皆さん お久しぶりです!!

風来末 タイ・プーケットからマレーシア・ランカウイ島へ、マレー半島最南端への旅

タイ プーケットのRatana Chai Slipway's(ラタナチャイ スリップウエイ)で上架を済ませ 何となく滑りの良くなった 我艇「風来末」 ニューイャーをChalongBayで済ませ新しい年2008 1/4(月)06:30にキャロンベイを出発 次の寄港地Malaysia Langkawiに向けての旅 158マイルと距離は短いのだが途中 RockNookとBaTang島にそれぞれ一泊して行くつもりにしている 出航日 晴れ 南西の風6nt 殆ど追手の風 機走で7〜8nt
RookNookへは 14:30に着く 大小2つから成る島で南側にはチャーターボート等が既に入っていて 多くの観光客が泳いでいる姿も見える 水は凄く綺麗でなので私も泳ぐ事にする 『勿論フリーだ!』 何とも気持ちのいい事

翌朝の6:30に出港 晴れ 北西の風 3〜4nt 機走で7nt 今日は50マイル先のBaTang Ialand 13:00には着いた 既にサンセイルのチャーターボートとノルウェイ艇が錨泊している 後から入って来た漁船団(4艘)は一晩中漁にも行かず機械音とエンジン音を響かせ とっても煩かった 16日(水)朝の8:00出港
晴れ 東の風 2〜3nt機走7.5nt 48マイルで目的のLangKawiに着く途中でタイとマレーシヤ時間の調整1時間早める(日本時間+1r) 12:30には 
ランカウイ南側のチャンネルに入りロイヤルランカウイヨットクラブ(以下RLYC)にVHF69chでコンタクトを入れるのだが いくら呼びかけても応答が無い 入港20分前に成ってやっと日本人の声で応答が入り タイのチャロンベイで出会った『西藤さんだ!』 するとクラブ側からも何か言っているがマレー語でさっぱり分からない 西藤さんからE−49へ入る様指示が入る 《南からのアプローチで良いです》 『OK OK!』入って行くと とっても汐の流れがきつく うまく入れない 2度やり直す ポンツーんには西藤さんともう一人の日本人 マリーナスタッフ2人と4人掛かりで引っ張ってくれ ようやく舫う事が出来た さっそく向かいに泊めている西藤さんの艇でビールを戴いた

もう一人の日本人は松浦さんと言う72才だった 松浦さんはこのRLYCに7年も居る最古参との事で翌日の イミグル カスタム 港務所と全てを案内して頂大変お世話になった 東南アジアの国では どこも検疫は書類のみで船えの検査は一切無いので とっても気楽で都合も良い このランカウイには2ヶ月ほど滞在する積もりだ 翌日からさっそくKutaの町へ すぐ側にあるフェリー乗り場「ジェティー」前でタクシーに乗り1km位の所に有る街で 6〜7分もすれば街の中心地に着く 乗る前に2時間の交渉で50RM(リンキット)日本円で1750円の約束で来たのだが始めに買物をして1時間待たせて次にもう1時間食事をすると言った所 運転手が急に怒り出し 時間が違うと言う 私が紙に書いて時計の絵説明するが もうダメ 今にも襲い掛かられるかと思うほどの剣幕ですさまじい 仕様がない 私も50RMを渡すのはしゃくだから40RMしか払えないと言い張り懸命の応戦でやっと40RMで解決 あとて゛解った事だが松浦さんの話だと ここのマレー人は とっても喧嘩っ早く危険で少し離れて話をしないとすぐに「ナイフが出る」とか??

街の中は中国人の店が多くを占め レストランやスーパーマーケットの殆どが中華系で占められている様だ このマレーシヤと言う 今いち良く解りにくく掴みにくい 人口の約66%はイスラムを信じマレー語を話すマレー人 26%は中国人で中国寺へお参りし中国語で日々の生活を送る中国人 約8%のインド人はヒンドゥ教徒で英語で話す 残りがキリスト教徒など様々で 三大民族の比率がほぼ人口比に重なる 中国人は錫鉱山の労働者として インド人はイギリス資本のゴム農園や油椰子農園の労働者としてこの国に移住して来た経緯を持ち 力を伸ばして来た為 今は逆にマレー人優遇政策が採られている 面白いのはマレー人 イスラム教のモスク 朝晩に拡声器にて「がなり」たてて 「早く来いよ〜」「お祈りが始まるぞ〜」とでも 言っているのだろうが これがとっても煩い 他の宗教に取ってはたまらなく煩い!朝は暗い内から「がなり」たてる!中国人が少し抗議をした所で彼らイスラムは 朝晩のコーランの呼掛けは国家試験を取った者しか出来ない その為取得した者が行って何が悪いと まったく解っていないやりとりに成るらしいモスク側の中華屋さん「この国に居るには仕方ない」と首を振りながら話していた それでも ここのマリーナスタッフのマレー人達は とっても教育されていて私と擦れ違う時等 皆日本語で「オハヨウ−」「コンバンワ!」と柔らかである 松浦さんは毎日の様にマリーナの桟橋の上から魚釣 夜釣など夜中の1時2時はしょっちゅうで私も釣の手解きを受け余り気乗りしない釣をしてみた所 これが大当たり50Cmは有ろうかと言う黒の縞模様の日本で言う石鯛では無いかと思うやつを30分以上も掛かって釣り上げた さっそく皆に見て貰い翌日石鯛の塩焼パーティーと成り西藤さんも呼んで大いに盛り上がり次の日にも又又 同じ大物を釣り上げた この先烏賊やハゲ等毎日の食卓に上がり暫くは釣の虜に成ってしまった ここランカウイ島は免税(TAX FREE)の島でタバコは日本の半額以下 ビールもウィスキー等酒類も安い 私としては「おおだすかり」缶ビール1ケース(24本)41RM〜53RM(1430−〜1855−)と これ又日本の半値以下 私もここで5ヶ月分のビール45ケースとウィスキー ジン 日本酒等を買った フィリピンや台湾では殆ど税関は何も見ないのでOKだろうが 日本はそうは行かない 日本の入国は5月には入りたいと思っている

KUTAの街の知友新に有るPlsoon HUAT SDN BHDと言う名前の酒屋さん 中国系の女性か゛店主で 他にもハム ソーセージ 豚肉 鶏肉の冷凍を扱っており とっても助かる ここランカウイはイスラム教が国教で鶏肉が殆どで豚は食べない したがってハム ソーセージも鶏肉で出来ていて私には今一馴染めないからだ 街には他にも酒屋は多いがマレー人はお酒は呑まない なのに酒屋が多いのはなぜか?
一週間に一度はスーパーマーケットに出掛け買物をしランチを馴染みの中華店で済ませるマレー料理も一度は食べたが私には少し油が強過ぎるそしてビールが無いのだ
その点中華はいい!何でも有り コックのオヤジに「旨い」と褒めてやるとグッと!サービスが良くなるのが嬉しい せっかくランカウイに来たのだからと言う松浦さんの進めでレンタカーを一日借りる事にした ニッサンサニーのオートマティック車が80RM(2.800−)松浦さんといっしょに島内を一周観光へ 始めに「カレリア ベルダナ」マハティール前首相が集めた世界各地からの贈り物が所狭しと展示してある 日本の昭和 平成天皇から贈られた陶磁器や漆器 その他三菱の車やいすゞのパジェロ等ジャンルはとっても広い

次はマングローブの林 物凄く生い茂るマングローブの密林の中を1Km弱に及ぶ桟橋が通りその中を行き止まる所にタイレストランが有りここで昼食とする ここには海からも河を通って来ることが出来る多くのヨーロッパ人の観光客で既に賑わっていた 少し高めのの料金だがここのマングローブの林もなかなか見応えのある物だ
次はTanjungRhnBeach白砂のビーチでとても綺麗だか私には余りビーチに興味が無い そうそうに次に行く 今日のメインのランカウイケーブルカー 島の北西部にあり2002年にオープンレ島の二番目の高さを誇る「マチンチャン山」海抜709m山頂まで約20分で到着出来全島が見渡せる S字を書いた型をした吊橋が有る 展望台からはマラッカやアマンダン海も見渡せる この日は少し霞がかかってはいたが素晴らしい景観が一望出来た 下りのゴンドラから下を覗くとゴンドラの底の部分がガラス張りに成っていて登りの時よりも足元が「ゾクゾク!」した 松浦さんはこれがイヤだと言って下の駅で待っている 次の島の東に有るTelagaHabourに寄って見たが6.70隻が入れる小さなマリーナだが設備は新しく良さそうだが買物は店等まったく無く生活には不便そうだ! そして このハーバーは4年前の大津波で大打撃を受けほぼ全滅に近く殆どのヨットやボートが流されたり陸に打ち上げられたりし沖泊めも含め多くのヨッティー達が亡くなり今も外国人のヨッティー達が不明のまま掌握出来てないと言う事だったが今は面影は無く何事も無かったかの様子だ

南西側のバタン ティンガーのビーチリゾートを通り抜け今日2番目の目的地 日本食レストラン「雲海山」バリ島以来半年余り日本食レストランには行っていない

さっそく席に着き「アサヒドライビール」とフルネームで注文 松浦さんはお酒を呑まない 彼は水で乾杯 鯛700g一匹を刺身と空揚げに タコの酢物 冷奴 鉄火巻き等を食べるが思ったより「おいしく無い!!」 日本人女性(40才位)店員が本日おすすめメニューと書いた黒板を持って来て 一通りの説明後に この店の店主が大阪人だからと箱酢のバッテラも有ると言うので 良しと思いバッテラを一本と言って注文すると 3分もしない内に「すいませ〜ん 今日はバッテラ切らして!」と言う 私はビールのジョッキに半分残したビールを一気に呷り「たった今こそ 本日のおすすめメニューと出して来て 未だ ここに黒板が有るでは無いか!」と一喝したのだが いくら言っても無いものは仕方が無い 何とも面白くない 後味の悪い店となった「雲海山」そして「お勘定!」と言い支払いを済ませたのだが これ又大変 私の支払った中の50RMのお札が一枚ニセ札と判明「ナニーッ!」 私も松浦さんもビックリ 店の方も「初めてです」「近頃リンギット札のニセモノが出回っている」と言うので 今日購入したばかりの「ニセ札発見器」特殊な光をお札に当てると透かしの文字や絵が浮き出で来る 私も松浦さんも この光に照らされたニセ札を見て納得 今日の朝 フェリー乗り場のATMで引き出したばかりの新札なのにと説明 店主が出て来て「イヤー私も初めてで コレ引き取らせて戴きます」と言い 何でも見本にするそうな いったい 誰がこんな小額紙幣を50RM日本円い゛僅か1.750円しかしないので割に合わないのではと思う 思わぬ体験をした ニセ札を やってしまうのも少し惜しい気もするが もしも妙なことに巻き込まれでもするよりは?と思い これで支払った バッテラの事などいっぺんに吹っ飛んでしまい帰路の船に帰り着いたら9時を少し回っていて 松浦さんにも お疲れ様!

約2ヶ月の間に色々と有り マレーシヤの首相の選挙 有名なランカウイ アイアンマンレース これには多くの日本人(70名位)も参加しているらしいかった アジアOPディンギー国際レガッタ アマンダン海を点々と巡りながらのヨットレース ランカウイレガッタ等 数多くの催し物がRLYCを中心に開催され あっと言う間の2ヶ月間が過ぎ3/17日(月)に出港日を決め最後の準備に入る エンジンオイルの交換 バッテリー液の補充 エアーフィルターの交換 ギャーオイルの点検 各シート類の点検 等々出港を決めてからの忙しい事
多くの日本人と出会ったランカウイ

3/17日(月) 朝 オフィスで支払いを済ませ 油も満タン1.008Lを積み込んだ 松浦さんが見送りに来てくれ舫を外して頂き別れを告げる「8月には日本へ帰国するから又会いましょう!」と声が掛かる「ご無事で!」と互いに声を掛け合い姿が見えなくなるまで手を振った 別れはいつも寂しくさせる
今回の航海はマラッカの中途に有るペナン島には寄らず一気にマレー半島最南端のSebanaResortのマリーナを目指す 距離は約440マイル程3日で着く予定だ 殆ど風は無くメインのみを張って機走6〜7ノットでひたすら南東へ向かう 途中何度も雷雨に見舞われて怖い思いをした ペナン島を通る時 イギリス人の奥さんで弥生さん 私と年は同じで48フィートのカタマランでペナンとランカウイを行き来している「もし ペナンに寄ったら声を掛けてネ」と言われてはいたのだが今回もペナンには寄らなかった
せっかくここまでやって来て 少し勿体無い気もするがペナンのマリーナは水が凄く汚いと聞いていたせいか?縁が無いのか2度とも素通りする

18日(火)夕方17:30には マラッカの難所PortKelang沖通過
20日(木)05;00マラッカチャンネルを抜けシンガポールへ変進したとたん空が真っ黒に成り一瞬にして雷雨となり風は吹き荒れ嵐の様子となる 視界は100m足らずとなり猛烈な雷雨の中500とも1000とも言える大型船の停泊するシンガポール沖を船の間を縫うように走るのだが これが又怖い! 船の影から今迄泊っていると思った大型船が急に動き出す! サーチライトに照らされ霧笛を鳴らされ逃げ惑う!5万トンは有ろうかと思う大型船が50m横を後から私を抜き去って行く 一晩中これが続き明け方近くようやくセントーサへのチャンネルに入り 明るくなり風雨も少しは治まって来たが シンガポール チャンギ空港近くから再び雷雨と成り 又又視界100m しかし今は明るいのがいい! 何とか成る シンガポールの端チャンギ空港からのジェット機がまるで頭の上を爆音を轟かせ2.3分に1機と言う慌しさで行き交う下を通り過ぎJohor地区に有るKotaTinggiのうねり曲がった河を遡る この頃には雨も上がり晴れ間も覗く マングローブの河の中を2マイル程遡った所に有るSebanaGolf&MarinaResort 河の奥深くに有る為 全く鏡の様な水面をしているのだが水は焦茶色!多分水の入れ替わりが少ないのだろう やっとポンツーンに舫いを取り時間を見るともう12:30 3/20(木)12:30着 437マイルの旅だった

ここセバナマリーナには二週間滞在の予定だが天気が良ければ一週間にするつもりだ
さっそく翌日リゾートホテル前から町まで二時間の予定で朝の10時フロントに集まり一人6RM(210円)で連れて行ってくれるマイクロバスに14人全てヨッティー達が出掛ける
車で20分位でチャイナタウンに到着 町の大きさはせいぜい西大分の商店街位しか無く殆ど訳の分から無い雑貨屋とも野菜屋とも分からない店が50軒位いしか無く殆どの商品は埃を被っていて売る側も買う側も気にはしていない 恐る恐る少しばかりの野菜とバナナと豆腐を買い12時過ぎには船に戻った ここでは私の食べる物は殆ど手に入らないのでシンガポールまでフェリーに乗り買物ツアーへ出掛ける事にする シンガポールのチャンギ空港側のタナメラターミナルまで高速フェリーで約50分の船旅 マリーナ側のフェリー乗り場で出国手続を済ませタナメラへ着いた時マレーシヤ側とシンガポール側では こうも違うものかと思う程に格差が有る タナメラフェリーターミナルはまるで国際空港並みの素晴らしい設備だがマレーシヤ側では まるで小屋と言う位い酷い設備てしか無い

折角シンガポールまで来たのだからと又高島屋や伊勢丹と眺めて廻り明治屋で日本食をしこたま買い漁り夕食用にと握り鮨の詰合わせを買いお昼は鼎泰豊(デインタイフォン)台湾料理で有名な店で「小籠包」に「蝦仁蒸餃」と「スープ麺」を食べて3年前台北で食べて以来で大満足 約2週間分位の食料を買い込んだので いつでも出港OKなのだが 出港前日の3/26日あの薄汚いチャイナタウンまで出掛け野菜のみを買い翌日3/27日9:30約束の給油ポンツーンに行くのだが誰もいない!いくらホーンを鳴らしても誰も出て来無い 仕方なくもう一度マリーナバースへ戻りマリーナオフィスへ「怒鳴り込む!」もう頭に来ているので日本語しか出て来無い スタッフはもちろん平謝りするのだが?油が無くなってタンクローリーが来たのだからとの事だが僅か30分前の約束が守れ無いのが東南アジア全般に言える事だが 約束の時間が2時間まで遅れても普通と思った方が良い そして再度給油の時間を聞くのだが今一はっきりしない「給油をキャンセルして そのまま出港することにした ざっと計算しても未だ750Lは残っている筈だ!」

3/22 12:45 Sebanaマリーナ出航 約220マイルの旅 目指すはボルネオ島の東北部に位置する コタキナバル(マレーシア)SuteraHarbourと言うサバ州一のリゾート地 ゴルフコース36ホール 国際ホテル リゾートビラにマリーナと言う超一級リゾートと言う触込みだ 出港2日目の朝頃から海の色も替り見事な藍青色に成り水は透明度が一段と益す 一日に何度かはイルカがやって来ては1〜2時間程度船の周りを遊び回る 時折り「ジャブ!」と音を発て1.5m程ジャンプし私のコックピットを覗きに来る その時!!「ワッッ!」イルカと目が合うのである 睨まれたのか?笑われたのか?いつまでもそのイルカの表情が脳裏に残り「言葉が交わせたらな〜?」と一人思う 夜は下弦の三ヶ月が23:00頃まで薄っすらと明るくは成るのだが全体には暗闇に近い 空は満天の星空で水平線は殆ど別らず まるでプラネタリュウムの中!映画のスターウォーズや宇宙戦艦大和のシーンを思い出す この海域 北緯1度〜4度帯に有り北斗七星と南十字星を同時に眺める事が出来 銀河系の円極部の恒星が天球に投影された「天の河」 こんなにも星の数が有ったのかと思う程の星が塵ばむ

3/30 残り358マイル ブルネイ沖を通過の頃から無数の海底油田やガス田の櫓が立ち並ぶ中を通り抜けるのだが この夜雷雨に見舞われ4時間程100M先も見えなく櫓のケバケバしい明かりが光るのだが この櫓に近付く事は出来ない 警戒船から猛烈なサーチライトを食らうので一瞬どっちに進んで良いのか分か無くなり 狼狽えてしまう
4/1日 到着前夜も激しい雷雨の中へ突っ込んで行く 雷が前に後に横にも鳴り響き雷光が横に迸る 辺り一面が紅く光輝する 一瞬首を竦める 何の呪いにも生らないのだか どうしても光る度に肩が竦んでしまう 明け方近くまで続いた雷雨も通り過ぎ 朝9:00頃やっと空が晴れて来た KOTA KINABALUの湾内へと入って行きいつもの様にマリーナ 30前からVHFにて交信 バースナンバーを確認しマリーナへと入って行く スタッフが待ち構える中 舫いを取って貰い何とか無事 到着出来た GPSで調べると782マイル走っていて3/27 12:45分出港し4/1 15:30着 5日間と3時間を要した

次回 素晴らしいコタキナバル編を 好御期待!