す。檳榔(ビンロウ)だ。キンマの葉に石灰を付けドングリの緑色のやつをそのキンマの葉で包み噛み,嗜好品とするものだが、口の中が真紅に染まり、なんとも薄気味悪い形相になる。まるでゾンビの行列だ。その係官の前が3人程にパスポートが回り、出国の際に貰った紙切れを渡す。3人目がスタンプをパスポートに「ポーン」と音を立てて判子を押す。そしてusドル10ドルを払う。勿論領収書はもらえない。彼ら役人の貴重な収入だ。ここで記念に写真を一枚撮りたいと思いカメラに手を掛け振り返り入り口に居た船頭の顔を見たところ、船頭さん顰っ面で首を横に振っている。「ダメ!」のサイン。目の前の係官一瞬目付きが変わるがさすがに私もカメラをポケットの中に捻じ込み建物の外へ。私と同じようにしてきた白人とすれ違う。これもここの奇形児取り囲まれてどうしてよいのか戸惑っている。船頭が私の腕を引っ張って囲まれた中から引き出してくれ「レッツゴー!!」の掛け声で桟橋から艀に飛び乗りロングテールボートに跳び乗った。これでマャンマーの入国と出国を同時に済ませたのだ。さあ今度は最後の出国検問所でもう一度パスポートの提示が有る。

水上生活者の家並みを抜けると傾いた水上建物がボツンと岸辺に有る。6帖一間位の大きさで,ここが出国検問所。検問と言っても私は船に乗ったままでよく、船頭が私に「パスポート」と言い、渡すと階段に跳び移り建物内に消え3分もすると出てきて、パスポートを返してくれる。タイ出国と同じことの繰り返しだ。船の前を見ると来た時と若者が入れ替わってて、前と違った若者が私にニコニコしながら合図を送って来る。後ろの船頭が私に「フィニッシュ」と声を掛け手を振る。そして40分で再び行くときに見た仏陀の島の横の建物に寄り,タイへ再入国する。そして、あの悪臭漂うフィシャーマンワーフへと戻る。

途中バウに居た若者ワーフの水上生活者の家の前に突き出た踏み板の様なものの上に「ヒラリ」と跳んで船は止まることなく、若者はニヤ付き,手を振る。多分行くときの若者も帰りの若者も密入国に密出国だろう。どちらの若者も奇形児だった。そして帰ってきた私をTeaが笑顔で迎えてくれ「船頭に800バーツ渡してくれ」という。1000バーツを800にまけさせてくれたらしい。Teaが居るとなんでも地元値段になる。そしてこの活気溢れる街中のRanong Custom Housへ行き、再入国の手続きをする。飛行機に乗るときと同じ要領の入国カードへ記入を済ませ,15人程が並ぶ列の後ろへ。列の中には同じようにしてきた人たちの顔も何人かいた。案内人付きは私一人みたい皆さん凄い人ばっかり、帰りに街の外に日本食と書いたレストランを見掛けTeaと入る。日本人風の男女、年配者が2人入っていた。メニューを貰い早速注文、握り寿司でエビ2、玉子1、にぎりの盛り合わせ一桶、イカのすがた焼き,鉄火丼とビールを頼んだが10分でようやくビールと水が出た。もう10分してエビ2皿が出た。5分して玉子1皿、そして待つことさらに20分してにぎりの盛り合わせ。しかもメニューに写っていた寿し桶ではなくて、小さな皿に並べ方が間違ったような格好で盛られている。私はついに頭にきて、女店員に日本語で「パカヤロー」と怒鳴った。通じたのだろう、女店員は済まなそうに「キューズミー」と言っている。テーブルから腰を挙げ厨房を覗くと誰もいない。何と女店員2人で作っているのだ。イカ焼きと鉄火丼はキャンセル。1時間半待って3品しか出てこない、しかも客は私達だけ。そんな寿司屋が有るかいな! しかし腹立ちをおして再び帰路へ。午後6時、マリーナ近くのガソリンスタンドでTeaの車のガソリンを満タンにしてやり、マリーナに帰り着いたのが6:10。もう暗くなっていた。長い一日だった。往復12時間の旅、Teaお疲れ様でした。


翌々日プーケットタウンのイミグレーションに出向き、延長ビザを貰うためのデポジット40,000バーツ(12万円)を返して貰うために、そして再入国してきたパスポートを提示してここで再びスタンプを貰う。これでやっとビザの延長が叶うのだが、私はこの国にビザ無しで入った為一ヶ月の延長しか貰えないのだ。日本の大使館や領事館でビザを取得していれば3ヶ月の延長になる。長く居たければこれを繰り返し行うこと。ワーキングビザの場合ならば1年貰える事になる。
しかし、面白い体験であったことは間違いないだろう。

12/15(土) 12/17(月) 浅井