風来末 Darwin 〜 Bali へ

いよいよアジアへ
8/22(水)AM10:00出港 免税で油を入れたら えらい安かったL=63円位どうも計算を間違っていると思うのだが何度確かめても「OK,OK」と言って伝票を貰った 何か,とっても得した気分 マリーナを出て丸一日はまだオーストラリア大陸に近くとっても浅い まずは東ティモールのKUPANGを目指す.約370マイル程有り 3〜4日と言ったところだ 今度こそは間違いなく東の風追手で7〜8ノットの風 艇速4.5ノット もう少し速く走りたい機帆走にして 1600回転 ジブのみで7〜8ノットをキープできそうだ155 148 145nmと三日目にティモール島の西側KUPANGのチャンネルを昼前には交す事が出来 これからインドネシアFLORES島とSUWBA島の間の海峡を抜けて行く オーストラリアとは海の色がまったく異なり日本近海と似た色をしている そしてこの海域は今のシーズンは常に潮も東から西に流れる連れ潮だ4日目 いよいよジャワシーを抜けてインド洋に入る 波はたいした事は無いのだがインド洋特有の大きなウネリ(波の膨らみ)が入る 波間が500〜600m位は有りそうそして膨らみの高さは5〜6mに達するのだ 船が突き上げられる様な感じがするゆっくりと持ち上げられ そして又ゆっくりと下って行く 何と無くジブが無くても良いのでは?と思い下ろして見た 艇速はまったく変わらない エンジン1500回転のみで7〜8ノットで走る 風は殆ど無く潮流4.5ノットに乗っている 今は南東モンスーンの季節 とっても楽ちんモードでイイ!!

8/28(火) いよいよバリ島が近くなった 今は9゜08'S 116゜23'Eにいる LOMBOK島に近づいたせいか北から流れる潮の影響で逆潮と連潮が半々位になり艇速が延びなくなった 風も珍しく南西が吹き出した しかしこのまま行くと予定より少し早く着いてしまいそう どこかで10時間程度調整しなくてはならない バリ島の東約8マイル程に有る小さな島NUSAPENIDA島(私は読めない)の北側へ風と潮流を避ける為に入り 9時間ほど 2.3往復した

8/29 05:30今私のところからBALI島Benoa(べノア)港まで約12マイル。港の奥ヨットハーバーまで2マイル。少し暗いが入港を目指すことにする。潮が連れ潮で早い。バリ島から多くの漁船が出てくる。50〜100は優にある気がする。しかも、無灯火で私の目の前を右側から横切るのだ。「世界中、共通かなー?」何処の漁師も必ずと言って良いほど、前を横切るのだ。しかもわざわざ進路を変えてまで前を横切る。もう避けきれない。長さ4〜5mだ細く、幅70cm位右側にアウトリガーを付けている。エンジンは、多分オートバイの単気筒だと思う。後ろのほうへ3mくらいのシャフトを突き出してそこにプロペラが付いている。かなりのスピードで近づいてくるのだ。もう私も避けるのをあきらめ、走ることに不安があるがやむを得ない。
何しろ、100隻は優に超えるのだ。2時位でBenoa(べノア)港の入り口へ。ここの入り口左右も凄い大波が立つ。多くのサーファーで賑わう。港内はとっても浅くあまりよく分からない浮標がたくさんある。GPSとソナーを睨み付けながら恐る恐る入って行く。なかなかマリーナが見つからない。「アッ!!あった」港内右奥にマストが連立している。手前には、大型のマグロ漁船も見える。それに観光帆船も2,3隻見える。とても浅い。大型船から50mも離れるともう2,3m位と浅い。マリーナを左に見ながら入って行くとマリーナポンツーンの上から人が手招きしているではないか? 私は喜び勇んでマリーナに入って行ったはいいが、なんと中はとても狭い。Uターンが出来ないほど狭い。見ると正面の小さなポンツーンの前で手招きしている。ゆっくりと入ってしき、船の60%位しかないしかも木製スノコ状態のポンツーンだ。船が壊れるのではなく、ポンツーンが壊れそうだ。1時間程マリーナのマネージャーと話し、すぐに外に出て今日は外でアンカーリングするように言われた。明日出ないとポンツーンが空いていないらしい。仕方が無い、今夜一晩、我慢しよう。みんな外組が並ぶところへ私も行くが、これが又浅いのだ。やっとここなら間隔があると思って入って行くと、左側のカタマラン、ラグーンの50ftの人が船から顔を出して、「No− no−!!」「shallow!」と叫んでいる。私も慌ててバック、話を聞くともう少し潮が引くので、もう少し後にアンカーを打てとのアドバイス。私も「understand?」と解らない英語で返事。一艇身程後退して「アンカー、ドスン」。昼食を済ませ、午後にディンギーを降ろして、マリーナオフィスへ行き、入国手続き。ところが、又、又難問発生。インドネシアでは通常、海域通行を認めていない。CAIT(ケイト)と言う通行許可書を申請して(首都ジャカルタへ)4週間しないと貰えないらしい。しかし,このことはダーウィンを出るときも分かっていて、バリでももらえると言う情報でこのバリマリーナへfaxを送り、マリーナの予約をしてからここへ来たのだ。しかし話が違う。結局お金で解決することとなり、マネージャーの「マデさん」に「ハウマッチ」と話をすると手数料US$25ドルと申請料などを含め$575USドル掛かったが、何とか入国と通行のCAITを貰えそうだ。多少気分も落ち着き、マリーナレストランで鳥のスープ煮込みとビールを頂き、入国の一日が終わりを告げそうだ。このバリには約1ヶ月程滞在する予定で、かなりのんびり出来る。


8/30(木)朝10時、早速マリーナのポンツーンへ、周りのみんなが舫いを取ってくれる。ドイツ艇、フランス艇、ノルウェー艇と近くの船はみんな駆け寄って手伝ってくれるのだ。この内のフランス艇はヌメアで会った船で、私を見てニコニコしている。昼過ぎには「マデさん」から、イミグレの手続きが済んだからといって、パスポートを返して貰う。ここでは、クアランティーもカスタムも手続き用紙にサインをするだけで船を見に来ない? 「マデさん」の話だと、「普通は、見るのだがなー」と言っていたが、やはりお金を払えばokなのか??

翌31日、今日は早速町に買い物へ。もう食料が底を付いている。マリーナの外では、日本で言うところの白タクが何台か待機している。どれも日本車のバンだ。ダイハツ、三菱、ホンダにスバルその中の一人50歳位のオジサンが私のところに来て、日本語で「町まで行く、マテ、マテをして、帰って来る」200,000RP一瞬驚く「20万!?」桁が違う。日本円で2400円位だ。こちらのお金はルピア、下二桁のゼロを取って,2割アップすれば日本円になる。2400円は少し高いかと思ったが、買い物時間や食事の時間も待っていると言うので、OKした。まず一番近いクタの町まで行き,スーパーマーケットを3軒、地元スーパー,、日本食品スーパー(パパイヤ)とフランス系のカルーフールスーパーを梯子して、午後1時半頃に「まてまてオジサン」運転手お勧めの「福太郎」日本料理店に行き、早速日本直送前の大トロを注文した。これが何と「大当たり」トロの握り5貫と刺身5切れで1800,000RP。日本円で2,300円。もの凄く美味しい。私が行きつけの都町の福助の大トロと肩を並べそうな喰ら美味しい。「こたえられない!!」もう一人前注文しようかと思ったが、他にも注文していたので、ぐっと堪えて腹八分で後ろ髪を引かれる思いで店を出た。マリーナを帰ったら3時半だった。朝10時からだから5時間半で2400円ならと思い支払うと次から私だけ150,000RPでも良いと言っていた。「まてまて」おじさんに昼ごはんをサービスしたので気を良くしたのかなー? マリーナの入り口でスタッフが「オー,一杯ね」と声を掛けて荷物を運んでくれる。

9/2(日)午後に松岡みっちゃん夫妻が大分から観光に来ることになっている。お願いしていた醤油もたくさん有り、重かっただろうと改めて「ありがとうー!!」そして、もっとうれしかったのは今から夕方まで時間があるのでホテルまで戻って「お風呂でも入ったらー!」と奥さんからのお誘いの言葉に「じゃーさっそく行こう!」と8ヶ月振りの湯舟に入ると心ウキウキだ。
ホテルはリットカールトン、しかも戸建スパ、しかもメゾネットタイプのスイートルーム。ベットルームが2つもあり、庭にはプールまで付いている。私はさっそく2階の部屋を使わせて頂き、坪庭付きバスへ「ザブーン」頭まで沈めて、「あーナンマンダブ、ナンマンダブ」極楽だ。「やはり日本へ帰っかなー」今度は日本中、巡るほうが「いいかなー?」
夕方5時から「みっちゃん」達は、ツアーの予定があるとの事。ホテルを後にして船に戻ってビール。やはり日本人ですねーー!! 湯舟の気分が体に残っていてビールの美味いこと、堪えられない。

何日が過ぎ、船の点検、オイル交換,ギァーオイルの点検。バッテリー液の補充等など、20項目ほどを済ませた。ここは水がとっても「キタナイ」。タンクに入れる前に濾過をして、そして塩素も入れる。決して飲むことが出来ない。地元のインドネシアンも飲まないのだ。

9/8(土)私の船ハルの大きな艇名、「風来末」の文字を見てきましたと日本語の声、「ハーイ」と出て見ると,日本人、今外でアンカーリングしているが明日はマリーナに入ってくると言う。カタマラン33ft SunfishiVのオーナー藤谷さん夫妻。藤谷よしきさんと奥さんのスーさん。お二人は12年前にタイのプーケットを出発してスエズを通り、地中海、大西洋、パナマ,南太平洋を抜け,このバリ島へ,後わずかで世界一周との。あの夢丸の澤さん達とも「パナマで会ったよー」と言っていた。お二人とはバリにいる間中仲良しになり買い物や食事といつも一緒だった。色々話をしていただいた。昔は良かったけれどいまはあっちこっち危ないところが多いから、「ウーン、ウーン」と唸っていて藤谷さんもレッドシーで「イエメン入港の際囚われの身となり大変な思いをした。」と話してくれ、スーさん「もう二度とイヤ!!」「帰ったらもう陸に住むの!」とご主人に熱々コールを送っていた。
そして観光、ケチャダンスにバロンダンス、木彫りの村、ライステラス、ウブドにブサキ寺院を巡ったが、せっかくの観光にスーさんが風邪を引いて,車から降りられないらしい。しかし,この風邪ご主人と私にもうつり、そしてマリーナ全体がみんな風邪気味。私なんぞ3週間しても治らない。谷口先生に用意していただいた薬も底をつきそう。バリで風邪薬を探すが見つからない。スーさんが地元の言葉で薬局に聞くのだが医者の処方箋がないと難しいらしい。怪しそうな薬なら手に入るのだが谷口先生に頂いた総合顆粒薬を呑むと治るのだが後3包しかないので万一の為と思い残している。結局バリを離れるまで何となく風邪が抜けなかった。

9/19(水)藤谷さんSunfishV明20日の朝出港するので、今日昼のお別れランチをクラブハウスのレストランでと招待された。前に私の船での日本食のお返しだから「気にしないでね」と、スーさんだけ風邪が治ったらしい。これから1ヶ月掛けて、シンガポールに向かうのだから良くなって「良かった良かった」

20日(木)朝5:30早起きしてサンフッシュVへ、舫いを解いて手伝い、「藤谷さん!きっとシンガポールで会えるよねー!?」と言うと、「一ヵ月後にはシンガポールに入るからー!」と返事、果たして会えるかなー? 私はマリーナ名を言ったが、藤谷さんは何処のマリーナに入るのか?聞いていない。「まっイイカ?」彼らはダーウィンからインドネシアのビンタン島(シンガポールのすぐそばの島)までのインドネシアラリーに参加している。これは参加艇が160隻にも及ぶ大移動なのだ。このマリーナにも10隻くらいがラリーへの参加フラブを掲げているのが目に付く。この日の夕方船に日本人の方が顔を出しハルに書いた「風来末の字を見てきましたー!」と鳥毛さんと言う方が若者一人を連れて訪ねてくれた。たまたまマリーナを見に寄ったら私の船が目に付いたからとのことでこのバリ島に13年前から住んでいて、ガラスアート工房を主宰されているとか、後で分かったが、こちらの方ではかなり有名なガラスアーティストで有名ホテルの殆どのオブジェや、又、お土産品などに入っているらしい。そして、この方、日本でヨットをやっていて、今も活躍しているあのラッキーレディーの一員なのだ。このバリで木造の24mの帆船を建造所有されている鳥毛清喜さん(69)なのだ。話は一気に進み、さっそく明晩の食事に招かれて、車で迎えを寄越すと思い掛けない話になって行きそうー?

9/22(土)夕方4:00迎えの車が来た。車で約40分位、北東側の海縁に工房があった。個人の工房にしてはかなり大掛かりな工場で使用人もメイドも入れて20人を超える所帯で驚いた。既にテーブルにはディナーの用意が為されていて,日本人夫婦で元朝日新聞にお勤めの話し上手な方と若い日本からの居候二人も加わって、楽しい夕食となった。日本酒に焼酎と私にとっては久しぶりな物ばかり。そして食事の美味しいこと一人で日本酒、老松の吟醸(四合瓶)を空けてしまった。申し訳ない。この酒のせいかどうか分からないが、話ではタイ,プーケットのキングスカップの話になり、一気に進み、いつの間にか清喜さんは日本のラッキーレディーの稲葉さんに電話している私に替わり、私も挨拶。この方とは、16〜18年前熱海のマリーナでお会いしているのだが、多分、先方は記憶に無いだろー。アッという間にキングスカップ参加?になりそう。そして帰りには清喜さんのガラス、オブジェや器まで頂いてしまった。

9/24(月)09:00出港。朝早く白タク「まてまて」おじさん見送りに来てくれた。マネージャーのマデさん、スタッフの若者二人、近くのヨッティたちがもやいを解いてくれ、バリのBenoa(べノア)ともお別れ。これから約1,100マイル先のシンガポールを目指す。これから、バリ島の北、Java Sea(ジャワシー)まで、40マイル程逆潮4.5ノット、とてもエンジン無しでは出られない! 佐賀関の潮目の中の様な所を20マイルわたって抜けなくてはならないのだ